Deep Desire

【第9章】再会が呼び込むもの

<Vol.3 再離>

 時に連なる様子さえ見せながら、悲鳴は断続的に響く。それは同一の者が発したのではないと証明するかのように、副都市長とラグレクトの行く先々で、まだ温かいであろう骸が道しるべのように点々と転がっていた。
「サクヤ様!」
 不意に、曲がり角から飛び出してきた部下にサクヤが声をかけられた。
 彼は、足を止める。さして長い時間走りつづけたわけではないが、彼の肩は大きく上下していた。一緒に立ち止まる理由もないのに、ラグレクトがそれに倣《なら》う。
「侵入者はキーファ様の部屋に……」
「そんなことは、わかってる!」
 無理矢理、部下の台詞をかぶせるようにしてサクヤは怒鳴った。
 目の前の階段を昇れば、階に1部屋しかない都市長の私室だ。報告も兼ねた部下の言葉をサクヤが一喝した背景には、降ってわいた騒動への動揺が垣間見られた。
「お前たちは、転移門《テレポートゲート》周辺と城の入り口へ行くんだ!」
「しかし……」
「お前は、自分の上に立つ者が誰だかわかっているのか!? ――“真紅のキーファ”に心配など無用! それよりも、仲間がいると厄介だ! 退路を断て!」
 平常時の彼よりも厳しく、そして、激しい口調に男は気圧《け お》されるようにして受命の返答をした。
 2人のやりとりを聞き流していたラグレクトは、階上へ目線を移して問う。
「仲間がいるのか?」
 サクヤが、首を左右に振ったのは見ずとも気配で感じ取る。
「知らない。けれど、たぶん、いない」
「殺戮者は1人だと?」
「おそらくは。キーファの命を狙ってきたのであれば、単体の方が動きやすいはずだ」
 ギガの都市城《シティキャッスル》は、増築を重ねた結果として複雑なつくりになっている。特に、都市長や副都市長、秘書官の私室は慣れた者でも辿り着くことは難しい。城内の賭場に出入りする者が、迷ったはずみに……ということは、まずもってありえないような経路の果てにある。
 “真紅のキーファ”には数で立ち向かった方がいいことは自明の理。しかし、キーファの部屋に到達するよりも早く、ギガ兵に勘付かれれば意味がないだろう――袋小路に追い詰められ、絶命するまでわずかに抵抗するしかない。キーファリーディングの命を狙って侵入した者がよほど馬鹿でなければ、1人である確率が高い。
「なら、なんで、転移門《テレポートゲート》の方へ行かせた? さっき言ったことは嘘か?」
「うん、嘘だよ」
 さらりと、信頼を寄せて自分たちのために尽くそうとしている部下への命令が嘘から発せられたものだと、サクヤは答えた。
「キーファの部屋に行かれたら困る」
「なぜ?」
「見せたくないんだよ。キーファの死を」
 ラグレクトは眉をひそめた。
 つい先ほど、キーファはこの城にいないと彼は聞いていたのである。なのに、サクヤは、まだ見ていない階段の上の部屋に主である者の死体があると予見していた。
「影、か?」
 ラグレクトは声を潜める。
 碧の怜悧な双眸を細め、副都市長が頷いた。
「影、だと?」
 その声は、唐突だった。
 最初、誰が言った言葉なのかを彼ら2人は交錯する視線の中で互いに問い掛けていた。けれども、すぐに、第三者のものだと気づき、慌てて声の主を見やる。
「あれは、影なのか?」
 乱入者は、階段の上に佇んでいた。さほど長くない黝《あおぐろ》い髪と、盗賊のように何の飾り気もない濃紺の服のせいか、闇が人の形を取って現れたかのように、ラグレクトの目に映る。
 丸みを帯びた身体つきや、可憐と評せる声質……顔の造形も整っている少女であるのに、抑揚のないしゃべり口調が生気というものが感じさせないがために、すぐに人間だと思えなかったのだろう。髪や首筋が赤く濡れているのも、どこか非現実的なのだ。
 だが、ラグレクトはその少女が幻想でないことをすぐに感知した。
 口元に微笑を刻んで、彼は相手を警戒させないようにゆっくりと腕を組む。むろん、右手の指先をいつでも服に仕込まれた短剣を抜ける位置へと運んで。
「“真紅のキーファ”がそんな簡単にくたばると思ったのか?」
 無感動とも思える、表情のない少女の瞳がラグレクトへ向けられた。
 射抜くように見下ろしてくるそれを凝視し、ラグレクトは軽々しく挨拶した。
「よぉ、久しぶり――って言うのが正しいのかな?」
「……きみは……『剣技』の宙城で……」
「覚えてもらってたとは、光栄。いつ、あのときの借りを返せばいいのか、困ってたんだぜ」
 少女は、目を瞬かせて、腰にくくりつけてある円形の刃を手に取った。
「きみは、賢くない。ぼくに敵わないって、あのときわからなかったの? そんなに血をみたい?」
「やってみなけりゃ、わからないさ」
 言いながら、ラグレクトも腰の剣を手に取る。
 少女が黙り込んだのをいいことに、彼は唇を動かさないように魔道の詠唱に入った。
 本当は、長い詠唱を必要とする強大な魔道で対したいが、それを行おうとして『剣技』宙城では失敗した身である。最初の一撃は、出遅れないことが肝要、逆にいえば、出遅れさえしなければ傷を負わせることのできない小さい魔道であっても次の一手を有利に運べる――『魔道』での戦いのように。
(あのときのようにはいかない……)
 多くの『剣技』の骸を生み出した咎、身に受けてもらおう。
 そんな風に考えた、まさに矢先のことだった。
「……おい」
 邪魔するように、副都市長がラグレクトの前に立ったのである。
 サクヤの背中を見ながら、一体何だ、と彼は思った。
 理由のないことなど行わないと思っていた副都市長は、しかし、彼らの間に割って入ったことに関して何も言わなかった。
 その代わり、サクヤは少女に向かって叫んだのである。
「コウキ……」
 突然の呼びかけに、一切表情を変えなかった少女が目を見張った。
「なぜ、ぼくの名前を知っている?」
「僕だよ、サクヤだよ……コウキ、ねぇ、僕が誰だかわからないのかい? 僕は、探していたんだよ、お前を!」
(探していた……?)
 ラグレクトは、そっと抜き去った短剣を離さないまま、首を傾げる。
 あの、狂乱者たる少女とサクヤは知り合いらしい。
 けれども、茶色い双眸が推し測る限り、コウキはそんな素振りを見せない。
(演技、か?)
 サクヤは何か計算して演技でもしているのか?
 ……声を震わせて叫ぶほどの演技を?
 ラグレクトの内なる声は、否、と返事をした。
「……知らない」
 さして時間を置かず、少女コウキの冷然とした声音が頭上から降ってくる。
「ぼくは、きみなんて、知らない」
 一言ずつ区切って述べられた言葉は、強い拒絶を身に宿していた。
「そんなのは、嘘だ!」
 相手の言を真っ向からサクヤが否定する。
 ラグレクトは、彼がどんな表情をしているのか盗み見ることさえできないが、やりとりだけで伺い知れることもあった。
 サクヤが真摯に何かを訴えていること。
 それを、コウキが跳ね除けていること。
 どちらが正しいのかはわからないが、2人の主張は平行線状態、重なり合うことがないということ。
 それらをラグレクトは感じ取っていた。
「お前は僕のことを知っている……ほら、見てご覧」
 サクヤは断言して、緩い、少し大きいと思わせる袖を乱雑に引きちぎる。
 現れた腕は女のように白い肌をしていた。だが、汚れを知らない白雪のごとき腕の右肘辺りから、まるで淡い夢でも引き裂くかのように、見るのも痛々しい爛《ただ》れが肩まで広がっている。――火傷の痕だ。
 目にした途端、ありもしない炎が自分を囲んでいるような、そんな錯覚さえ起こす傷痕。
「思い出せ、コウキ! あの炎の中を、僕とお前は逃げてきたはずだ!」
 コウキは、サクヤと同じ右肘を服の上からぎゅっと押さえた。押さえはしたが、ただ、それだけだった。
「……知らない。ぼくは、きみなんか、知らない」
「コウキ!」
「ぼくは、知らない!」
 言うや否や、彼女は手に取っていた円形の武器をサクヤに向かって投げつけた。
「コウキ!」
 自分が攻撃目標とされているのに、避けることもしないでサクヤが名前を呼ぶ。
 ラグレクトは短く舌打ちし、短剣を迫り来る武器に向かって投げた。
 常識であれば、ぶつかっても弾き飛ばされるはずの短剣は、円形の刃を押し返し、軌道をずらす。――剣に仕込まれた魔道が発動する。
 気のせいか、不快げな眼差しをコウキがラグレクトへと向けてきた。
 それを受け止め、ラグレクトは微笑で返す。
「コウキ!」
 サクヤが両手を広げ、階段から舞い降りるように軽やかに降り立った少女の名を呼ぶ。
「やめてくれ、僕だよ。君の兄のサクヤだよ!」
 ――妹をね、探しているんだ。
 ラグレクトの脳裏に、出会ったばかりの頃に聞いたサクヤの声が蘇《よみがえ》る。
 ――僕はね、別れ別れになった妹を探しているんだ。
 一族を、父を、弟を捨ててきたラグレクトとは対照的に、自分と同じ血を引く者を探していると言った青年の言葉は、心の琴線に触れるような、切なく、悲しげなものだった。
 今、コウキの名を呼ぶ彼の声も、あのときのものと変わらない。
 だが、その声に含まれた想いを、少女は冷たく打ち砕く。
「ぼくには兄なんていない!」
 針のように細く鋭い剣を手にし、コウキが襲い掛かってくる。
「ぼくには、あの方しかいない!」
 突き出される凶刃をかわす様子のないサクヤを見て、ラグレクトは慌てて彼を突き飛ばした。
 そして自らは、身を屈めて攻撃を凌ぐ。
「コウキ! ラグレクト! やめてくれ!」
 振り絞って放たれた声をラグレクトは聞き流す。
 この状況で戦うな、というのは、死ね、と同義なのだ。
 休む間もなく繰り出される剣を、右に左にかわしていくが、相手は早い。小さく服を切り裂く音と、それに付随した痛みが身体の随所に走る。
 魔道を唱える暇はない。口にしようものなら、串刺しになるか、舌を噛んで死ぬだろう。
「死ね」
「コウキ!」
 感情の垣間見れない台詞と、感情が溢れ出している台詞と、双方を同時に耳にしながら、大きく出された突きをラグレクトは寸でのところでかわす。
 滑りこむようにしてコウキと交差し、彼は戦闘が始まる前から気に留めていたところへ足を運んだ。
 壁際にある、息絶えた男。引き抜かれただけで、使われていない、握られた長剣。
 それを拾い上げ、振り向く。
 コウキは目前まで詰めてきていた。
「ラグレクト、やめてくれ!」
 長剣は、もう長いこと使っていない。最後に持ったのは、キーファに型を聞いたとき……去年、いや、一昨年のことかもしれない。
 だが、文句など言ってられない。
 武器を持たなければ、対抗できない。
 こんなところで、殺されるわけにはいかない。
「僕の、僕の妹なんだ! ――ラグレクト!」
「そんなことは、関係ない!」
 再び始まった突きを弾くように押し返し、ラグレクトの剣がコウキの空いた胸元を滑る。
 切っ先は衝撃を感じることなく空を切った。
 半身を捻りながら片手でコウキが攻めてきたが、それはラグレクトも計算していた。8の字を描くように剣を流して、掬い上げる形で防ぎきる。
「……きみ……本当に『魔道』?」
 感嘆したように呟くコウキに、ラグレクトは口端を歪める。
 柄の辺りから押し付けるように切りかかると、コウキが数歩退いた。
 できた空間的、時間的余白にラグレクトが問いかけへの返答をなす。
「髪と目の色が間違ってなければ、な」
「きみは……」
 少女の独白めいた言葉は、そのとき、不意打ちのように廊下に響いた声に遮られる。
「サクヤ様、そこにおいでですか!?」
 コウキ、ラグレクト、どちらとも関係ないものであったが、2人は同時にそちらを向いた。
 場の状況をまるで察してない、動きづらそうな格好をした髭の男が駆け寄ってくる。ラグレクトも知っている文官だ。
「おい!」
 はっ、としてラグレクトは声をかけたが、それさえも遅かった。
 次の瞬間には、コウキはまるで転移の魔道を使ったかのような迅速さでもって男の背後に立っていたのである。
「はい?」
 自分がいかに危険な状態にあるのかを認識する間も与えられず、男はコウキによって太腿を貫かれた。
「コウキ!」
 サクヤの、応えてもらえない呼びかけに混じって、男の絶叫がこだまする。
 崩れる男の後頭部に小さい穴をも穿つ剣の切っ先が定められて、ラグレクトは駆け寄ることもできない。
「……ぼくの質問に答えろ」
 まるで夢の中に現れた女神のように、清廉とした、揺れ動くことのない声調。
 絶対者たる威厳さえも備えたその声調で、彼女は男へ尋ねる。
「ギガの都市長はどこにいる?」
 サクヤが息を飲んだ後、命じる。
「言うな!」
「ウ、ウィングールへ行き……」
 男の言葉は途中で区切れ、代わりに喉から大量の血が吐き出された。
 剣を引き抜くことはせずに、コウキは男の身体を蹴る。重い音を立てて転がった新しい死者には、告白への感謝も微塵も持っていないようだった。
「ウィングール……」
 呟いて、彼女は目を細めた。髪を撫で付けるように耳にかけ、思案しているようでもあり、何も考えていないようでもある。
 ただ、今からそこへ――ウィングールへ向かおうとしているのは容易に想像できた。
「……簡単に逃すと思ってるのか?」
 ラグレクトがそんな風に言って、再度の戦端を切って開こうとしたのだが、少女は受け流す。
「きみと遊んでいる暇はない。ウィングールに行かないと」
「俺の言ったこと、聞いてたかい?」
「早く、始末しないと。早く、役目を終えないと」
 自己暗示に似た主張を口にし、コウキは腰の武器を手に取った。それは、最初に投げた円い刃だ。いつの間にか、彼女はそれを取り戻していた……いや、もしかしたら、初めから2つあったのかもしれない。
「あの方が……待ってる」
 言いながらの投擲は、優雅になされた。
 自分に向けられたものであったならば、反撃もできただろう。が、固まったように動かないサクヤが標的であると、ラグレクトは攻撃を防ぐことにしか集中できない。
 死にたいのか、と叱りつけたい衝動を押さえ込んで、彼はサクヤに迫る死神の牙を叩き落す。
 手に重い痺れが走った。
 奥歯を噛みしめながら視線を戻すと、廊下には既に誰もいない……血溜まりの中に沈んだ亡骸だけが目につく。
 そして。
「コウキ……」
 死者に等しい、蒼い顔をした青年が彼の傍らにいるだけだった。


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