Deep Desire
監獄都市ウィングールは、ラリフ帝国唯一の地下都市である。
巨大な空洞に作られたこの都市は、周囲を岩壁に囲まれているという閉鎖的な空間にありながらも、テスィカの予想を超えた面積を有していた。
展望台《バルコニー》から半ば身を乗り出すようにテスィカは街並みを見渡す。人工的に作られたことが顕著である、整然とした街並みを。
まず最初に目につくのは、中央に配された、聖都を支える水晶木《すいしょうぼく》。それは、水晶でできた木ではなく、屹立《きつりつ》する光の柱と言った方が視覚的には納得がいった。
その水晶木を中心に、四方へ伸びた道によって都市は4つの区画に分けられていた。それぞれの区域では異なるものを育てているのだと、傍らのハルカがついさきほど説明をしてくれたばかりだ。
だが、都市城下にある建物は均一の高さと大きさであるため、正直な話、どこも同じようにしかテスィカには見えなかった。
「水晶木には根がないと言われています」
しばらく沈黙を通していたハルカが、燦然と輝く“それ”を指差して話の続きをしゃべり始めた。
誘われるように視線を移し、右手をかざしてテスィカは赤茶色に変えた目を眇める。まるで太陽でも見つめるように……否、このウィングールにおいては、水晶木を太陽と称して過言ではない、それは当たり前の動作かもしれない。
水晶木は地上で内に取り込み、乱反射させた光を、大地の奥深くに存在しているウィングールまで届ける役目をしている。地下に住まう人間にしてみれば、それは正に太陽そのもの。
昼は陽光、夜は月光――本来ならば闇に没しても仕方のない地下都市で、水晶木は地上と変わらぬ幹の姿で支配者として君臨しているのだ。
「ハルカさん……私は植物について詳しくはないが、根のない木などあるのだろうか?」
眼下の情景に背を向けて、展望台《バルコニー》の手すりに身体を預けながらテスィカは純粋な疑問を口にした。
ハルカは考え込む素振りも見せず、さぁ、と首を傾げてみせる。
「根がないのではなく、現実にはこのウィングールよりもさらに地下深くへ潜った場所にあるのではないか、とも言われておりますけど……」
真実は誰も知らない。消え入った語尾は、そんな意味合いを孕ませていた。
ただ、謎が謎のままであることに対し、テスィカは不安な気持ちになどなったりはしなかった。
“なぜ、そんなものが存在するのか”といった、答えがわからないことなど世の中にたくさんある。
たとえば、“なぜ、3つの部族は不思議な力を使えるのか”……。
「ところで……あそこに?」
意識して声を落とし、テスィカは話題を変える。
部屋には自分とハルカの2人だけだが、警戒し、必要意外な言葉を大幅に省くことも怠らなかった。
無論、テスィカやジェフェライトがウィングールを目指した理由を知っているのだから、それ以上は言わずともわかるだろうという前提あって省略だ。
唇を閉じて、ハルカは目だけで素早く周囲を見た。横目でそれを確認していたところ、彼女は耳元へ唇を寄せてきた。
「いいえ、違います。……転移門《テレポートゲート》はあちら……この建物の反対方向に。振り向いても大丈夫ですから、ご自分の目でお確かめください」
促されるままに再び水晶木と向き合って、テスィカはウィングールの全貌を視界に収めた。
「水晶木を挟み、この都市城《シティキャッスル》と向かい合う形になっているあの館、あそこに聖都への転移門がございます」
自分たちが今いる都市城とは比べ物にならないくらい、小さく、古く、地味な館。何も知らない者が見たならば、あの輝ける聖都への転移門が設置されているに似つかわしくないために、見逃してしまうかもしれない。
それとも、なぜ、他の建物とは違った作りのものがあんなところにあるのか、と心の中で固執するだろうか。
食料の輸送にのみ使われている転移門《テレポートゲート》は、その、華美という表現とは無縁の館にあるという。
「あそこの警備は誰が?」
「ウィングール内で、都市長……」
そこまで言って、ハルカは一旦口を閉じる。唐突に切られた言葉が気になって、テスィカはハルカへ目を向けた。
金の長い髪に顔を埋めるようにわずかに俯いたハルカは、表情に翳りを見せながら静かに続きを紡いだ。
「……兄が、力を認めた者たちに交代制で守らせています」
さらに訊きたいことがあったが、それは胸の奥にしまう。テスィカの意識はウィングールではなく、ハルカという一個人への興味に絡め取られたから。
「……あなたがこのウィングールの副都市長だとは、知らなかった……」
知り得ようもなかった、それはテスィカとてわかっている。
けれど、たとえそうなのだとしても、知った真実が衝撃的なことに変わりはない。
副都市長とは、その名のとおり、都市長に次ぐ者であることを意味する。都市長の良きサポート役であり、同時に、都市長不在の際には全権を担う役でもある。
一都市の副都市長が他都市の秘書官を兼任するなど、聞いた例《ためし》がテスィカにはない。聞くわけがないのだ、各都市の独立性を揺るがすような、そんな話など。
「ギガの都市長殿は、ご存知なのだろうか?」
ひとり言のつもりだったが、ハルカの耳には届いたらしい。
綺麗な、しかし、どこか自嘲気味な笑みでもって彼女は即答をした。
「えぇ……もう、だいぶ前から」
(だいぶ前から知っていた?)
ならばなぜ、キーファリーディング都市長は彼女を自分たちに紹介してくれなかったのだ?
不審な想いがテスィカの心の中を大きく占める。
ジェフェライトがウィングールへ行く旨を理由と共に告げたとき、キーファリーディングはこの美貌の秘書官が別都市の副都市長だとはおくびにも出さなかった。そればかりか、彼女がウィングールの出身だという、そのことさえも彼は言わなかったのだ。
都市に潜入するのであれば、肩書きを活かさない手はないというのに……。
(……何か、おかしい……)
テスィカの内で、漠然とした不安が胸中に広がっていく。どこからともなくなされた投石が凪いでいた水面に幾重もの波紋を描くように、ざわついた気持ちになる。
何かを見落としている気がする。
それが何かはわからないのだけれども……見落としている気がする。
(……一体、何を?)
深い闇に紛れていると思わせる、茫洋とした疑問へテスィカは手を伸ばした。
しかし、それに触れるどころか、掠めることもなく、思考は打ち切られた。
前触れもなく場に現れた第3者によって。
「――ハルカ!」
ノックもなしに扉が開かれた。
突然のことで、テスィカは何が起こったのかわからなかった。それはハルカも同様のはずだが、彼女は一拍の間の後、表情を引き締めた。
「ここにおりますわ、お兄様」
背筋を伸ばし、顔を上げ、凛とした声音を発する。
何事もなかったかのように部屋へと颯爽と歩いてく少女の姿は、いつにも増して美しくテスィカの目には映った。――そして、同時に、いつにも増して……冷酷な気配を湛えているようにも……。
答えの出ない自問自答は、まだ繰り返されていたが、彼女はそれに無理矢理終止符を打った。
ハルカの後を追って無駄に広い室内にやや小走りに入っていくと、そこには1人の男が佇んでいた。
テスィカの足と思考回路が止まる。
豪奢と表現するのが相応しい金色の巻き毛、聖都の人間と見間違うばかりの白い肌、怜悧さを滲ませた鮮やかな赤い瞳――年齢は読み取れないものの、一見すれば誰しも気づくだろう。
美貌の持ち主であることに、彼がハルカの血縁者だということに。
(あれが……ハルカさんのお兄さん……ウィングール都市長)
罪人たちの都市を束ねる者には見えず、テスィカは目を見張っていた。
腰に剣を下げているが、衣服をまとったその下の筋肉など伺い知ることもできぬため、どうしても細身な印象が強い。金の将軍と言われるルキスほどではないにしても、剣の似合わぬ涼やかな容貌であることは間違いなかった。
右の肩から垂らした真紅の布を片手で払いのける動作までも優雅に機敏に行い、男はハルカに大股で歩み寄った。
「カオル様!」
控えていた臣下が止めようと声を上げたが、彼はそれを黙殺する。
ハルカは何も言わず、微動だにせずに男を――兄であるカオルを待っているようだった。
「……ハルカ……やっと戻ってきてくれたんだね」
子供が母親に甘えるような話し口調だ。
だが、カオルの眼差しは肉親へ向けるものにしては、奇妙なほどに熱を帯びている気がして……テスィカはわけもなく、背筋を冷たい触手が撫でていった感覚に震えた。
「ずっと待っていたよ。会いたかったんだ、ハルカ」
彼はハルカの金の長い髪を1房手に取り、そこに口付けを落とした。少女は動じることもなく、何の反応も示さないが。
彼女の代わりとばかりにカオルの動作に呼応したのは、背後に控えた彼の配下だった。
「カオル様! お止めください! その者が本当に妹君とは限りません!」
やつれた身体のどこからそんな声が出せるのかと思わずにはおれない音量で叫んだ配下は、次の瞬間、ひっ、と喉を引きつらせる。
それが飲み込んだ悲鳴だとテスィカが気づいたのは、臣下の方へと振り返ったカオルが剣を抜いたとき。
カオルの顔が見えなくなり、彼がどんな様子であるのか、それは無論読み取れない。
不気味なほどに落ち着いた声音が部屋の中に響くだけだった。
「……僕がハルカを間違えるわけ、ないだろう?」
「カ、カオル様、わ、わた……」
彼の手に握られていた銀の輝きがテスィカの見ている中で弧を描いた。残影は、壁に、床に、天井に、すぐには消えない鮮やかな赤い花を散らす。
ごとり、という不吉な重い音を立てた代物が視界の隅まで転がってくる。
瞬きも忘れ、それどころか、自分が見たものに対して中途半端な理解しかできず、テスィカは立ち尽くした。
「ハルカを汚す者に容赦はしないからね、覚えておくといいよ……って、もう遅いよね、ふふふ」
宣告は、軽い口調でなされる。
傾き、崩れる身体に刻まれた鮮やかな断面に――テスィカの肌が粟立つ。
(……かなりの……使い手だ……)
剣も操る『賢者』の血が語りかけてくる言葉。
しかし、今、感じている恐怖は単純に技量に対するものではない。
『賢者』を滅ぼされ、聖都の追っ手から逃げつづけた日々に、胃が痛くなるほどの恐怖を感じたことがあった。けれど、そのときの恐怖と違う。
これは、違う。この恐怖は、そういうものじゃない。
きちんと言葉では説明できないが、カオルから感じる恐れは、得体の知れないものだ。
怖い、という感情は本能の訴え。
この男は恐ろしい。
切っ先から赤い雫を滴らせた剣を握ったまま、カオルはゆっくりとテスィカへと身体を向けた。
そう、ハルカへ、ではなく、テスィカへ、と。
視線が対峙し、一瞬、身を引きかける。
「……ハルカ、従者を連れ帰ってきたって僕は聞いたけれど、彼女がそうかい?」
甘やかとも評せる声で、穏やかな問いかけ。
「はい、お兄様」
対する答弁は、簡潔に、機械的に。
自分が介在する余地など一切なかった問答。
カオルは、口元に微笑を飾って、テスィカに命じた。
「お前……腰に下げた剣を使うんだ……」
あぁ、と言いかけて、かろうじて「はい」と答えると、金の髪の都市長は濡れる凶刃をテスィカへ向けた。
「ハルカは強いんだよ……そのハルカの従者なんだから、お前は強いはずだろう?」
剣を抜け、とカオルは言わなかった。
その代わり、彼は突然、テスィカに向かって斬りかかってきたのだった。
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