Deep Desire

【第7章】消えてしまうその前に

<Vol.3 未知>

 ハルカは部屋中を動き回っていた。
 常ならば、未だに夢と現の狭間を行き来している時間帯だ。
 睡魔の誘引を振り払いたいがために、ハルカはこうして動き回っている。――物音は立てないように、十二分に配慮しながら。
 寝台で横になっているテスィカを看るために部屋に残っているのである、起こしてしまっては看病にならない。
 ただ、看るとは言っても、テスィカは何かしらの病気にかかっているわけではなかった。誰かが傍についていなければならないということはなく、誰も彼女にそれを命じたりはしていない。
 ハルカが自発的に、テスィカが目を覚ますまで近くにいてあげよう、と思ったからここにいる。
 理由は簡単だ。彼女が目を覚ましたときに、誰も周りにいなかったのでは不安になるから。
 訪れたばかりの場所で倒れたのである、気づいたときに1人きりでは心もとなくなるに違いない。自分より確実に年上だと見た目ではわかるが、こればっかりは年齢など関係ないことをハルカは知っていた。
 だから、気がつくまで近くにいてあげないと――そう思って振り返ったハルカは、一瞬息を飲む。
 気配はまるで感じなかったのに、『賢者』の王女がいつのまにか起き上がっていた。そして、驚愕を湛えた表情でハルカを凝視していたのだ。
「……おはようございます。気分はどうです?」
 畳んでいた布を部屋の中央に置かれた宅に置きながら、ハルカは微笑を浮かべて近寄る。
 テスィカはそれとわかるくらいに緊張していた。
「……あなたは?」
 返ってくるだろうと想定していた問いがテスィカから投げられた。
 だが、どうやら警戒はしてないらしい。安堵と共に、ハルカは彼女の傍らにあった椅子に腰掛ける。
「私はハルカ。ギガ都市長の秘書官を務めております」
「ギガ……」
 頷いて、ハルカは、自分たちがいる場所も告げる。
「そしてここは、ギガの客室」
 もしかしたらハルカのことよりも先にこちらを尋ねられるかもしれないと、用意していた答えだった。
 沈んだ記憶を必死に引き上げようとテスィカが視線を彷徨《さまよ》わせ始めた。急かせることでもないからと、ハルカは答えを鷹揚に待つ。
「ギガ……」
 さして時間もかからないうちに呟いた王女は、それまでとは一転して、突然室内に視線を走らせる。
 その様子に余裕はない。
 あまりの急激な変化にハルカは訝った。
「……どうかしましたか?」
「ジェフェライトがいない……!」
 あぁ。吐息と混ざって、納得の台詞が口をついて出る。
 彼女は連れの『剣技』の王子を探しているのだ。
 起きたときに1人ではなかったから安心はしたが、連れがいなければ慌てふためくのも無理はないだろう。
 テスィカのことに目を向けるばかり、ジェフェライトのことを失念していた。
「ご安心ください。ジェフェライト様は、キーファと……ギガ都市長とお話し中です。本来ならば、テスィカ様も同席されていたのでしょうが、お倒れになってしまわれたから」
(――知らなくても仕方ないんだけどね、でもちょーっと長いわよね、話し合い)
 茶色い髪の青年は、キーファと副都市長を伴って別室へ行ったきりである。テスィカを寝台に横にさせてからのことだから、もうかなり長い時間話し込んでいる。
 ハルカには、彼とこの『賢者』の王女が、なぜ、ギガに訪れたのかを知らされていなかった。キーファが「知る必要はない」と言ったからである。
 先日、急襲された『剣技』の王子の再来訪。加えて、この目で見るまで信じられなかった『賢者』の生き残り――王女。その2人が最高神官を通してギガにやってきたのだ、何か難しい、複雑なことが裏で起こっているように思える。
 ハルカとて、ギガの中心、キーファの側近の1人である。最終的には何かしらの説明があるに違いない。このままテスィカの付き添っててもいいのだが……一旦、「何をしているのか?」と思い始めると、どうにも気になってしかたがなかった。
 少しだけ、話の邪魔にならない程度に顔を出してみようか?
 思案していた彼女を引きとめたのは、呆然と、という言葉どおりの声でテスィカが漏らした一言だ。
「私は、どのくらい眠っていた?」
 布団の上に視線を落とし、何か重大な過ちでも犯したような顔をして言うので、ハルカは小さく声を立てて笑う。
 いかにも、それほどのことじゃないわよ、と言いたげに。
「……ほんのちょこっと」
「もう、朝なのか?」
「お確かめになりますか? 布を上げますが」
 展望台《バルコニー》を遮る布をまくしあげれば朝日が見えるはずである。眩しいくらいに光を放つ、まだ昇ったばかりの朝日が。
 気を利かせて立とうとしてが、テスィカがそれを制してきた。
「いや、結構」
 そこまで言ってから、顔を上げたテスィカとハルカは目が合う。
 ……黒髪はキーファで見慣れていたが、黒目はやはり見慣れていない。目が離せない。
 微かに潤んだ漆黒の双眸は、研ぎ澄まされた刃先のような印象を与えてくる。睨まれているわけではないのに。
(あぁ、そうだわ)
 凛々しいからだとハルカは気づく。
 そう、この王女の瞳は凛々しいという表現が似合うものだった。
 強い何かを感じる。
 決して、映え抜きの美人というわけではない。顔の造作はいい方だと思うのだが、ギガには彼女よりも美麗な者は数多くいた。それこそ、言葉を失うほどの美女たちが。
 その女たちからは感じ取られない、内から溢れる“何か”を閉じ込めた眼差しが自分を射抜くから――目が、逸らせない。
 こんなことは初めてではない。今までにもあった。
 過去に。
 ラグレクトのときに。
 ジェフェライト様のときに。
(……これが、3族の王族の証だというの?)
 髪の色よりも、瞳の色よりも、顕著な証?
 ――いや、違う。彼女は否定する。
 なぜなら、テスィカから感じたのと同じような印象を、もう1人、3族とは関係ない人間から受けたことがある。
(キーファも、初めて会ったときにこんな目をしてた)
 それがわかれば、飲まれたように何も言えずにいたことを隠すように、彼女は話をすることができた。
「ジェフェライト様も、話が済めばこちらにいらっしゃるでしょう」
 数回目を瞬いてから、テスィカが先に視線を外した。
「なぜ?」
「なぜ、とは?」
「ジェフェライトは、この部屋に来る必要はないだろう」
「どうしてです? テスィカ様が休んでおられるのに、いらっしゃらないことはないでしょう」
「だから、なぜ? ジェフェライトが私の様子を見に来る?」
 この発言に、ハルカは心底驚いた。
(なぜ、って……)
 この少女は知らないのだろうか――見当さえつかないのだろうか。
 自分が倒れたとき、『剣技』の王子が血相を変えていたことを。
 扉を開けた瞬間に、崩れたテスィカを抱きとめたジェフェライトは、深夜ということも忘れて大声で自分に叫んだのだ。
「ハルカさん、キーファさん! 医師の方はいらっしゃいますか!?」
 こちらに何事かと口も挟ませず、彼はすぐさまテスィカの体を抱きかかえ、寝台へ連れ去っていった。
 あまりのことに絶句していたハルカとキーファも、何かが起こったことだけは察せずにはおれない。2人揃って寝台に駆け寄った。
 ジェフェライトは、テスィカの名を呼び、頬を軽く叩いていた。
「どうしたってんだ、ジェフェライト殿」
「……わかりません。急に倒れられたのです!」
「私、医師を呼んでくるわ!」
 言って部屋を出ようとしたとき、運良く副都市長と彼女は出会った。
 副都市長は、仕事が一段落したらジェフェライトたちの元に来ると言っていたのだ。そういう意味では、“副都市長”には出会うべくして出会ったと言える。けれども、“医学を多少かじっている”副都市長に出会ったことは、紛れもなく「運良く」である。
 彼はキーファと短いやりとりを交わしてから、テスィカを診た。
 そして、固唾を飲んで見守っていた自分たちに、肩をすくめてこう答えた。
「何かと思って診てみれば……安心してくれ。過労か精神的なものだろう」
 言い方はぶっきらぼうだが、副都市長の碧の瞳は優しげに笑む。それゆえ、場に会した一堂は、一斉に肩の力を抜いた。
「……それにしたって、ジェフェライト殿はすごい慌てようだったな」
 苦笑を噛み殺してキーファが言うと、ジェフェライトは照れたように頭をかく。
 その仕草に、ハルカは「可愛い」と思って笑いを零してしまった。
 ますますもってバツの悪そうにしているジェフェライトは、キーファたちにポツリと言った。
「テスィカさんは、最後の『賢者』ですからね……それに、私の婚約者殿ですから」
 言って、ジェフェライトはテスィカの傍らに腰を落ち着け、眠っている王女の髪をゆっくりと梳いた。
 そのとき、ハルカとキーファは互いに目で語ったのである。
 それは、本来口にすべき答えとは違っているんじゃないのか、と。
 『賢者』の生き残りであること、ジェフェライトの婚約者であること……どちらも間違いではない。正しいこと。
 正しいことであるのだが、そのときに、言葉にして出すべきは、別の台詞であるはずだ。
 ――そんなに、愛しそうに髪を梳くのであれば。
(……もしかして……気づいてない?)
 謙虚なこの青年が、それを口にしないのであれば、気づいていないのかもしれない。
 なんて鈍感なのだろう――ハルカはそう思ったのだが……まさか、想われてる本人も気づいていないとは予想外だった。
(勘違いだったのかしら)
 ただの親愛の情を取り違えたのかもしれない、と心中呟く。
 友人や家族へ向ける愛情というものは、異性へ向ける愛情に非常に似ている。
 想う、という観点から考えれば似ていないはずはない。
 間違うことだってあるに決まっている。
 それでも、あの王子がこの王女を心配していた事実だけは変わらなかった。
 だからハルカは、余計な言葉を付け加えずに、その事実だけを彼女に伝える。
「……ジェフェライト様は、テスィカ様のことを心配していらっしゃいます。いらっしゃるのは、それゆえです」
「ジェフェライトが……私を……?」
「えぇ。まだお話し中でしょうけど、私、様子を見てまいりますわ。お待ちください、テスィカ様」
 立ち上がりかけたハルカだったが、すぐにテスィカに止められた。
「あ、ちょっと待って……」
「はい?」
「頼みがあるんだが」
 テスィカがそれまでと口調を変え、恐縮そうにしてきたので、彼女は真剣な表情で聞く。
「なんですか?」
 すると眼前の黒髪の王女は、困ったように彼女に言ったのである。
「その……様をつけるのは恥ずかしいからやめてもらってもいいだろうか? できれば、テスィカと呼んで欲しいのだけれども……」
「それは失礼に当たりますわ」
「いや、私はもう、王女じゃないし……」
「それでも、年上の方を呼びつけるなど、失礼に当たりますもの」
 キーファのことはさておいて、彼女は一般論を唱えた。
 しばらくして、固まっていたテスィカの視線がハルカの頭から爪先までを数回行き来していった。



 その頃、別室で沈黙を守っていた3人の男がいた。
 ギガの都市長と副都市長、そして『剣技』の王子である。
 彼らは立ったまま、ジェフェライトとテスィカのウィングール侵入に関して考え込んでいた。とはいうものの、考え込んでいた理由はそれぞれ違うのだが。
 そんな中、最初に口を開いたのは一際目立つ紅い髪を持った副都市長である。
 キーファよりは一回り以上、ジェフェライトよりは3つ4つほど若い副都市長は年配者たちに一瞥をくれて口を開いた。
「聖都への侵入を第一に考えるならば、ウィングールへ行くのは一番いい案でしょう」
「それは俺だってわかってる。ただなぁ……ウィングールだろう?」
 キーファの言い方は、何か奥歯に物が挟まったような言い方だ。
 すかさずジェフェライトが彼に尋ねる。
「何かご存知なのですか?」
 大都市の都市長であれば、監獄都市に詳しくてもおかしくない。そこに罪人を送る権利を持つ者である。
 彼の視線を受けてキーファは、副都市長と目で何事か会話した。それから、監獄都市に関して語り始めた。
 それは総じて、ウィングールの特徴と都市長についてである。
 罪人の都市とはいえ――いや、むしろ、罪人の都市であるからこそ――ウィングールには、都市長が存在している。
 現在のウィングール都市長は、かつて、聖都軍将軍だったほどの実力を持つ青年だ。
 聖都軍の将軍――つまりは、ルキスの前任者ということになる。ただし、青年はルキスによって失脚したわけではない。自ら進んで職を辞し、都市長となった……他の大都市長で知らない者はいないほど有名な話である。
「そいつがウィングールの都市長になったのは……人をいたぶりたかったためだ」
 言葉にしたキーファの眉間に皺が寄る。
 つまり、青年は、戦どころか些細な争いさえもない聖都軍にいることに耐えられなくなったというのである。ルキスに、聖都軍将軍の地位を譲る代わりに、かの都市の都市長にするよう迫ったとの逸話もあった。
 大都市の都市長は、選出方法が場所によって異なる。投票制、指名制、世襲制、その都市によりけりなのだ。それでも、最高神官アーティクル任命権を持っていることは共通していた。つまり、アーティクルが「不適切」と一声唱えれば、都市長の任命は白紙に戻る。
 しかし、ウィングールの都市長は聖都軍将軍によって決められる。これは、「全てが意のままになるわけではない」という最高神官への牽制であると共に、聖都の生命線でもある“食”を担うウィングールを守ることも聖都軍の使命だと強く印象づけるため。もう、数百年も前から決まっていること。
 ウィングールが他都市やその都市長にとって長く“謎”でありつづけているのは、監獄都市という性質以外にこういった側面も影響している。
「俺は実際に見たことねぇんだが……かなり残虐なヤツらしい」
 監獄都市であるため、都市にいる者は処罰されても何も言えない者たちばかり。青年は、都市長に就いて以来、武器を持たない都市民に対して気分の赴くままに力を振るっているのだそうだ。
 都市の頂点に立つ者が力によって支配を始めれば、その元に集まる者たちにもそれは浸透する。
 明確な、抗いがたい力に屈することを受け入れる一方で、彼の目が届いていない――わざと見逃しているところもあるだろう――場所では、自分たちも力によって他者をねじ伏せることを行っている。
「腹立たしい話だぜ。都市長なら何でもしていいっていうのが間違ってやがる」
「キーファ、それが間違っているとは決め付けられないよ」
「あん? 何でだ?」
「大罪を犯した者の中には、武力でなければ言うことを聞かない連中だっているものさ。法を捻じ曲げた者たちを法で制するのは難しい。ならば、力で物を言わせるしかない。――見合った容器に入れなければ、液体は溢れ出す。時には外殻を壊してでも」
 それがいいとは言わないが、副都市長はウィングールの在り様を否定しなかった。
 一拍置いて、キーファが話を元に戻す。
「とりあえず……ジェフェライト殿、お前さんたちが行こうとしてるのはそういうところだ」
 力で支配された都市、地下にある暗黒都市ウィングール。
 ジェフェライトは腕を組む。
「……テスィカさんなど、暴行に遭います」
 力のない女性など、抵抗する間もなく男たちの慰みものになる。それは耐えられない――という表情をしたところで、副都市長が一言加えた。
「彼女だけじゃなくて、あなたもね」
「……え?」
「身の危険を覚えるのは、女だけじゃねぇんだぞ。お前さん、間違いなく女のように扱われるからな」
「……どうしてですか? 私は女性のように扱われても、歴とした男なのですが」
 不思議がる彼の前で、ギガの支配者とその補佐役は、軽くため息をついた。
「ま、世界の神秘ってヤツさ、ジェフェライト殿」
「神秘?」
「言ってもわかんねぇだろうからこれ以上は言わねぇけど……どうする、それでも本当に行くのか?」
 ジェフェライトは数秒だけ目線をあらぬ方向へ運んだ。
 それは、テスィカが眠っている部屋の方。
「……私だけは参ります。何としてでも――『剣技』の第1王子である限り」
「そこまで決心が固いのであれば、止めはしないが……お前さん1人で行くのは無理だろう。はっきりした場所、わからないんだから」
 すっかり忘れていた盲点を突かれ、ジェフェライトは口を閉じた。
 同時に、ふと思ったのである。
(では、誰かウィングールの場所を知っているというのですか?)
 その疑問の答えを彼は、数時間後、思いもかけない形で知る……。


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