Deep Desire

【第7章】消えてしまうその前に

<Vol.4 役目>

 どうしてウィングールの場所を知っているのだろう?
 ジェフェライトは不審がる。ウィングールは地下にある、すなわち、不可視の都市なのだ。距離的にギガから近いとはいうものの、場所の特定はできるわけがない。『賢者』の宙城が多くを焼失させたとはいえ森は広く、また、聖都を支える水晶樹の幹は太い。それだけじゃない。あの森には、“不和の者”がいる――“御使い”ファラリスが言ったことを彼は、まだ、覚えている。森を徘徊していたら運良く見つけてしまいました……そんなわけにはいかない都市だ、一体どうやって知ったのだろう?
 疑問を口に出しかけて、けれどもその直前で、「いや」と彼は考え直した。
 キーファたちがウィングールを見つけ出したわけではなく、元々知っていた可能性はある。
 自分を含め、テスィカやラグレクト、3族の民はいずれも監獄都市の場所など知らなかった。3族の、しかも、いずれも次期後継者が知らないことゆえ、各都市長も知るわけがない――そんな図式は成り立たない。
 罪人を例外なく自らの手で処理する3族と異なり、監獄都市へ送りだす権限を持つ都市長たち……その場所を知っていても何らおかしいところはないだろう。都市長が“それ”を知る権利は十分にある。
 ジェフェライトは、『賢者』や『魔道』が自分たちより劣っていると思わなかった。だが、3族と他の帝国民たちを無意識に区別していたのかもしれない。最高神官のアーティクルは尊敬しているし、眼前にいるキーファリーディングに対しても、ギガという都市を見て良い統率者だと感じていた。それでも、心のどこかで、自分が彼らを見下していたように思えてきて、ジェフェライトは自分を恥じた。
 ジェフェライト自身は当然気づかぬことではあるが、そのように率直に考える者など3族の中では稀少なことである。3族では、自族以外は決して使えぬ能力を有しているため、周囲を俯瞰《ふかん》で見ることは間違ったことではないとしている傾向が強い。
 無論、そのように考えない者も3族にはいた。その最たる例がラグレクトである。
 一族を捨てて宙城を出た『魔道』の王子が、一族を守ろうと必死になっている『剣技』の王子と物の見方が似ているということに気づいた者がいたとしたら、妙な因果と言ったことだろう。
(……反省はこれから別の形で活かせばいい)
 茶色の髪を後ろに撫で付けるような仕草で梳いて、ジェフェライトは気持ちを切り替えた。今、大切なのは、彼らが本当に知っているならば、ウィングールの場所を聞くことだ。
 聖都潜入には時間がかかる。ウィングールを探す時間が省けるならば、深く頭《こうべ》を垂れてでも、教えること希《こいねが》おう。彼は小さく一呼吸置いてから口を開いた。
 だがしかし、彼が言葉を発するよりも早く、キーファが素早く顔を上げた。
 何が、と焦るジェフェライトの目の前で、キーファは大きくあくびをしてみせた。気の抜けた声も一緒に室内に放たれる。
 あくびだ――そう認識した瞬間、ジェフェライトの肩の力が抜けていった。
「キーファ、客人の前ではしたない」
 副都市長の鋭い声音が遠慮なく咎めた。
 彼の上司であるギガ都市長は、片手を挙げて会釈で返す。2つ目の、噛み殺すことができなかった大あくびのため、何も言えないようである。
 特に眠くもないのだが、つられてジェフェライトもあくびが出た。ただ、キーファのように豪快にするのは気が引けて、うつむき、口元に手を当てたままで声も抑えたあくびをする。
 1人だけ、何事もなく佇む副都市長の肩を竦めた。やれやれ、と言うようにため息をついてから、青年はキーファを一瞥。次いでジェフェライトに向き直った。
「続きは朝食のときに致しましょうか」
 そうですね、と彼が同意をするが、声をかけられなかったキーファは大声で反論した。目尻にたまった睡魔の足跡を拭いながら。
「おい、お前、俺には聞かないのか?」
 副都市長は、こめかみを軽く抑え、眉宇を逆立ててキーファへ言う。
「声がでかい。君、今の時間、わかってるのかい?」
「俺を寝かせない気か!? ……昼過ぎにしてくれ」
「一晩くらい徹夜したって死なないだろう」
 あっさりと、そして冷然と語る副都市長にキーファがなおも食い下がる。
「おい、それが上司に言う台詞かよ」
 声には出さなかったが、ジェフェライトも同じことを思っていた。
 もし、彼、副都市長が『剣技』の民であったならば、重い罰が科されただろう。副都市長はキーファより位も年齢も下なのだ。上下の関係を重んじる『剣技』では、上の者への言葉1つで取り返しのつかないことになる。――もちろん、ここが『剣技』宙城であるならば、副都市長をどうこう言うより先に、あくびを隠さなかったキーファが窘《たしな》められていたことだろうが。
「上司だって? ……君がそれを主張するのは、僕より仕事をしてからだよ」
 怜悧な碧色の目を細め、副都市長は続ける。
「そうそう、聞き忘れていたけれど。君、昨夜は城下に繰り出してたようじゃないか。僕が渡した書類のうち、今日の昼までに承認が必要なものは全部目を通したんだよね?」
 うっ、とキーファが声に詰まったのは傍目に見ていてもそれとわかる。
 なんだか彼が可哀相になり、口を挟む場ではないと知りつつも、ジェフェライトは2人の会話に割って入った。
「あの、こちらが夜中に押しかけてしまったこともありましたし……」
「ジェフェライト殿はお優しくていらっしゃる。ですが、甘やかさずとも結構ですよ」
 穏やかな口調に笑みさえ垣間見せる副都市長。
 その外見にとらわれて、“口出さないでください”と遠回しに言われたことに気づかないほど、ジェフェライトは鈍くない。
 気遣わしげにキーファを盗み見たのだが、当の本人は肩を落として諦観したようだった。ジェフェライトは、黙ってやりとりを聞くことにした。
「はいはい、わかったよ。睡眠なんて必要ない、です」
 わざとらしく語尾に力を込めた後で、ギガの最高権力者であるはずの男は拝み倒すように一言付け足す。
「だが、ウィングールの話の続きは食事の後にしてくれないか。食事くらいはゆっくり取らせろ」
「仕方ない、そこは妥協してあげよう」
「そうと決まれば、さて、食うか。ハルカ呼んでこないとな」
「あぁ……キーファ、その前に1つ聞いておきたいんだが」
「なんだ?」
「君、最近……」
 そのとき、副都市長の視線が一瞬だけ逸らされた。
 ジェフェライトは視線の先を追おうとしたが、すぐに元に戻ったために彼が何を見ていたのかがわからない。そして、彼はなぜか口を閉ざしてしまった。
 質問すると言っておきながら、ためらっている。目を瞬かせて、キーファが先を促した。
「なんだ、おい」
「いや、なんでもない」
 いつもは歯切れ良く話す副都市長が、そこで会話を打ち切った。
 ジェフェライトは、奇妙な面持ちで副都市長を見つめていた。しかしながら、彼はとうとう最後まで、「なんでもない」と貫き通していたのだった。



 吐き出す息、それを漏らすまいと抑えた手のひら、共に小刻みに震えている。
 気配は完璧に殺していた。
 だからこそ、自分が聞いていることに気づかなかったキーファの唇からあの都市の名前が零れ落ちたのだ……不用意に。
(……ウィングール)
 ぞわり、と背筋に何かが這い上がってくる。膝が笑う。
 こらえきれずに、彼女は――ハルカは扉に身を預けた。
 部屋の中には誰もいなかった。隣の寝室は覗いていない。扉を閉めた音で出てこなかったことをみると、テスィカは汗を流すために湯を浴びている最中なのだと察せられた。部屋を出る前、ハルカが勧めたからであろう。
 寄りかかったままの姿勢で、ストンとその場にしゃがみこんで、ハルカは懸命に自分を落ち着かせようと試みる。
 それなのに、意識は意思に反して暴れる。
 考えないでおこうと思えば思うほど、脳裏に記憶を蘇らせる。
(嫌だ……)
 口元から手を引き剥がし、両手で肩を強く抱く。
(嫌だ……嫌だ、嫌だ、嫌だ!)
 首を何度も左右に振って、それから唐突に天井を仰ぐ。
 揺らぐ視界の中央で、天井に描かれたギガの都市紋が奇妙に動く。自分の部屋で、キーファの部屋で、見慣れた模様が、右から左へ何度も何度も動いていった。止まらない――ハルカの思考と同じように。
(……大丈夫、私はここにいる)
 自分を安心させるために心の底で言ってみた。
 私はここにいるのだ、と。
 あの都市ではなく、ここにいるのだ、と。
 ――いつまで?
 自分の声が、問い返してきたのは、その刹那。
 いつまでここにいるの、あなたは。
 いつまでここにいられるの?
 嘲笑混じりの、自分の声。
 ねぇ、いつまでここにいられるの?
 だってあなた、気づいてるでしょう? 最近キーファは、あなたなんて必要としていないじゃない。
 最後に抱いてくれたのはいつ? もう忘れちゃったわよね、だいぶ前の話だもの。
 今日だって、彼はわざわざ外に出たじゃない。そして女を買おうとしてた。
 自分の目で見たでしょう。
 あなた、もう、お払い箱なのよ、きっと。
「違うわ」
 声に出してハルカは言い返す。強く、はっきりと……言い返したつもりなのだが。
 出てきたのは弱々しい、今にも立ち消えてしまいそうな声だけで――。
「私は、お払い箱じゃない」
 女としての役割は果たしていないかもしれないが、側近としての役割はそれなりにこなしている。
(じゃあ、あなたがいないとキーファたちも困るのね)
 心中深くからの疑問が、ハルカを愕然とさせてしまう。
 “深紅のキーファ”はハルカが守るまでもない。仕事の方は、ハルカより何倍も賢い副都市長が全てさばけるものばかり。
 自分がいなくなったとしても、誰が困るというのだろうか?
 ……いない。
 誰もいない。
 誰も困らない。
(……違う! 私は……私は……)
 瞼を閉じると、浮かんできたのは手を差し伸べてきたキーファの姿だった。
 来い、と命令口調で、でもどこか照れたように言ったキーファの姿だった。
 だから自分はここにいる。
 必要とされたから、ここに、いる。
 お払い箱なんかじゃない。
 違う、私はまだ、必要とされている……!
「ハルカさん?」
 彼女を現実に引き戻すように、耳に滑り込んできたのはテスィカの訝《いぶか》る声だった。
 ハルカは慌てて顔を上げた。別室からテスィカが出てきたところである。
「……湯、どうでした?」
 全てを気取られまいとして、ことさら明るく問うてみる。
 するとテスィカは、ハルカの様子を気にしながらも「えぇ」と簡単に返してきた。ハルカの態度を言及しなかったこの短い返答を聞いて、彼女は一気に立ち上がった。
 身体の震えは見事に抑えきっていた。
「それはよかったですわ。実はまだ、ジェフェライト様を呼びに行っておりません。部屋を出て直ぐ眩暈がしたもので、途中で引き換えさせていただきました。もう少しお待ちいただけますか?」
「私は結構だが……ハルカさんは大丈夫、ですか?」
 すぐにハルカは、大丈夫ですと答えてみせた。
 相手が期待しているのは、その答えだけなのだとわかりきっていることなので。
 そのとき、ふと、彼女は尋ねてみる気になった。
 テスィカたちがギガにやってきた理由を、だ。
 妙に気持ちがざわめいた。
 襲来を受けた『剣技』の王子が、わざわざ宙城を出てきたのである。お尋ね者の『賢者』の王女を連れ立って。
 思い当たったその理由が、正しくないことを心の隅でそっと祈った。
 ハルカは、笑顔を向けた。確信のないことを口にしたと気づかれないために。
「テスィカ様こそ、ご無理はなさらないでくださいね。ウィングールのこともありますし」
 言われた少女は、驚きもせずにハルカを見つめた。
 真剣な表情で。
「でも、ゆっくりと休んでなんかいられない……早く、一刻も早く、ウィングールに行くつもりでここに来たから」
 その瞬間、ハルカの中で何かが変わり音を立てた。
 わかったから。
 キーファたちがどうしてあれほど長い時間話していたのか。
 自分がここに、ギガにいられたそのわけが。
(ウィングールに彼らを連れて行くこと……それが、私が必要とされている理由なのね)
 あの都市の名前だけで、全身に鳥肌が立つ。
 風化されてない思い出が、ハルカに大きく押し寄せてくる。
 彼らがギガに来たのは、自分とウィングールの関係を知ったからなのだろう。
 『剣技』と『賢者』の王女がこぞってギガを訪れると自分に言ったのはキーファである。その報告をハルカや副都市長にする直前、彼は最高神官と話し込んでいた。おそらくは、最高神官を経由して、キーファがテスィカらにハルカのことを伝えたに違いない。
 彼女に連れていってもらえばいい、と。
 おそらく、はじめから、テスィカたちはハルカを頼ってギガに来たのだ。それをキーファが隠し通しているのは、打ち明けてしまったらハルカが逃げると思い込んでいるからか?
 ……ハルカは、泣いてしまいたかった。
 今、こうしてテスィカが見つめているとわかっているのに。
 両手で顔を覆って泣き崩れてしまいたかった。
 確かに、彼女はキーファに言ったのだ。自分の命を捧げると。どんな不条理な命令であっても、あなたの言葉に従う、と。
 それはキーファがハルカを救ってくれたからだった。
 それはキーファがハルカを愛してくれたからだった。
 それはハルカが、キーファを誰よりも、何よりも愛していたからだった……。
 彼のためであるならば、どんなことでもしようと思った。キーファは1度も言わなかったが、他の男に自ら進んで脚を開けと命じられればそれさえも実行しただろう。
 何を言われても従うと口にしたのは自分だった。だから、ウィングールへ行けと言われても、首を縦に振るしかない。
(だからなのね……キーファ、あなたが、まだ私を傍に置いてくれたのは)
 飽きた女を手の届くところに置いていたのは、こういう使い方をするためだったのだろう、きっと……。
 ハルカは、テスィカの肩に触れて、にこりと笑んだ。
「焦らないでください、テスィカ様」
「ハルカさん?」
「ウィングールへ、必ず送り届けてみせますから。私の故郷、ウィングールへ」
 しばらくの間、ハルカは微笑み続けていた。
 やってくるはずの恐怖と寂寥感を抑えるには、無理にでも笑っている必要があったのである。


Copyright(C) Akira Hotaka All rights reserved.

←≪3.未知≫ + 目次 + ≪5.志気≫→