Deep Desire

【第8章】傾きゆく世界の調べ

<Vol.5 反骨>

 内心を反映させた歩調が不本意にも緩められたのは、部屋を出て間もなくのことであった。
 行く手を阻む形で佇む数名の『魔道』を、ラグレクトは一瞥する。
 知った顔、知らぬ顔……数は半々といったところか。
 誰もが手に杖を携え、決意を漲らせた表情をしていた。
 そのうちの1人、真中の男が1歩前に進み出て口を開く。
「ラグレクト」
 呼ばれた名前に敬称はつけられていない。代わりとばかりに、嫌悪感を誘発させる殺気が込められてはいるが。
「なぜ、『魔道』に戻ってきた?」
 質問の形を成してはいるものの、叱責に近い言葉にラグレクトは片眉を上げる。
 オルドレットが1人で宙城に帰ってこれなくなったからだ、と出かかった理由が喉の奥に張り付いた。
(どうせ何を言っても信じてもらえないんだろう?)
 高を括って、彼は唇だけで笑った。
「さて。どんな理由があるにしても、話す必要はありますまい」
 最近ではめっきり使わなくなった“王子らしい”口調、ラグレクトはそこに言の葉を乗せて答える。そうすることで、ことさら慇懃無礼に聞こえることを彼は知っていたのだ。
 いつもであれば、無用な誤解や諍《いさか》いは、「相手にすると疲れる」ために回避を試みるラグレクトだが、虫の居所が悪いときは反応が異なる。売られたケンカを買うことに躊躇《ちゅうちょ》など彼はしなかった。
「そこを退いていただきたい。私は多忙な身の上だ……諸兄らと違って」
 ラグレクトを待ち構えていた『魔道』数名が、明らかに気色ばむ。
 抑制された、けれども感じずにはおれない、危険な色をした魔道が空気を伝播してくる。
 それでも、ラグレクトは動じることなく、彼に声をかけた男を凝視する。
 鎖骨辺りで髪を切りそろえた、若いのか老いているのか外見では一向に区別のつかぬその男は、不満そうな表情となった。――昔から、そうだった。彼は、ラグレクトが何か言うたびに、不快そうな顔つきをする。
 時と場合によっては、オルドレットが「兄上に失礼ではないか」と見咎めた。第2王子の忠実なる僕《しもべ》と評されるオルドレットの側近は、そうやってオルドレットに注意されるまではラグレクトへの態度を改めない。
 守り役の爺《じい》やラグレクトに仕える者たちには、それはそれは評判の悪い男であった。
「多忙? 多忙だと? ……第1王子として復位するにはそれなりに手回しが必要ということか」
 身勝手な解釈にしてはあまりにも独創的なので、ラグレクトは目を軽く見開いてから弾かれたように笑ってしまった。
「……なるほど、そういう風にも取ることもできるな」
「オルドレット様に傷を負わせたのも、ラグレクト、お前ではないのか!?」
 癪に障ったのか、怒鳴る男にラグレクトは目を眇める。
 弟を想って行動を起こした結末が無実の罪を着せられるとは、なかなかに面白い。
 少し考えればわかるではないか。ラグレクトがオルドレットを傷つけて宙城に運んでも、何の得にもならないということが。
 浅慮も度を過ぎると滑稽だな、と彼は心の奥底で呟いた。
「それはオルドレットに直接聞くがよかろう。私はすぐにでも、この宙城から離れるつもりだ。そこを退いていただきたい」
 『魔道』に留まる意思がないことを告げると、2、3人の男が顔を見合わせて道を開けようとした。
 しかしながら、それを遮る声が何よりも早く、通路に響き渡った。
「嫌だ、と言ったらどうする?」
 男が、持っていた杖を僅かに傾け、挑戦的に告げてくる。
 ラグレクトは、杖の先にある円い小さな玉を見やった。通してくれる気などないどころか、一戦交えるつもりらしい――彼は推して知る。
 宙城内での私闘は、『魔道』において固く禁じられている。相手が王族ともなれば、どちらに非があったかではなく、王族へ力を振るった者が一方的に処罰される掟であった。
 それを知りながら、他の者たちの戸惑いなど気にも留めず、男は第1王子に刃を向けようとしているのだ。
 ラグレクトは手を腰に当て、唇を形良く歪めた。
「……俺は、お前の意思など聞いていない」
「では、仕方あるまい! ――オルドレット様の御為に、死んでもらう!」
 叫ぶように放たれた結論に、ラグレクトは言い返す。
「お前に俺が殺せるかな?」
 自分を見つめる杖の玉に一瞥し、ラグレクトは腰に手を伸ばす。
 そこには、服に縫い付けられるような形で備えられた短剣があった。
 服の生地を鞘として短剣を身に帯びるのは、野生の動物を捕らえることを生業とする者たちが考案した方法として古くからラリフに知られていた。俊敏に動き、抜刀音を耳聡く聞き分ける獣たちを捕獲するために作られた服と剣は、いつの間にかラリフ帝国での旅人たちの標準仕様となっている。
 刃が薄い短剣は、殺傷力など高が知れている。腕に覚えがある者たちは大層な剣を持ち歩くが、そうではない者たちはいざというときのために、この隠し武器をなるべく多く身につけていた。
 ラグレクトはその短剣を3本、指に挟み込んだ。そして、杖を向ける男の背後、どうすれば良いか困惑しきりの『魔道』たちへと投げつける。
 剣など目にする機会自体が少ない『魔道』の民たちは、自分の腕や肩に刺さったものが何であるのかと問うように、目を丸くしてそれを眺めたあと、うめきを発して次々にしゃがみこむ。
「安心しろ! かすり傷で済む!」
 言いながらもまた数本、彼は男たちに短剣を投げた。短剣はまたもや、叩き落されることもなく、狙った場所に近しいところへ命中する。
 宙城にいた頃の鍛錬もさることながら、ギガ逗留の際、ハルカに扱《しご》かれた腕は、まだまだ鈍っていないらしい。
 残るはオルドレットの側近を務める男、ただ1人となった。
 改めて剣を手にしようとした刹那、男が動いた。
 杖の玉が黄色く光り、その煌きを目にした直後、ラグレクトは地に叩きつけられた。
 頭上から見えない大きな手のひらが、力ずくで彼を押さえつけてきたのである。
「くっ……」
 胸を強打してしまい、肋骨が悲鳴を上げた。一瞬だけ、呼吸が時の流れを無視した。
 受身を取る暇もなかったのだ、本来ならばその場で動けなくなっていただろう。ただ、宙城内では魔道が制限されている――幾度となく面倒なことだと思った城の特徴に救われたのだが、感謝を述べるほどの余裕はラグレクトになかった。
 次の魔道が来る前に、と彼は自分の身体を酷使させることにする。
 這いつくばったまま、魔道に逆らって上体を起こす。とっさに引き抜いた1本の剣を眼前にかざし、意識を切っ先へと集めた。
“いいかい、ラグレクト。魔道というのは、要は集中力なんだ”
 叔父の言葉が意識の片隅で語りかけてきた。
“私の部屋もそうだが、宙城内でも杖がなければ魔道を使えぬ、なんてことはない。そうだと思い込んでいて、誰もが確かめてみないだけのこと……疑っているね。では、今、試してみせようか?”
 尖った短剣の頂きが青く染まる光景は、かつて見せてもらったものと同じ。
“人の口から伝わる話なんて、確かめてみたら意外と嘘が多いものだよ。ラグレクト、強大な魔道になればなるほど、集中力が要る。だから、詠唱が必要となる。ただ、簡単な魔道は鍛錬によって、一瞬の集中力で発動できるものだよ”
“そうだとしても、そんな弱い魔道では相手を打ち負かせない”
“ラグレクト、一撃で相手を葬りさることだけを考えてはいけない。お前は誰よりも強いから、模擬戦でも大概、一撃で片をつけてしまうけど……覚えておくといい。いざというときには、相手を驚かせるだけの魔道でも役に立つものだ”
 子供騙しの魔道であっても!
 ラグレクトは短く息を吸って、男へ剣を投じる。
 青く刀身を染めた剣は、風を切って男の構える杖へまっすぐに走った。それはまるで、見えない糸が引き寄せているかのように、まっすぐに。
 男は、眉根を寄せ、杖を持つ手に力を込めた。
 それだけで空間が捩れ、強襲すべく宙を駆けてきた短剣はぐにゃりと拉《ひし》げてしまった。
「他愛のない」
 小馬鹿にした口調で吐き捨て、ラグレクトを見やろうとした男の行動は、そこで止まる。
 息を飲み、心持ち顎を上げ、背筋を伸ばしながら目だけで背後を覗こうとする。なぜならば、自分が圧倒していたはずの相手が、いつの間にか背に回り、喉元に剣をつきつけていたのだ。
「お前の言うことは正しい――他愛ない、な」
 笑いを噛み殺したような言葉に宿っている色を把握して、男は奥歯を噛みしめた。悔しさと憎さが入り混じる。
「……卑怯だぞ」
 『魔道』同士の戦いに剣を用いるその神経を罵倒するが、第1王子として教育を受けたはずの青年は彼の発言を鼻で笑い、一蹴する。
「杖を手にし、多勢で襲いかかる者の台詞とは思えないな。それに……」
 喉元に刃が押し付けられる。
 手にしない、見ることも珍しい剣というのは、それほどまでに冷たいものなのかと、肌が場違いな感想を男へと述べてきた。
「生死のかかった戦いで、卑怯も何もあるまい、そうは思わないか? ――これは、模擬戦じゃないんだ」
 囁くような小声の奥底に、得体の知れないものを感じて、男の額から汗が伝う。
 気配に飲まれそうになり、彼は溜飲を下げた。
(……オルドレット様の兄上、『魔道』第1王子)
 主君にとって、唯一無二の血を分けた存在。
 そうとしか認識していなかったから、大事なことを見落としていたと彼は遅まきながら気づいた。
 この青年は、族長ヴァルバラントの息子であるのだ、と。
 強大な魔道を有し、厳粛で冷徹な美貌の主の血を引いているのだ、と。
(殺される……!)
 彼の身体に、衝撃と震えが走る。
 通路の床へ作り出した血溜まりの中、絶命する自分の映像が脳裏に浮かんだ。
 終わりだ、と思ったときのこと。
「兄上!」
 聞きなれた声がどこからか――自分の前方か後方か、その区別さえも彼はできなかったので、本当にどこからか――響いてくる。
 不意に、背後に在った気配が消えた。突きつけられていた恐怖と共に。
 解放を喜ぶように、身体中から汗が吹き出る。膝が落ちそうになるのを、手にした杖で抑えた。崩れ落ちるなど、寡少ながらも残った矜持が許さなかったために。
 その段になって初めて彼は知ったのだ。
 ラグレクトが前方にいることを。
 腕を組み、微笑しながら自分を見ていることを。
 驚嘆して彼はラグレクトを注視した。
「何をそんなにびっくりしている? ――明るいうちから夢でも見たか?」
 彼は緩慢な動作で指先を喉へ持っていく。あれほど密着した状態で剣を突きつけられていたというのに、そこには傷1つなかった。
「幻影……」
 あの一瞬の隙に、ラグレクト王子は自分の死角に回り込んだのではない。
 自分にまやかしの魔道をかけたのだ……!
 卑怯などでも何でもない。これは、模擬戦でも採られる方法。ただ、模擬戦では、相手の魔道の標的を分散させるとき以外は使わない。
 幻影に攻撃力はまったくなく、別の魔道を唱えるために力を消費させる方が有意義だと誰もが思っているのだ。
 現実的に考えれば、ラグレクトの行動は機敏すぎた。それまで自分の魔道で地に伏していた彼が、あれほど早く、気配を消し、背に回れたはずがない。
(剣、か……)
 思考を停止させたのは、馴染みのない武器。あれのせいで、幻想を見破ることはできなかった。
「皆、下がれ!」
 オルドレットの命令で、複数の足音が先を争うように離れていく。
 未だ動けない彼のことを気にせず、オルドレットは実兄へと視線を移した。
「兄上、何を……」
「オルドレット、そこにいる臣下に伝えておけ。俺はここに居残るつもりなど、微塵もないということを」
「……そんな……兄上がいらっしゃらないと、魔道は……」
「ケイシスは時間をかけて説けばいい。中に、あいつも……族長もいる。ゆっくりと話し合え。お前と、お前の子供のために」
「――あなたが」
 王子同士の会話に割って入ることがいかに不遜かを理解していたが、それでも男は口を挟んだ。
 言っておかねば、気が済まなかった。
「ラグレクト王子、あなたがいかに『魔道』と自分を切り離そうとしても、あなたがこの世に存在している限り……オルドレット様の立場は安定しない……」
 族長ヴァルバラントの正統なる後継者、『魔道』随一の力の保持するラグレクト・ゼクティ。
 その存在は、たとえ死したとされていても、オルドレットに影を落としていたのだ。
 彼が再び『魔道』宙城に現れたことで、ようやく忘れかけていたラグレクトのことを人々は思い出してしまった。
 また、繰り返されるのだ、あの日々が。
「オルドレット様は王位に相応しくない」と囁かれる、あの日々が。
「あなたなど、この世からいなくなってしまえばいい――」
 最後まで言い切った後で、男は殴られた。
 オルドレットによって。
「……なんと……なんということを……」
 誰よりも崇拝して仕える主人の青ざめた顔に満ちた怒り。
 舌が感じる苦い味は、殴打によって口内が切れたことを示してくる。
 目を眇め、彼は主人の目を正面から見た。
「――俺が死んでも死ななくても、状況は同じだ」
 沈黙に答えたのは、オルドレットではなくラグレクト。
「『魔道』の民は、記憶の中に俺を住まわせている。この宙城よりも、もっともっと時の流れが遅い、記憶の中に……。それを消し去るのは、俺じゃない。俺の存在感じゃない。――お前たち自身だ」
 言うや否や、ラグレクトは踵を返した。逡巡してから彼の背を追うように走るオルドレットを眺め、男はその場に膝をつく。
 ラグレクトの言葉が彼の頭の中で何度も何度も繰り返されたが、その意味は茫洋としていた。
 ただ、はっきりしていたことは1つ。
「……どんな方法が良いかは別の話。あなたがいなくなることが、まず先だ」
 男は、誰にも聞こえぬほどの音量かつ誰にも否定させぬ語調で呟いた。


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