Deep Desire

【第10章】監獄都市ウィングール

<Vol.4 機密>

 都市城《シティキャッスル》の、できるだけ気の弱そうな女を見つけて脅し、ティヴィアは服装を改めた。
 少々サイズが大きかったが、男物の服は“しっくり”きた。身に纏《まと》えば自然と気も引き締まる。やはり、自分にはこういう格好の方が似合っている――そう感じずにはおれないほど、緊迫感が心地よかった。
 そもそも、ティヴィアは昔から裾の長い服が苦手だ。名門の令嬢だからと無理に着せられたが、いつまで経っても好きになれなかった。
 豪放磊落な彼女の父は、そんなティヴィアを「よくできた剣士の娘」と誉めそやしていた。だが、兄・ガルトは違う。
「着ていれば慣れる。普段から男の形《なり》をしているから、いつまで経っても慣れないのだぞ」
 父が存命の頃から、ガルトは常々そう言っていた。
 彼にしてみれば、なぜ、妹が男装などするのかわからなかったのかもしれない。わからなくて当然だ、とティヴィアは今も思っている。あの、足に絡みつくような衣がいかに煩わしいのかは、兄が女装をしない限り、理解してもらえないだろう。
 また、侍女のため息を耳にする都度、ガルトはこのようにも言っていた。
「お前は母上に似て美人なんだ。剣を捨てろ、とは言わぬが、せめて化粧くらいはしていろ」
 これも、ティヴィアは黙殺していた。
 夜宴に出かけていくたびに、女たちの香によって足早に帰宅する兄が、本心本音で「化粧をしろ」など言っているとは思わないからだ。
 その兄《ガルト》に比べ、とティヴィアは異腹の長兄を思い起こす。
 現イスエラ宰相、シレフィアン・ジャベルレンは剣などという血なまぐさいものよりも宝玉や香の方が似合う男である。彼は女のティヴィアから見ても感嘆の溜め息を落とさずにはおれぬ、化粧をせずともそれはそれは美しい人なのだ。故人である彼の母親は「星々の輝きも息を潜める」と歌われていたそうだが、シレフィアンを見ていればその表現もあながち誇張ではあるまいと思う。
 シレフィアンと最初に引き合わされたのは父が亡くなる少し前のことだ。
 ガルトと共に呼び出されたティヴィアは、父と話し込んでいた痩身の神官が自分の兄だと言われたとき、一体これは何の冗談なのかと訝った。父にも兄にも自分にも、要するにその場にいる誰にも似ていなかったのである、信じろという方が無理な話だろう。しかし、困ったように微笑を浮かべた父の目には偽りの兆しは見えなかった。
 男とも女ともつかぬ――神官の礼服を着ているのだから男なのだが――美麗な長兄は、よろしく、と短く挨拶をした。聞けば、明日より彼は同じ屋根の下で暮らすのだという。どのような経緯《いきさつ》あってのことかは知らぬが、ティヴィアもガルトも家長自らが下した決定に否とは言えなかった。言う権利があったとしても、あの場では首を横に振ることはできなかっただろう。
 馥郁《ふくいく》たる香りを宿した花のような笑みを向け、母の異なるこの身、受け入れがたいとは思うがよろしく頼む、などと言われては断ることができようはずもない。こうして、シレフィアンはジャベルレン家の一員となったのだ。
 彼がやってきた後、館は人の出入りが激しくなった。最初は、隻眼《せきがん》の鬼将軍と恐れられている父に何とか取り入ろうとする、小役人たちがシレフィアンに会いに来ていた。しかし、時が経つにつれ、来訪者の顔ぶれは変わっていく。そしていつしか、老若男女問わず、文官も武官も神官も、高位に在る者たちが入れ替わり立ち代わりシレフィアンの元を訪れるようになっていた。堅く閉ざされた扉の向こう側でどのようなやり取りが交わされていたのかは伺い知れなかったが、神官という職位自体に馴染みのないティヴィアである、気にかけることなど稀であった。
 その来訪者たちの中にルキスがいたのか?
 そんなわけがない、とティヴィアはすぐに否定する。金の髪はイスエラで滅多に見かけるものではないし、たとえ髪の色を染め変えていたとしても彼ほど容姿端麗であれば人の目に留まらぬはずはない。館で働く女たちならば、こちらが尋ねずとも口の端に上らせていただろう。シレフィアンに負けぬ美しき男が来た、と。だが、そのような話をティヴィアはついぞ耳にしたことがなかった。
 第一、ジャベルレン家はイスエラの首都、それも中心部に居を構えている。代々、王家に仕える名門の館を異国の人間がそうそう容易く訪ね来れるだろうか? ――やはり、ルキスはジャベルレン家の門をくぐってはいまい。
“彼とは因縁めいた間柄だ”
 彼女が敬愛する金の将軍は、つい今しがた、シレフィアンとの間柄をそのように語った。
 因縁めいた、という言葉には、昨日今日知り合った浅い仲ではないという意味合いが含まれているように思える。しかし、国交と呼べるものがないラリフとイスエラ、その中枢にいる人間同士が知り合う機会など……。
 そこまで考えていたティヴィアは扉の開く音で我に返った。金の将軍が戻ってきたのだ。
 ルキスは片手で扉を閉め、相変わらずの無感動な眼差しでティヴィアを見つめる。
 溜飲を下げ、緊張した面持ちで姿勢を正すと、彼は手に持っていたものを投げて寄越した。
 何であるのか確かめもせず、ティヴィアはそれを受け取る。これは、と言いかけて彼女は口を噤んだ。
 胸元にかき寄せるように抱きしめれば、懐かしさに似た想いが去来する。イスエラを出て以来、肌身離さず持っていた愛剣だ……。
「ルキス様……」
「覚えておけ、ティヴィア。次にお前が剣を手離せば、それはお前の死を意味する。私が、お前を斬る――私が必要としているのは剣士だからだ」
 剣を持たぬお前など要らぬのだ。そのように告げる金の将軍に、ティヴィアは深く頭《こうべ》を垂れる。
 彼が無情だとは思わなかった。
 それよりも、言われるがまま、剣を手離した己が愚かだと恥じた。剣士は己の剣を命尽きるまでその身に帯びていなければならないというのに。
「お礼の言葉もございません、ルキス様」
「働きでもって返せばよい」
 言い置いて、ルキスは展望台《バルコニー》へ歩いて行く。
 まだまだ言わねばならない――謝罪せねばならない――ことがティヴィアにはあった。だが、彼女は顔を上げてそれらを飲み込んだ。ルキスは既にティヴィアを見てはおらず、それは取りも直さず、彼女の諸々の失策を不問に帰すという意思の表れに相違ない。
 それに、働きでもって返せと言ったのは、この話はもう止めよ、という婉曲的な命令とも取れた。どのように言を賑わわせても、そこから生まれるものがなければただの時間の浪費でしかない。ここは、彼の言うように今までのことは己の胸に仕舞い込み、これからの働きでもって報いるほうが有益だ。
 無言のティヴィアの視線を受けたまま、ルキスは1人で展望台《バルコニー》へ出た。何を考えているのか推して知ることも許さぬ男は、部屋に落ちて広がる沈黙を気にもせず、水晶樹を遠く眺めた。閃光にやや目を眇めながら。
 金の髪が歓喜の声を上げるように光沢を放つ。ティヴィアは“聖女”を見たことがなかったが、そのようにして光の中に佇むルキスは神々しく、このラリフという帝国の支配者に相応しく思える。
 ――なぜ彼は“聖女”に取って代わらないのだろうか?
 ティヴィアは最強の名をほしいままにしている彼に声も無く尋ねた。
 現在、実質的にラリフを支配しているのはルキスだ。彼は特筆すべき剣技の持ち主であるが、同時に統率力にも秀でていた。イスエラの王とは異なり、何があっても表に出てこない“聖女”よりもルキスの方が国の頂に立つ人材のようにティヴィアには思えてならない。
 金の将軍は、事あるごとに“聖女”を立ててきた。ラリフ国民にとって“聖女”というものの存在意義が大きいからかもしれないが、聖都兵の中には“聖女”ではなくルキス個人に忠誠を誓う者も少なくない。何をしているのかわからない“聖女”よりも、何かをなすことのできる――あの『賢者』さえも滅ぼしえた――ルキスの方が兵には魅力的なのだ。ルキスが“聖女”の御首《みしるし》を挙げたとしても、聖都軍の兵たちは反発するよりも彼についていく道を選ぶであろう。ティヴィアならば、そちらを選ぶ。
 だが、ルキスは“聖女”を蔑《ないがし》ろにするつもりなどないようだった。その証拠に、水晶樹を眺めていた彼は口を開くと、聖都に戻り“聖女”を守れ、とティヴィアに命じたのである。
「“御使《み つか》い”がそろそろ勘付くはずだ。私が聖都にいないことに」
「……“御使い”……あの少女ですか?」
 ティヴィアは記憶を掘り起こし、“御使い”を脳裏に描く。
 レーレで掴まえた少女――“御使い”ファラリス。
 次期“聖女”と聞いていたのだが、見る限り、彼女に何かしら特別な力があるとは思えなかった。
 彼女の金の髪と白い肌は、ラリフ国民にとって特別なものだというのは知っている。が、聖都に潜入してからというもの、ティヴィアはそれらに見慣れていたためか、平凡な少女にしか見えなかった。もっとも、顔の造形を今でも覚えているのだから、本当に平凡というわけではないのだろうが……ルキスやシレフィアンといった者たちを知るティヴィアにとっては、“御使い”の少女に特異性を感じはしなかった。
「たとえルキス様が不在でありましょうとも、聖都には兵たちがおります。あの少女が何かできるとは思えませんが?」
 “御使い”ファラリスは、時に、次期“聖女”であると感じさせる物言いをする。だがしかし、彼女が剣を手に取り、聖都兵を倒す図は想像し難い。それが『賢者』の王女であれば話はまた別なのだが。
「ティヴィア、あれを侮ってはならない。あれは……最も危険な女となりうる」
「まさか……」
 小さく笑ってみせたが、そんなティヴィアをルキスは一瞥し、自分の意見を翻《ひるがえ》しはしなかった。
 代わりに彼は、命令を再度繰り返した。
「聖都に戻れ、ティヴィア。戻り、“聖女”を守れ――“御使い”を近づけさせるな」
 あの少女の何がルキスに危惧を抱かせるのかはわからないが、想像を巡らせても答えは導き出せぬだろう。ティヴィアはルキスの内心に迫ることを諦めた。
「御意。……では、ウィングールから一旦出て、飛船を呼び……」
「それには及ばない。聖都へ戻る手筈は私が整えよう。お前には今日中に聖都に戻ってもらう」
「今日中に、ですか」
「私はここに留まるが、な」
「……何かあったのですか、ルキス様」
 先ほどの別れ際の慌しさといい、どこか妙な気配だった。何に対しても急《》いている、そんな印象を受ける。
 金の将軍は、ティヴィアがそのように尋ねることを予期していたのかもしれない。小さく息を吐き、それほど間を置かずに淡々と語った。
「『魔道』の王子がいる。私は彼の相手をしてやらねばなるまい」
「『魔道』の王子?」
 1度、森の中で顔を合わせただけの青年がティヴィアの脳裏によみがえる。
 不敵そうな面構え、畏怖すべき力……後に彼が出奔した『魔道』第1王子、ラグレクト・ゼクティだと聞いて、ティヴィアは納得すると共に身を震わしたものだ。
 あれが『魔道』なのか、と。
「何の用があって『魔道』の王子がここに?」
「さて……ウィングール自体に用があるわけではなかろう。彼は追ってきただけに違いない」
「追ってきただけ?」
「『賢者』と『剣技』をな」
 さらりと言われた内容を飲み込んだのは数瞬後。
 彼女は内心の驚愕そのまま、声を上げた。
「『賢者』と『剣技』もここに?」
「3族揃いぶみというわけだ」
 事も無げに告げるルキスの心が読めず、ティヴィアは剣を握りしめた。
 3族が揃う……何の目的あってのことかはわからないが、ルキスと対面すれば彼らは戦いを挑んでくるだろう。そうされるだけのことをルキスは行っているのだ、彼らに対して。
 『賢者』『魔道』『剣技』――いずれの王族ともティヴィアは対峙していた。その中で『魔道』の王子のみ、実際に剣を交えてない。ルキスの表情から察するに難しい相手ではないらしいが……。
(3族が力を合わせたらどうなる?)
 不可思議な力を操る彼らがまとめてルキスに襲い掛かってきたならば?
 予測できぬ範疇の想像に対し、ティヴィアは迷いもなく己の行動を決す。
「私もここに残ります。3族同士、結託する可能性もございますれば……」
 共に剣を取ります、という言葉は無下にも遮られた。
 冷然と言い放つルキスの声音によって。
「それには及ばない」
 一切を拒否する語調。
「ルキス様!」
 そんな風に言われるなど思いもしなかったティヴィアは、食い下がる。
 戦力はあればあったに越したことはない。自分は彼の足手まといにはならぬという自負がある。だから、拒絶されても食い下がらずにはおれない。
「私も……」
「くどいぞ、ティヴィア。先ほど私の命を受諾しただろう?」
「しかし……」
「お前にはどうあっても“聖都”に戻ってもらう。……ウィングールは、今宵、崩壊する。残られては、私が動きにくいのだ」
 崩壊――それが音の羅列ではなく意味をなす語であることをティヴィアが理解するまでに多少の時間を要した。
 彼女は、まじまじとルキスを見つめた。眼前にいる美貌の主は、思いつきや酔狂で物を言わない。奇を衒《てら》うために言を弄することもない。それがわかっているから、注視せずにはおれなかったのだ。
「……どういうこと、ですか?」
「別に、都市そのものを破壊するつもりはない。水晶樹が折れては聖都にも差し障りがある。崩壊するのは、監獄都市の支配体制のみだ。――そのように、私が上手く運ぶ」
 まるで、今宵起こることをすべて見てきたかのようにルキスは断言する。彼は有言実行の人だ。言うならば、必ずそうする自信あってのことだろう。だが……彼の言っていることが半分も理解できぬティヴィアは、上手く運ぶと言われてても安心できなかった。
 カオルは、とルキスはウィングール都市長を敬称もつけず呼び捨て、微笑を浮かべながら続ける。
「いつか殺らねばならぬと思っていた。あれを倒せば、ウィングールは都市の機能を麻痺させるだろう。役者が揃った今を逃す手はない」
 歌うようにゆるりと紡がれる言葉に満ちている死の香り。
 蠱惑《こわく》的な笑みが背筋に冷たい汗を走らせる。
「邪魔をするな、ティヴィア」
 残ります、という主張は喉の奥で凍りついた。
 笑んだ瞳の中で、歪んだ光が妖しいくらいに煌いている。底冷えするような蒼い双《ふた》つの瞳の中で……。
 軽く頭《かぶり》を振って、ティヴィアは心から追い払った。得体の知れぬ恐ろしさを、必死になって追い払った。その上で、彼と目を合わせぬようにしつつ尋ね訊く。
「では、3族とウィングール都市長、双方を相手にすると?」
「同時に、ではない。カオルは、『魔道』の王子の相手が終わった後だ。それまでは、他の者たちで、せいぜいカオルの体力を削っていてもらおう」
「ウィングール都市長は武に秀でた方とお聞きしております。……『賢者』と『剣技』で対抗できるとお考えですか?」
「さて、な。だが――」
 そこで一旦切り、ルキスは優雅に腕を組む。
「『剣技』と共にギガの都市長も来ているようだ。いくらカオルが“配合種”だろうが、それだけを相手にすれば勝機も少ないだろう」
 ギガの都市長といえば、“真紅のキーファ”と恐れられた男のことだ。
 直接の面識はないものの、ギガ都市長の二つ名は嫌というほど耳にしていた。“真紅のキーファ”は元々がサラレヤーナの傭兵であったため、あの街で嘘か真かの区別がつきかねる逸話を山というほど聞いている。
 しかし、ティヴィアがルキスの話で最も気にかけたのは、「ギガの都市長」とは別の部分だった。
「“配合種”とは?」
 ルキスは言った。いくらカオルが“配合種”だろうが、と。
 “配合種”――ティヴィアにとって初めて聞く響きの言葉である。金の将軍の口ぶりでは、ウィングール都市長の強さの秘訣は、その“配合種”にあるらしい。
「……掛け合わせ、という言い方ならわかるか、ティヴィア」
「掛け合わせ……食物を栽培する方法でございましょうか?」
 異なる特性・属性を持つものを合わせ、必要となる部分のみを抽出し、新しく別のものを生み出す手法を「掛け合わせ」という。
 大洋の向こうから運ばれてきた技術であるとも、大陸の遙か西から伝わってきた技術であるとも言われているが、興りは不明である。
 ラリフ帝国では「掛け合わせ」という言葉はそれほど知られていない。
 肥沃な大地を多く持つこの国は、自国で生み出したもので民をまかなうことが可能であった。
 3族は絶えず上空に在る。彼らが他国からの侵略は阻んでいるため、ラリフは国土が荒れた過去を持ち合わせない。悪天候などで不作の年もあったが、内政が錆びぬことを知らぬ歯車のように回っているのだ、流通経路は元より備蓄など保管体制もしっかりしている。
 食物供給が安定していれば、それを元手に貿易による売買を円滑に行えた。無いものを作り出す技術を長年かけて編み出すよりも、年に数回、レーレに着く船場から仕入れた方が安価で確実……「掛け合わせ」という言葉自体がそれほど知られていないのは、使う機会がない背景があるからだ。
 隣国イスエラは、その逆である。
 砂漠と呼ばれる不作不毛の地帯を多く抱える――歴史書を紐解くに、その広さは徐々に増している――イスエラにとって、食物の需要と供給は常に不均衡だ。需要の方が大きい。
 気候などから屋内に留まる時間が長いため織物などの技術は他国の追随を許さないが、それはしょせん加工技術。ラリフのような貿易を行うことはできず、ともなれば、自然に「在るものを活かそう」という発想に行き着く。イスエラにおいて「掛け合わせ」とは生きていくための方策であるとも言えるだろう。
「その“掛け合わせ”によってカオルは生まれたということだ」
 言って、ルキスはティヴィアを見やった。
 ティヴィアは何か言おうとしていたが、何を言っていいのかわからないようだ。表情が明確に、話について行けていない、と物語っている。
 内心苦笑しつつ、彼はわかりやすいと思われる例を挙げてやることとした。
「『賢者』はどうやって生まれてくるか知っているか、ティヴィア」
「え……『賢者』は……あっ」
 言い切らぬうちに理解した生徒に向かってルキスは頷く。
 3族のうち『魔道』と『剣技』は一族の中で繁殖を行う。だが、『賢者』は別だ。自族と『魔道』もしくは『剣技』のいずれかの血を合わせることによって次代を生み出していた。
 無論、『賢者』とて自族の中で子をもうけてはいるだろう。他の2族に完全依存しなければ立ち行かぬ一族など、いつかは廃れるに決まっている。『賢者』はルキスが滅ぼすまで『魔道』『剣技』と共に帝国の要となっていた、それは自族内で血を繋げることができた何よりの証だ。
 それでも、『賢者』は他族の血を入れ続けた。それはなぜか。……強大な力を有した者を自族内では生み出せなかったからではないだろうか?
 自分たちで黒髪黒目の人間を生み出すことはできる。しかし、『魔道』や『剣技』の王族並みの『賢者』を自力で作ることが彼らにはできぬことだったのだ。実際、ルキスが戦った『賢者』たちは、王族以外は話にならぬほど弱かった。
 だがしかし、『賢者』にそのような事情があったことを他の2族は知らないであろう。『賢者』は悟らせなかったに違いない――それこそが、黒髪黒目の一族を『賢者』と言わせしめたゆえんかもしれぬ、とルキスは思う。
 己の目的のために利用する相手を『賢者』は一方に限定しなかった。『賢者』は徹底して2族との距離を均等に保った。そうすることで、『魔道』にとっても『剣技』にとっても、自分たちにはない力を操る一族は敵とも味方とも言えぬ位置にあり続け、安易に手を出させぬよう謀ったのだ。
 『賢者』がどちらかに寄り添えば、数の上で不利となった方は胸中穏やかではなくなる。自分たちを滅ぼしにかかるかもしれぬ、と疑心の海へ沈むであろう。かといって、将来の憂いを払うために『賢者』の内情を探り、それが『賢者』の不興を買えば、話は元も子もない。
 いっそのこと『魔道』と『剣技』が手を結び、『賢者』を滅ぼせばいいのだろうが……どちらかが裏切らぬとも限らぬ。双方共に、己の一族の中には黒髪黒目の子を成した者がいるのだ。情愛は、時に血に勝る。
 『賢者』は、そのような関係を作り、操り続けた――見事な手腕である。
「では、ウィングール都市長も『賢者』のように意図的に血を掛け合わせて生まれたのだ、と?」
「そのとおりだ。だが……正確を期すならば、カオルは『賢者』のように生まれたわけではない」
 ルキスは、ちら、と背後を顧みる。
 展望台《バルコニー》には誰の気配もない。話に出た『魔道』の王子が追ってきてないことを確認し、彼は声調を落とす。
「……ティヴィア、このウィングールがなぜ罪人を一箇所に集めて投獄していると思う?」
 突然の話題転換と思ったのか、イスエラからやってきた赤髪の剣士は即座に返答しなかった。小さく数回瞬きをし、述べる答えを確認しているようだった。
「それは……聖都の自給を担うためと、それから、地上の治安の維持のためでは?」
「そんなのは表向きに決まっている。ウィングールが罪人を集めるのは、なるべく多くの、自由にできる素材が欲しいからだ」
「素材?」
 この場で用いるには不適当だ、と言わんばかりにティヴィアが声を裏返す。
 けれどもルキスは、「そう、素材だ」と同じ語彙を使ってみせた。
「いつでも抹消できる素材なのだ。集められ、その強さよって4つに大別させられる。そして、目的を考慮した後、その素材を掛け合わせ――作り出すのだ」
「……何を、ですか?」
「人を、だよ」
 ティヴィアは口を開いたまま固まった。
 外から届く歓声が、場違いなまでに明るく響く。話の非現実性を高めようとするかのように。
「……強い者を意図的に生み出している、と? そのために、ウィングールがあるのだ、と?」
「そうだ。お前も知っているだろう? 暗殺者や密偵は、この都市から生まれていることを」
 監獄都市ウィングールの別名は暗黒都市。
 この、地下にありながら光溢れる都につけられた別称の由来を、知らぬとは言わせなかった。ティヴィアにそれを教えたのはルキスだ。
「この都市では、人の命は偶然によって授かる産物などではない。計算によって、必然的に生み出される……ここでは、人は人の腹からは生まれぬ、細い管《くだ》から生まれるのだ」
 想像力の限界だろう。ティヴィアの眼差しは混迷を極めている。
 確かめるように呟きが唇から零れ出た――管《くだ》、と。
 たった一言。管、と。
「カオルはここで生まれた。“配合種”として、前《さき》のウィングール都市長の手で“作り出された”のだよ」
 食物と同じように。
 罪人たちから取り出した種。
 水晶樹によって収集・凝縮された光。
 それらが人の形を生み出し、そうして育て上げるのだ――目的に合致した種類の人間を。
「そんな……そんなこと……」
 茫然自失のティヴィアはうわ言のように、無意識にこう言った。
 そんなこと、神がお許しになるはずがない、と。
(神、か……)
 ルキスはティヴィアに見えぬように眉をひそめた。
 神……太古の昔、人を作り出したという神。どこの国にも存在する、崇拝の対象たるもの。
(いるものか、そのようなものなど)
 もし実在するというのなら、なぜ姿を現さぬのか。
 なぜ、人々に祈らせることだけさせておいて、その願いを聞き届けはしないのか。
 神など、この世界のどこにもいない。
 ゆえに、カオルが生きている。
 ゆえに……3族も存在している……。
(それに、神がいたならば……“彼女”は苦しまなかったのだ)
 ルキスは俯き、唇の端を緩やかに上げ、瞳に暗い火を灯した。
 そうして彼は指を伸ばす。腰に佩いた剣へ――神の代わりに己の意を叶えてくれる唯一のもの、へ。


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