Deep Desire

【第8章】傾きゆく世界の調べ

<Vol.0>

 少女は歌う。
 椅子の背もたれに身を預け、城壁と塔に遮られた小さな小さな空へ向かって。

 大好きな人  大好きな人
 私のすべては あなたのために
 私のすべては あなたのためだけに
 それなのに
 あなたは なぜ そんな悲しい表情をするの
 あなたは なぜ 涙を……

 そこまで歌い、少女は唇を閉ざした。
 心に描かれた情景を歌に乗せてみたら、とても不思議な歌になったので。
「おかしなこと。ラグレクト様が、泣かれるなんて……」
 彼女は愛しい人を思い起こし、首を小さく傾げてみせる。
 そうして自分の腹に手を当てた。
 まだ、大きくなっていないお腹。
 愛する青年の子が宿っているお腹。
 それはまぎれも無い事実なのだが……。
「ラグレクト様が消えてしまうなんてありえないことなのに」
 脳裏をよぎった情景を彼女は柔らかい微笑みで消し去った。
 自分は彼を愛している。
 そして彼も自分を愛している。
 ――別れの日など訪れるはずはないと、少女は信じきっていた。


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