Deep Desire

【第7章】消えてしまうその前に

<Vol.2 予兆>

 卓に乗せられた銀色の貨幣《コイン》は歓声と共に身の丈を伸ばした。
 貨幣の傍らに乱雑に置かれた、花と山の絵柄の紙《カード》。それが回収されるそばから、囁くように幾つもの声が場を行き来する。
「おいおい、また勝っちまったのか?」
「これで何勝だ? ……化け物じゃないか」
「まったく上手いぜ。ヤバいときにゃ、躊躇なく勝負を下りる」
「あいつはギャンブルに慣れてるんだろうな……」
 それはまるで、勝負の前から決められたやりとりのようだった。この夜、彼が卓についてから何度となく繰り返される台詞ばかりなのである。
 キーファは口端を吊り上げた。卓に肘をつき、作った拳の上に無精ひげの生えた顎を置く。しかし彼の視線は卓のどこにも向けられてはしない。
 傍らに立つ美女の顔に向けられているのだ。
「すっごいわ」
 豪奢な赤い巻き毛をかきあげ、女は媚びるようにキーファにすり寄った。娼婦が出入りする賭場であればどこでも、必ず目にする光景だ。しかしながら、今、賭場の中では赤毛の女のように客引きをしてる者はいない。勝負をしている卓自体が少ないのである――ほとんどの者が、負けを知らない“ツイてる”男を囲んでいた。
 いつのまにやら集まっていた観客たちが、まるで子供に戻ったように目を輝かせて次の勝負を望んでいる。そんな中、当事者のキーファは勝負について何も語らずに空いた左手で女の腰を引き寄せた。
「もっと骨のある勝負がしたいもんだ」
 不敵に笑って言った台詞は、彼自身の本音である。率直な想いであるため、他意などそこにあるわけがない。
 しかしながら、聞く者たちはそうは思わず、囃したてるように口笛を吹き鳴らし始めた。
 勝負は既についていることは誰の目にも明らかだ。キーファの抱えた貨幣の山と、他の男たちの持つそれは、比べるべくもない差がある。時間が延びれば延びるほど、この差は縮まることはないだろう。むしろ広がるに違いない――そう推察することは、次にキーファが繰り出す一手を当てることより簡単なこと。
 そのため、近くの卓では、「あの男があと何勝するか?」と、賭け始める者たちも出てくる。紙《カード》を配る店員が、「遊戯《ゲーム》をしないなら出て行け」とばかりに迷惑そうにそれを見ていた。
(このくらいが潮時か)
 苦笑してキーファは、決意する。
 これ以上続けていても劇的な変化は起こらない。店も相当困った様子だ。出入り慣れた都市城《シティキャッスル》の賭場と違って、城下の賭場は客層が良くないのが現状である。無事に帰れるうちに店を出る……やはりそれがいいだろう。
 もっとも、彼の場合は、夜道で仕掛けられても無傷で帰れる自信はかなりある。
 心配なのは、何者かに襲撃されることではなく、何か起こってしまったときに、それがハルカや副都市長に知られてしまうことなのだ。
 何しろ、書類の山をそのままにして――厳密には、上の数枚にサインを入れて、見た目にはやってると思わせておいて――こっそり抜け出してきたのである。ちょうどキリもついたことだし、時間的にも、都市城に戻るのは今が適当だ。
(だけどな……)
 彼はちらりと、抱き寄せた女を見やる。
 くびれた腰に回した手に力を込めれば、女はしなる枝のように身を任せてきた。押し付けられる豊満な肉体が、キーファの中で抑えがたい欲求を煽る。
(しばらくご無沙汰だからなぁ……)
 都市長の過密な日程では、なかなか外に遊びに出られない。城内にはハルカがいるのだが、彼女とはもう長い間寝ていなかった。
 別に、ハルカに飽きたわけではなかった。彼の意識の中でハルカは、いつしか肉体関係を結ぶ「愛人」という存在から、「部下」という存在に切り替わっていたのである。そうなると、彼はもうハルカを抱けなかった。
 一晩のうちに何度でも溺れることのできる自分好みの肢体であっても、心を激流にさらして全てを忘れる夜は過ごせない。何も考えず、ただ男女の行為にだけ没頭するには、ハルカは自分に近すぎるのだ――嫌でも仕事を思い出す。相手もたぶん、同じだろう。
 そうして蓄積されていた欲望に、さっき火がつけられた。痺れるような甘い官能の時間を夢見て、彼の脳は既に、迅速に計算を始めている。
 翌朝には、『剣技』宙城から客人が来ることになっている……書類を仕上げる時間を逆算し……彼は数秒、考え込んだ。
 頭の中で立てた指を1本減らし、そこで何とか折り合いをつける。
(……ま、いっか)
 現実逃避が自分に1番優しいと知っているギガの都市長は、そうして椅子から立ち上がり、積まれた貨幣の山の一部を手に取った。
「勝つのも飽きた。後は好きにやってくれ」
「おいおい、勝ち逃げかよ!」
 同じ卓を囲んだ男たちが批難する。彼らを見守っていた客たちも、失望と焦燥を混ぜ合わせた声音で「もう終わりかよ!?」と合唱した。
 それを一切無視し、キーファは、美女の胸元に貨幣を全て滑り込ませた。
「きゃっ!」
 貨幣の冷たい感触と、その量の多さに女が小さく悲鳴を上げる。艶《あで》やかな声がよりどちらの意味を多く含んでいたか……それはもちろん後者であろう。
 しかしながら、キーファにはそんなことはどうでもいい。彼は、貨幣を落とさぬように女が寄せた胸の谷間を見たかったのだ。
「今夜は上がる。お前達の相手よりも、彼女との遊戯《ゲーム》の方が良さそうなんでね」
 言って、彼は、卓を親指で指し示す。
「そこにある俺の金で好きに飲み食いするしてくれよ!」
 負けこんだ男たちがキーファを押し留めようとするより早く、賭場は激しい喝采に包まれた。
 勝っていた者も負けていた者も、ただそれを見ていた者たちも、口々に酒を頼み始めた。
 喧騒があたかも酒場のように空間を満たし始めたことに苦笑して、キーファは抱きしめた女の耳元に唇を寄せた。
 芳しい香りが鼻孔をくすぐる。何の香りかはわからないが、キーファの身体がより一層火照りだした。
「じゃあ、行こうか?」
 寝台の中でしか使わない低い声音を、息と共に美女の耳朶に送り込む。僅かに身じろぐ女の腰を上下にゆっくりとなで上げながら、彼は耳を軽く噛む。
 キーファ以外の誰にも聞こえぬ喘ぎ。情事で金を稼ぐ女だとわかっていながらも、キーファの瞳に悦の色が強く浮かぶ。
 どこの宿屋に連れ込もうかと彼が心中で模索し始めた、まさにそのとき……。
「――随分と楽しそうよね?」
 歓声を縫って、聞きなれた声がキーファの耳に届けられた。
 一瞬、キーファの脳裏が純白に染め上げられる。場も、しん、と水を打ったような静けさに包まれた。
 キーファは、赤毛の美女を押しのける。完全な条件反射だ。
 そして、戦闘時のように彼は素早く振り返った。
 人垣は真っ二つに割れていた。席に座っていた者までも、立ち、椅子を退けたのだろう。店の入り口からキーファの卓まで、障害物はほとんどなく、人が1人歩ける道ができあがっていた。
 おそらくはその道を歩いてキーファの眼前に来たのであろう、先ほどの声の主である金髪赤目の女が微笑んで彼を凝視してきている。
「随分楽しそうよね、と私は聞いてるんだけど」
 キーファの背後で、赤毛の女が「あんた誰よ」と忌々しそうに呟いた。居合わせた者、全ての疑問であっただろうが、金髪の女が発する気配に飲まれて、答えはどこからも発せられない。赤毛の女が聞こえるように舌打ちをした。
 赤毛の女は、明らかに乱入してきた金髪の女を敵視している。客を取られるという危機感から来ているのかもしれないが、金髪の女に顔も身体も劣っていると自覚しているためであろう。
 そう、金髪の女は美しかった。喉元から胸元まで切り取られた菱形の部分が、深い谷間をさらけ出しているが、それは赤毛の女のものよりも深い深い谷間である。脚の付け根辺りで裂け目が入った服、そこから覗く脚はすらりと伸びていて、赤毛の女のものより長い。
 微笑を浮かべた顔は見惚れるのに十分なほど整っている。――ただし、今はその目が笑っていないため、見惚れるどころか目を合わせることさえできない。
 見つめられているキーファは当然、例外ではない。
「ハ、ハルカ……」
 彼は苦笑し、彼女が自分のところに来るよりも早く自ら歩み寄っていった。
「い、いやぁ、ちょうど城下に来ることがあったんだ。でももうすぐ、城に戻ろうと……」
「あちらの女性と一緒に、かしら?」
 腕を組み、見上げてくる赤い瞳にキーファは思わずぞっとする。
 蠱惑的な瞳の奥で稲妻を見た気がしたのだ。
「それがどうした!? お前は俺の女房でも何でもないだろう! 俺がどこの誰と寝ようが、お前にそれをとやかく言われる筋合いはないんだがな!」――と心の中では叫ぶのだけれど、実際には一言も口から出せない。
 浮気に寛容なハルカがこうして怒っているときは、何も言わない方が懸命である。彼も過去から学習していた。
 しかし、その想いも虚しく、彼の背後にいた赤毛の女が2人の間に割って入った。
「なによ、あんた。彼は今夜、私のものよ。横から取ろうたってそうはいかないからね!」
 金づるの、しかもいい男である。「娼婦」という商売人の顔で、赤毛の女がキーファの腕を強引に掴む。
 おおっ、と、それまで静寂に束縛されていた無責任な観衆がどよめいた。
 女同士の男を巡る攻防を酒の肴にするかのように。
「わ、ちょっと待て……」
 慌てて止めようとしたキーファの首に、女は腕を絡めてきた。そして、唇にキスをする。――それは恋人への甘いものではなく、かといって客への激しいものではなく、たとえるならば、大事な玩具を「あたしのものよ!」と見せびらかすような、そんな幼稚なものだった。
 始まりと同じく、唐突にキスをやめて、女はキーファに身体を押し付けた。
「いい? 彼は私に、今夜は寝台で何度も殺してやるからな、って言ってくれたのよ!」
「言ってない、言ってない!」
 本当に言ってないので首を横に何度も振るが、悲しいかな、ハルカはキーファの主張をひとかけらたりとも信じてないという一瞥をくれた。
 普段が普段だけに、信じろとはとても言えない。
(あぁ……)
 終わったな、とキーファは項垂《うなだ》れた。
 何をどう言ったとしても、これからしばらく、自分は執務室から出してもらえないに違いない。仕事づくめの毎日だ。
 憂鬱な彼を無視して、赤毛の女が喚くようにハルカに言葉を投げつける。
 よした方がいいのにと、止める気力さえわかずにキーファは両手を上げる。
 降参、の意味で。
「や、ちょっと、何するのよ!?」
 赤毛の女が悲鳴のような声を発し、キーファが何事かと確認するよりも早く――彼の上げた腕に何かが絡めつけられた。相当に勢いよく。
 ……縄だ。
 いや、縄ではない。正確には鞭である。数ある“ハルカご愛用の武器”のうちの1つ、鞭、だ。
「あなたをこれで痛みつけようなんて思っちゃいないわ。これはキーファのためにあるの」
 ハルカの発言に、賭場はますます騒然とした。
 鞭で打たれることが趣味なのかと勘違いしたからでもあり、同時に彼が、キーファだと――このギガを治める、あのキーファリーディングだと――気づいたから。
「行くわよ、キーファ」
 人々の注目を一心に浴びて、本来ならばギガで誰よりも権力のあるはずのキーファは、素直に首を縦に振る。
 今夜は長い夜になる。赤毛の美女を抱きしめてそんなことを思っていたのに、別の意味で長い夜になりそうだと密かに彼は嘆息した。



「すごい活気……」
 展望台《バルコニー》に出たテスィカの第一声はそれだった。
 眼下には、天上から降りた星々が広がっている。遠くに見える都市門まで、散りばめられた数多の光は絶えることなく明滅を繰り返していた。眠りの時刻はとうに過ぎている、普通の都市ならば夜空を映した湖面のように暗闇が広がっているはずなのに。
 西方都市ギガ――享楽と賭博の都市。
 話に聞いたことはあるが、目にしたのは初めてのこと。圧倒されて、テスィカは言葉を飲み込んでいた。
 そんな彼女を現実に呼び戻したのは、共にギガを訪れた青年の声である。
「夜景がキレイでしょう、テスィカさん」
「ジェフェライト……」
 驚く必要はないというのに、テスィカの声が少し上ずる。ほんの少し前に部屋を出て行った『剣技』の王子が戻ってきた気配は感じなかった。
 失態とは言わないまでも、自分自身、どこか恥ずかしくて口早に言葉を紡ぐ。
「ギガの都市長は?」
「今、側近の方が呼びに行かれました。こんな時間ですからね、朝にならないとお会いできないかもしれません」
「不満は言わない。悪いのはこちらなのだから」
 テスィカは諦観している様子で言うと、再びギガの夜景に目を向けた。
 彼らは当初、明朝にギガを訪れる予定であった。
 目的は2つ。
 1つ目は、『剣技』の宙城で起こったことを報告する。それが目的。
 ジェフェライトはルキスの強襲をギガにおいて知ったのだが、それは『剣技』の民がギガに転移して事を説明していたためであった。
 ギガがそれを黙殺などせずにジェフェライトに伝えたくれたからこそ、彼は迅速に宙城に駆けつけることができたのである。『剣技』の民全てにとっての恩人は、『魔道』の王子、ラグレクトだけではない、ギガもそうなのだ。
 恩人ならば、事の顛末《てんまつ》を知らせる義務があるに違いない。テスィカにもラグレクトにも信じられないそんな主張をしたのは、律儀なジェフェライトならでは、だ。
 もう1つの目的は、監獄都市ウィングールへ向かうための準備をすること。
 ウィングールに潜入する手っ取り早い方法は、罪人になる――これである。真正面から正攻法で行くのは賢くない。ただ、仮初《かりそめ》の罪人になるとしても、大都市の都市紋が入った証明書はなんとしてでも必要だ。
 罪人の証明書は偽造が難しい。技術的な問題ではない。『剣技』の宙城にいる誰もが、それを見たことがないのである。
 当初はアーティクルに協力を要請しようとしたのだが、それは病床のエリスに反対された。
「フライは罪人の少ないところ。そこへ、自分のところで裁ききれない罪人を2人も送ると言い出したら、かえって怪しまれるでしょう」
 茶色の髪の王女はそう言って、枕に頭を預けたまま天井を見つめ、頼るならば別の都市長にすべきだと頑固に主張した。
 事情を聞いたアーティクルも賛同し、自分の代わりにギガの都市長キーファリーディングに白羽の矢を立てたのである。
 礼を言うために赴こうとしていた都市に、これ以上迷惑をかけることは受け入れがたい。――最初ジェフェライトは難色を示した。が、ウィングールに最も近い都市がギガだと知ってしまい、実母と歳が大して変わらぬ銀髪神官に淡々と諭された結果、最後は彼女に従った。
 そのような経緯で、テスィカとジェフェライトはギガまで転移した。
 間違って、予定よりも半日早く。
「まぁ、いいさ。朝まで一眠りすればいい」
 言ってテスィカは振り向こうとした。それよりも早く、彼女の肩に何かが触れる。
 なんだろうと見てみると、それはこの部屋の寝台に畳んで置かれていた薄布だ。
「風邪を引きますよ」
 傍らに来たジェフェライトが優しく笑む。
 テスィカもつられて、微笑んだ。
「ジェフェライトのように、か?」
「それは言わない約束でしょう」
「つい思い出したから……あのときのジェフェライトのくしゃみ、相当にひどかったな」
「それは早く忘れてください」
 ジェフェライトは肩をすくめて懇願する。彼が本気で困っているときの癖を見て、テスィカは肩を震わせた。
 『剣技』の王子はため息を、夜風に誘われたように吐き出す。
「ラグレクトがこの場にいなくて良かったですよ」
「あいつがいたら、ジェフェライトはもっとからかわれていただろうな」
 もし、話題の主がその場にいたら、からかうどころか別の反応を見せたに違いないのだが、そんなことはまるで考えずテスィカとジェフェライトは談笑しながら部屋の中に戻っていった。
 別れ別れになったラグレクトは、すぐにでも駆けつけると何度も念を押していった。だが、彼に寄りかかるようにして立っていたオルドレットは「そんなことなど許さない」とばかりに、テスィカたちを睨みつけていた。
 まるで手負いの獣が母親を引き渡さないと威嚇するように。
 苛烈に、容赦なく、睨みつけていた――。
(ラグレクトは、もう、私たちの前に現れないかもしれないな)
 テスィカの脳裏に、そんな思いがよぎっていく。
 『魔道』の少女はラグレクトの子を身ごもっている。だから『魔道』へ帰るべきだ――彼にテスィカは進言した。確かにそう思ったから。
 それなのに、あのまま彼を『魔道』に行かせてよかったものかという疑問を彼女は拭いされずにいる。
 『魔道』の族長、ヴァルバラントは、ラグレクトを死者のように扱っていた。実の父親だというのに。
 息子はもういないのだと公言していたのである。……そこに飛び込んで大丈夫なものか?
(それに……)
 ラグレクトは、『魔道』から出たがっていた。
 オルドレットを前にして、自族を思いのほか詰《なじ》った。そして、何もかも捨てたと吐き捨てて『魔道』宙城から転移したのだ。
 今回の場合、オルドレットを連れて戻らなければならないとはゆえ、ラグレクトを果たして宙城へ向かわせて良かったのか? ……そんな風に言い知れぬ不安にテスィカは抱かれている、今、この瞬間でさえも。
「気になりますか、彼のことが」
 沈黙を訝《いぶか》ったのか、ジェフェライトがテスィカに声をかけてくる。
「いや……」
 否定しながらも、彼女は思い起こしていた。
 黒髪に茶色い双眸を持つ青年を。
“愛していたから俺は抱いたんだ!”
 その青年の告白を。
 その瞬間、テスィカは目を見張った。
 胸元で拳を握る。
(ラグレクトの……子供……)
「テスィカさん?」
 ジェフェライトがテスィカの肩に手を置いてくる。
「大丈夫ですか? 顔が真っ青ですよ――風にあたり過ぎましたか?」
「気にしないでくれ……大丈夫」
 上の空で言い返し、テスィカは服を握り締めた。
(嫌だ……)
 吐き気が込み上げる。
 背筋に悪寒が走っていった。
(ラグレクトの子供だって?)
 思考を断絶しようとするが、まるで転がりだした球のように、次から次へ止められない――自分の中の「何か」が襲い掛かってくる。
(抱いたのだ)
(愛していると囁いて)
(微笑んで)
(頬に触れて)
(そして、きっと)
 心臓が激しく踊る。身体がバラバラになるのではないかという緊迫感に、意識が傾く恐怖を覚えた。
 これは一体何? 何なんだ?
 眩暈《めまい》がする。息苦しい。わけがわからない。
 ラグレクトの茶色い双眸が何度も何度も思い起こされる。
 また、魔道だ……! また、彼のかけた魔道が心を締め付ける……!
(誰か、助けて――)
 悲鳴のようにテスィカは叫んだ。心の中で。
 誰にも聞こえたはずのないものだったが、ちょうどそのとき、扉がノックされる。
「ジェフェライトさん、まだ起きてるかしら? キーファをお連れしましたわ」
 キーファ――ギガの都市長、キーファリーディング。
 ちょうどいいところに来た、これで苦しみから解放される。
 テスィカがほっと息をついた。そしてそれを狙っていたかのようなタイミングで、テスィカの心は闇の中に落ちていった……。


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