Deep Desire

【第10章】監獄都市ウィングール

<Vol.2 不測>

 水晶木がこぼす白銀の“陽光”を受け、剣は強烈な閃光を放った。
 それはジェフェライトに、ウィングールに着くまでに出会った野生動物たちの眼差しを思い起こさせた。獰猛な、危険に満ち満ちた眼差しを――。
 彼の連想が誤りでないことを示すように、次の刹那、剣はジェフェライトの胸元に飛び込んでくる。
「……っ……!」
 針のように尖った先端は彼の身を貫こうと迫り、それは風のごとき勢いであった。
 上半身を捻るようにしてかわしたものの、左腕の衣服がわずかに破れ、ジェフェライトは渋面を形作る。意表を突かれたとはいえ、ハルカの攻撃は予想外に早い。
 回避した動きそのままの流れで、ジェフェライトは右後方へと下がる。間合いを取ることを選んだのだ。ただ、そうやって距離を取り、いつでも剣を合わせる体勢を整えながらも、右手に握った「選定」用の剣を構えることはしないでいる。
 まだ、戦う気持ちにはなれない。……目の前に佇む美女がハルカだから。
 短くなった金の髪と柔和さの欠片も見出せぬほど冷酷に輝く赤眼は、ジェフェライトが今まで言葉を交わしたハルカとは明らかに別人の雰囲気を醸し出していた。
 が、それでも、彼女は“ハルカ”なのだ。
 キーファリーディングの片腕にして恋人、副都市長サクヤの想い人。
 その彼女がウィングールの4人目の「選定」者として目の前にいる――ウィングールの都市長ではなく彼女が。
 困惑が未だにジェフェライトを支配し、剣士としての本能を抑さえこむ。果たして、事情もわからぬまま戦ってよいものか……彼には判断がつかないでいるのだった。
 ジェフェライトの動揺を見透かしているのか、ハルカは彼へと向き直ってから唇の端を歪めて笑った。
 それから、心持ち顎を上げ、上位階級の者が持ちうる傲慢さを体現させながら、彼女はゆっくりと言葉を綴る。
「……私が4人目では戦う気も起きないか、ジェフィーとやら」
 怒号に等しい罪人たちの雄叫びの合間を縫い、凛とした声音が問いかけてくる。あからさまな挑発であることは、火を見るよりも明らか。
 ちら、と周囲を盗み見たジェフェライトは、自分の近くにはハルカ以外、いないことに気づいた。キーファは、「選定」が始まったと判断されたからなのか、別の場所に移動させられたらしい。ならば、問いかけに答えるのも、また、こちらの疑問をぶつけるのも自分の役割なのだと彼は理解して口を開いた。
「ハルカさん……あなたはなぜ、この場所に立っていらっしゃるのですか? それと……」
 先ほどまでは感じなかった喉の渇きに焦るような面持ちで嚥下し、いったん止めた台詞をジェフェライトは続けて言う。
「テスィカさんはどこに?」
 ハルカとテスィカは、共にギガから消えた。彼女たちを追うように、彼とキーファは急ぎ足でウィングールにやってきた。
 だが、テスィカは闘技場にはいない。
 この、自分たちを取り囲む罪人たち1人1人に目を凝らさずとも、求める『賢者』の王女が傍にいないことをジェフェライトは知っていた。
 自分の髪も瞳も未だに灰色だ。元に戻った気配はない。
 婚約者は近くにはいない。
「テスィカ? ……さて、誰のことだか……お前は私を誰かと間違えているのではないか?」
 鼻で笑うように言い返し、それからハルカは胸を張って毅然と名乗ってくる。
「私はウィングール都市長カオルの妹にして、副都市長であるハルカ。4人目の選定者としてこの場に立つ権利はあろう」
「妹……副都市長!?」
 受けた衝撃のままに、ジェフェライトはハルカの台詞を反復させる。
 そんな馬鹿な、との内心の叫びは寸でのところで飲み込んだ。
 大都市の都市長・副都市長・秘書官は他の都市の官職を兼任してはならないのが約定だ。反すればそれは権力の集約を図った、つまり、帝国の支配者たる“聖女”への叛乱と見なされ、聖都軍および3族の討伐対象とされる。いくらウィングールが特別な都市とはいえ、兼任を良しとする例外は認められまい。
 キーファも、彼女がウィングールの副都市長だと知っていれば……。
(知っていれば……?)
 ジェフェライトの思考はそこで一時停止した。
 彼は頭の中を短時間で整理する。
 キーファは言っていた。ハルカがウィングールの出身であると。
 ……大都市の幹部職ともなれば、任ずる前に出自を入念に調べるはずだ。都市を支える柱が傷物では、後々、都市運営に支障をきたすから。ハルカがウィングールの出身であると知っていたキーファたちならば、必要以上に詳しく、彼女の過去を調べ上げたに違いない。そうでなければ、秘書官になど任じられない。
 キーファは大雑把な性格ではあるが、何が大事なことかは心得ている。それに、彼の片腕である副都市長サクヤが、いくら好きな相手であったとはいえ、私情を挟んで白黒はっきりさせぬまま監獄都市から来た者を傍に置くことに了承するとも思えない。
(……キーファ様たちは知っていた?)
 彼女がウィングールの副都市長であることを……知っていながら、ギガの秘書官とした?
 そんなことをしても、ギガには百害あって一利なし、だ。
 存在さえも曖昧とされ、情報の入りにくい監獄都市が相手であればこそ実現した話なのかもしれないが、事情を知っている者が“聖女”やルキスの話を耳うちすれば真実はすぐさま露見する。そうなれば、ギガは暫く自治を許されぬこととなり、外部からの来訪者が落としていく金銭で成り立っている歓楽都市は崩壊の末路を辿るしかない。当然、キーファリーディングもサクヤも命を落とすことになる――ハルカをギガ秘書官とするのは危険性ばかりが目立つ。
 しかしながら、ハルカはギガの秘書官であった。そして、当然、それを聞いて知っていたはずのウィングール側は何のリアクションも起こさなかった。
(……なぜ……?)
 どの都市であっても、副都市長であれば“外部に漏らしたくない”秘密を山ほど抱え込んでいる。すぐに自都市へ戻るよう手はずを整えるか、あるいは、何もしゃべれないようにするか……そういった手段を講じる必要性があるだろう。
 それを、ウィングールは放っておいた。
 水面下で対策を練っていた? ――いや、それはない。きっと。
 ウィングールが行動を起こすのであれば、長期戦にならないよう策を講じねばならない。月日が経てば経つほど、情報が漏洩する確率は増す。それこそ、『剣技』の第1王子であるジェフェライトでさえ知らなかった監獄都市の位置など、容易に口に上りやすい話は人々の好奇心を煽りながらものすごい速さで伝播していくことが想像できる。
(……どうして、ウィングールは何もしなかった?)
 何もしなかった?
 ――何もできなかった?
 できない理由が何かあったとは考えられないだろうか。
 起こったことを“聖女”の耳に入れれば、そのときの現状を知るために、聖都軍も3族も監獄都市に足を踏み入れることになるが……。
(それを回避したかった?)
 外部に知られてはならない何かを、この都市が隠しているとしたら……。
「戦う決心はついたかな、ジェフィー」
 思索の深みに沈んでいくジェフェライトの意識を引きずりあげたのは、ハルカの声。
 彼女の艶やかな、形の良い唇にはいつの間にやら笑みが消えていた。
 心に降って沸いたたくさんの疑問が、答えを求めて脳内を駆けずり回っている。ただ、どうやら絡まりあっている糸を解していくには多大な時間が要るようだが、その作業に当てている暇など持てそうもなかった。
 静かに深呼吸をし、ジェフェライトは剣の握る手にほんの少し力を込めた。
 そして、戦う前に1つだけ繰り返し尋ねた。
「テスィカさんは、どこに?」
 腕をまっすぐに伸ばし、鋭利な切っ先をジェフェライトへ向けたハルカが目を眇める。
「……ジェフェライトさん、その答えは私に勝った後に教えてあげるわ」
 “ジェフィー”ではなく“ジェフェライト”と呼ばれたことで、彼は一瞬、目を見張る。
 ハルカの攻撃は、その隙を縫うように繰り出すことで繰り出された。
 ――それを合図に、選定は始まった。



「えぇい、退け!」
 行く手に佇む者に躊躇なく罵声と剣を振るい、カオルは闘技場へ駆けつけた。
 喧騒は耳に痛いほどで、行われている「選定」に観衆は酔いしれているようだ。その歓声は、普段であれば彼を奮い立たせるものであるのだが、今はひどく煩わしい。
「選定は!?」
 闘技場への出入り口を守る兵に訊きながら、その実、カオルは自身の目で中の様子を観察した。
 彼が妹の戦う姿を見たのは、数年ぶりのことである。その動きは俊敏で、優雅ささえ感じさせ、副都市長の名に恥じぬ戦い様だと言えた。
 しかし、剣を扱う者として、彼の瞳は現況を把握していた。――ハルカは押されている。
 灰色髪の罪人は、ハルカの突きをよく避け、良いタイミングで懐に入り剣を小さく振るっている。戦い方に正しいも正しくないもないが、罪人の戦い方は状況に最も適したものであると彼は断じた。
 ハルカのスピードと武器を考えるに、彼が襲い掛かる突きをいちいち弾くならば次の動作は遅れ、また、胸元もがら空きになる。ハルカの攻撃は、かわすか剣で受け流すのが好ましい。また、隙が見つかればそれに乗じて反撃に転じているが、そのときに小さく剣を動かしているのは次の行動に移りやすくしながらも剣の刃こぼれがひどくない部分で攻撃しているからなのだと推測できる。
 カオルは目を眇めた。
 灰色髪の青年は、ただの罪人ではあるまい。
 剣の型もきれいだ……正規の剣術を学んだことがある、自分に近い力量を持った、もしくは、その素質を持った青年だ。
 不意に、わぁっと熱気のこもった声が闘技場を揺らした。
 ハルカが地に膝をつけ、武器を取り落としている。無論、その首筋には「選定」を受けている罪人の剣が突きつけられている……勝敗が決したのだ。
 カオルの予想したとおり、ハルカの敗北という形で。
 彼は、腰に帯びた剣を鞘ごと手に取り、門の衛兵に命じた。
「開けろ」
 一歩足を踏み入れると、闘技場の歓声が四方八方から降ってくる。が、それもわずかな間のことで、罪人たちは彼の姿を見、歓声を秩序のないざわめきへと変じさせる。
 誰もが不思議に思っているのだろう、4人目の選定は終わったのに、そのときに現れなかったカオルがなぜ今さら現れたのか、と……。
「お兄様……」
 呆然とハルカが彼を見た。彼も妹を間近で見た。
 ……罪人の攻撃を交わしきれなかったのだろう、小さな傷を彼女はいくつも負っている。そのどれもが、急所に近い場所であることをカオルは見抜き、感嘆する。
 ぜひとも、自分の傍近くに置きたいものだと思いはしたが、彼の中では妹への情愛が勝っていた――ハルカを傷つけた罪人を許すわけにはいかなかった。
「罪人。お前の名は?」
 カオルは目線を妹から勝者へと移行させる。
 ウィングールへ来る者が持つ、罪を犯して生きてきた者独特の影が微塵も感じられない、どこか気品さえ感じさせる顔立ちをした青年だ。
 どこかで見覚えがあるように思えた。しかし、どこでなのかがわからない。
 彼は、そんなことなどどうでもいいと素早く結論を出した。
「名は?」
「ジェ……ジェフィー」
 緊張している風には見えないが、青年はどもる。
 カオルは軽く髪をかきあげ、彼に微笑む。
「ジェフィーか。そうか。ハルカに勝つとは……運がなかったな!」
 笑んだまま、言い切る前にカオルは抜刀し、ジェフィーへ切りかかった。
 相手は完全に虚を突かれ、剣が血飛沫を舞い上げる。――はずであった。
 驚愕に目を見開くジェフィーはカオルの剣を受け止められずにいた。が、彼の代わりにカオルの攻撃を防いだ者がいたのだ。
 闘技場は、さらなるざわめきと、それを打ち消す歓喜の声で包まれる。
「……ルール違反は歓迎できねぇな」
「貴様が邪魔をするか、キーファリーディング!」
 奥歯をかみ締め、あらん限りの憎しみを込めた眼力でカオルは目前にいるギガ都市長を睨《》める。
 自分とは対照的に、キーファリーディングがそこで笑ってみせた。赤い双眸には真摯な光を残したまま。
 2つ名を思い起こさせる瞳を凝視し、カオルはさらに剣に力を込める。
 気に入らない。自分と同じその瞳の色が、気に入らない。
 長い間、自分の代わりにハルカがそれを見つめていたと思うと、気に入らない……!
「選定は終わったはずだ。その勝者に不意打ちなんて汚すぎるんじゃねぇか?」
 言うと、キーファリーディングはカオルの剣を弾《はじ》いた。飛び退《すさ》り、カオルは肩を揺らして笑う。
「その剣は貴様自身の剣か……貴様に帯剣を許した兵は後でゆっくり刻むとしようか」
「責めるのは酷だぜ。大都市の都市長から剣を取り上げることができる無礼な兵なんて、その場で俺が斬ってるさ」
「無礼? ――さて、無礼なのはどっちかな、キーファリーディング。「選定」の結果に口なんて挟まないで欲しいね。ここでは僕が都市長だ。このウィングールでは、僕の決定がすべてなんだよ……何人に勝とうとも、僕が許さないといえば、それまでだ!」
 カオルは再び踏み込んだ。
 相手の胴を水平に薙ぐように、両手で剣を繰り出す。風を切る音さえ後からついてきた、早い打ち込み。
 しかし、キーファリーディングは剣を垂直に立てるようにして攻撃を受けた。その構えでは大して力など入れられぬはずなのに、カオルの剣は遮るものを押し切ることができずにいる。
 彼は吐き捨てるように言うしかなかった。
「この、馬鹿力がっ!」
 力を抜くと同時に彼は側面に回ろうと動く。が、それは当然読んでいた動きだったのだろう、キーファリーディングはカオルと向かい合ったまま、同じように動いた。
「売られたケンカなら買うぜ」
 城内では決して聞くことのない不遜な挑戦状にカオルは言い返す。
「――貴様から売ったケンカだろう!」
「何のことだ?」
「覚えてないふりなんていやらしいね。妹が長らく世話になった礼、僕の剣で返させてもらうよ!」
 カオルは剣を振り上げる。
 相手の顔から余裕の笑みが一瞬で抜けきったのを確認し、彼は辺りはばからず本気でキーファリーディングを殺しにかかった。



 遠くの歓声が強くなった気がして、テスィカは目をそちらへと向ける。
 手近なところに窓はない。外が見えるわけではないが、闘技場で何が起こったのか、それが気になったのだ。
 闘技場での「選定」は長引いていた。もっとも、ハルカに報告していた者の話から推察するに、「選定」を受けている罪人ジェフィーは間違いなく『剣技』の王子、ジェフェライトだ。そう簡単に負けるわけがない、長くかかるのは予想通りともいえた。
 壁に背を預け、誰の人影も見出せぬことを確認してテスィカは通路に出た。
 目指す扉は、手前から2番目。そこだけ、鍵がかかっている……中に何があるのか、ハルカでさえ知らない。
(外にことに気を取られず、私はあの部屋の中を探ればいい。大丈夫だ、ジェフェライトは4人目にも勝ち抜く)
 それは願望ではない。予想でもない。
 起こることが決まっている事象。
 ジェフェライトは4人目の「選定」に勝ち、その剣技に驚嘆した選定者のハルカは彼をカオルに推挙するのだ。転移門《テレポートゲート》を守る護るうちの1人として。
 そうすれば、転移門周辺のことはジェフェライトに探ってもらえる。
 都市城を探るのはテスィカ1人の役目になるが、城内に明るいハルカがいれば何とかなるだろう。
 本音で言えば、ジェフェライトが近くにいてくれた方が心強い。なぜならば、この城内にはルキスがいるという話だ。
 ルキスは誰にも渡さない、自分の手で葬りたい――そんな想いの強いテスィカであるが、自分の力が金の将軍に遠く及ばぬことを彼女は熟知していた。だから、いつルキスと鉢合わせするかわからぬ城内では、ジェフェライトと一緒にいたかった。
 けれども、それはできない。擬態が解けてしまうからだ。
 聖都への転移実行までは、3族であることを何としても隠さなければならない。互いの存在を感知する距離にいてはいけないのである。
(私1人で十分だ)
 部屋の扉に背をつけ、用心深く周りを見ながらテスィカは胸元から鍵を出す。
 それを鍵穴に差し込もうとしたそのとき、話し声を聞こえてきた。テスィカは慌てて反対側にある扉に飛びつき、中に身を滑り込ませる。
 使われていない倉庫のような場所だった。埃が舞い、テスィカは手で口を塞ぐ。
 気を緩めれば咳き込んでしまいそうになるのを意思でもって何とかした。
 やがて、隙間から覗ける、鍵のかかった部屋の前に男が2人やってきた。腰に剣を佩いた、屈強そうな男が2人。
 テスィカは息を殺し、会話を聞き取ろうと耳をそばだてた。
「――には、ルキスと引き合わせたがっているらしいぜ、カオル様は」
「何を考えているのだか、俺にはさっぱりだな。大体、鍵をかけて閉じ込めといて、客人も何もねぇんじゃねぇのか?」
「だよなぁ。閉じ込めるんだったら、俺らのお相手として欲しいくらいだぜ」
 下卑た笑いがこだまし、テスィカは眉間に皺を寄せる。
 好きになれそうもない男たちのようだ。彼らのおかげで、あの鍵のかかった部屋の中には人がいるのだとわかったが……できれば、2度と会いたくない連中である。
「どうせカオル様にはバレねぇんだから、どうだ、ちょっといい思いでもしていくか? そうそうない機会だろう」
「やめておけ。そりゃ確かに2度とねえ機会だが、相手は聖都の凄腕、あのルキスの片腕だぜ」
 一瞬の間の後、テスィカは身を乗り出す。
 今、何と言った?
 鍵をかけておいて閉じ込めているのは、聖都の凄腕……ルキスの片腕?
 テスィカは訝る。
 本当にそんなことがあるだろうか? あのティヴィアが、監獄都市に軟禁されているなど。
「おうよ、金の将軍の片腕だからこそ、気になるんじゃねぇか。怯むことはねぇだろう、相手は丸腰だ」
「馬鹿か、お前は。女は丸腰だろうが、事がバレてみろ、金の将軍に殺されるぞ。もしくは、カオル様にバラバラにされるな」
「そう簡単にバレるもんかい。ルキスは女がここにいることさえ知らねぇんだからよ」
「俺がバラす。俺は自分の命が惜しい」
「……ったく、ノリが悪い相棒だぜ、お前は。ほら、鍵、開いたぞ」
 言葉に反応し、テスィカはさらに目を凝らす。
 扉の向こうにいる人物を確かめたい衝動に駆られて。本当に……本当にそこにいるのはティヴィアなのか?
 唾を飲み、男たちの体の影から中が見えるかと思った、その刹那。
「――なっ!」
 小さく叫び、彼女は身体を引いた。
 すぐさま、全身に違和感が走る。風で愛撫されたような感覚。
 時を置かずして、何が起こったか理解した。
 鏡を見ずともわかる。擬態が解けた……!
(馬鹿な……)
 ジェフェライトはまだ闘技場のはずだ。そんなに早く、都市城の、しかも、おいそれと足を運べぬこんな場所にやってくるわけがない。
 でも、擬態は解けた。感覚でわかる。薄暗がりではわからぬが、今の自分に光を当てれば確実に黒い髪と黒い瞳を持っているだろう。
(なぜ解けた?)
 ジェフェライトは……。
 瞬間、テスィカの脳裏に閃いたのはジェフェライト以外の3族の名だった。
(……ラグレクトか!)
 可能性として考えられることはそれしかない。
 『剣技』の宙城で別れたラグレクトが、このウィングールにやってきているのだ。
 ギガでジェフェライトと合流していれば、2人一緒にウィングールに潜入していたとしても不思議ではない。
 ジェフェライトが衆目を引き付け、その隙にラグレクトが城内に忍び込む計算なのだ、たぶん。闘技場の「選定」は剣を用いての戦いだからジェフェライトに任せ、城内は『魔道』で自由に動けるラグレクトが見て回る――2人の適性を考慮した、いい作戦だ。
 テスィカは自分の考えに自信を持つ。
 ラグレクトは近くにいる。
 髪と瞳が語りかけるほど近くに。
(ラグレクト、どこにいる?)
「ル、ルキス将軍!」
 びくり、と身を強張らせてテスィカは背筋を伸ばす。
 心で唱えた名前とは違った人物が登場したようだ。
 遠くから足音が近づいてきていた。そして、玲瓏とした声音も。
「そんなに驚かずともいいだろう。私は自分の部下に会いにきただけなのだから」
 歌うような響きの言葉にテスィカは目を閉じる。
 間違いない。ルキスだ。本物だ。
 剣の腰にそっと手をやり、いつでも抜ける準備をした。一方で、斬りかかりたい心を懸命に抑える。
 早まるな、と自分に念じる。
 1人では勝てないのだ、早まってはならない、と。
(1人では……勝てない……)
 はっ、として彼女は心の中で叫ぶ。
(ラグレクト! どこにいる、ラグレクト!)
 近くにいる。『賢者』が知らせている、近くにいる、と。
(どこにいる、ラグレクト!)
 1人では勝てない。ならば、ラグレクトと2人であれば、どうだろうか?
 向こうはテスィカのことに気づいていない。力の差は奇襲という方法で埋めれば何とかなるのではなりそうな気もする。
(どこだ、どこにいる、ラグレクト!)
 心の言葉で呼び合えたら、と切に願った。
 この声が届いたら、と強く想った。
 歯がゆく感じながら、テスィカはいてもたってもいられず、扉の隙間から外を覗く。
 否、テスィカは息をするのも忘れた。――ルキスと目が合ったのだった。


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