Deep Desire
話は、アーティクルとキーファリーディングの会話より6日前に遡る。
ルキスとコウキによる『剣技』襲来の翌日に。
夜が明けると、『剣技』の宙城は前日の騒ぎが嘘であったかのように落ち着きを取り戻していた。
むろん、完全に、とまではいかない。
族長と王女は瀕死の重体、一族の多くの命が消えた。防御壁《ホールド》の関係もあって、囁くようにどこからか入ってくる冷風が城に漂うわずかな血の香りでさえも鼻孔に運ぶ――その度に、『剣技』の民の表情は翳った。
しかしながら、彼らは取り乱すこともなかった。このような状況に陥っていても。
それは第1王子、ジェフェライト・ジャスティが宙城に戻ってきたためである。
聖都の将軍ルキスによって監禁されていたはずのジェフェライトが、一族が危機に際して颯爽と宙城に現れたことは彼らにとって目頭が熱くなるほどのことであった。
しかも、愛し、尊ぶべき自分たちの王子は、『魔道』と『賢者』の力を借りてルキスを追い払ったのである。『剣技』族長でさえ適わなかった、美貌の将軍と恐れられるルキスを、だ。
――今、『剣技』が外見だけでも落ち着きを取り戻して見えるのは、民のほとんどがそのように理解しているためである。
その城内の空気を感じ取っていたラグレクトは、朝食の席で前置きもなく「これからどうする?」と口火を切った。懸念を込めたとわかる堅い声で、それを気取らせないためなのか、食事を取る手は休めずに。
ジェフェライトはすぐに意見を述べた。こちらも手を止めはしない。が、彼の言葉が意外なものだったため、ラグレクトは野菜を口に入れることなく、ぽろりと皿の上に落としてしまった。
『剣技』の王子は同席しているもう1人の方、テスィカへ目をやる。彼女もラグレクトと同様に、まるで魔道が発動したかのような有り様だ。
2人は、自分たちから等距離のところ――ラグレクトにとっては左斜め前、テスィカにとっては右斜め前――にいる発言の主を凝視する。
「……どうしました、2人とも」
今日はいい天気ですね、と挨拶みたいな口調である。その口ぶりにあからさまに戸惑っていたラグレクトは、大きく深呼吸してから確認のために問い掛ける。
「……お前、聖都に行くって言ったよな」
「えぇ」
「行くって言ったって……」
口で言うのは簡単だが、それがどれだけ難しいか!
声には出さなかった代わりに、聞こえるように吐き出されたのは大きなため息。聖都へ入城することの難しさは、今さら語られるべきことでもないからだ。
聖都へは、一定以上の位階にある者、つまり転移門を潜る鍵を持つ者以外は入ることが難しいとされている。ほぼ不可能――ラリフ帝国に居を構えるものならば誰しも知っていることである。
3族の者であるなら、なおさらに……。
「転移門、飛船、どちらを使っても無理なものは無理だ」
ラグレクトは額を見せるように黒髪を手で撫でつけながら冷淡に言い放つ。
冷めた話し方は、彼を知らない者からすれば機嫌を損ねたかもしれないと案じることもあるだろう。が、ジェフェライトは悪びれることもなく毅然と答える。
「わかっています」
そして、何か言いたそうな黒髪の王子を振り切ってやや早口に声を発した。
「お2人は、監獄都市ウィングールをご存知ですか?」
唐突に出てきた都市の名前に『魔道』の王子と『賢者』の王女は顔を見合わせる。
話の展開が読めなかったが、とりあえずテスィカは若干の沈黙を破るように頷いた。
「……ウィングール……あの、ウィングール?」
「暗黒都市のことだろう?」
ラグレクトが言い放った別称に、ジェフェライトは満足そうに微笑んだ。
監獄都市ウィングール――またの名を、暗黒都市ウィングール。
各大都市で重い罪を犯した者、もしくは、度重なる罪を犯した者を収容する都市である。
重度の犯罪を犯した者は、“聖女”の御名において各都市長が処刑する権限を持ちうる。だがしかし、処刑以外の方法として、この監獄都市に収容するという方法もあった。それが許されているのは、ウィングールへ行った罪人は、別の都市に戻ってくることはないからだ。ウィングールへ送られることは死と同等の意味を持つため、選択肢の1つに挙げられている。
ただ、この監獄都市に収容されることは明らかに死とは違っている。
ウィングールにいる罪人たちは、聖都のための労働を義務付けられるのだ。休む間もなく。
水晶の大木の上に立つために自給自足できない聖都、そこにいる者たちが生きていくための食べ物はもちろん、必要とされる物全てを作らされるのだ、ウィングールでは。
元々、死ぬはずだった人間達を集めている都市である、労働環境は苛酷を極める。都市を統括する者に少しでも反抗しようものなら、待っているのは、死、それのみ。ただし、即死させてはもらえない。抵抗もできない状態で何度も何度も嬲《なぶ》られ、その挙句に殺される。楽になりたくて労働よりも死を選ぶ者が増えないための狡猾な計算であると共に、内紛の少ないラリフにおいて聖都兵たちの「実戦訓練」と称した憂さ晴らしであることを、3族に名を連ねる王子たちは知っていた。
かの都市に「希望」や「未来」という単語は存在しない。ゆえに別称を「暗黒都市」と言うのである。
「ジェフェライト、それが一体どうしたというんだ? 聖都に行くのとどう関係ある?」
「監獄都市ウィングールは、実は聖都の麓《ふもと》にあるのをご存知ですか?」
ジェフェライトが一気に説明してみせると、ラグレクトの顔色が変わった。
「なんだって?」
驚愕のために出てきた台詞。
彼の反応は、ごくごく正常なものである。
なぜなら、ウィングールが「暗黒都市」と呼ばれているもう1つの理由が、ラリフ帝国の者のほとんどがどこにあるのか知らないためである。
確実に存在しているというのに。
律儀にもジェフェライトは同じことをもう1度繰り返す。
「監獄都市ウィングールは、聖都の麓にあるのです。……『賢者』が炎上したあの森の中に存在しているのです」
『賢者』の名にテスィカの顔が強張った。打ち消すように、ラグレクトが話を進める。
「俺は『魔道』の宙城を出てあちこち旅をしたし、あの森にも足を踏み入れたが……ウィングールは見たことないぞ」
「姉の話では、ウィングールは地下都市なのです。そこにある、とわかっていなければ見過ごすこともありましょう」
「地下に都市?」と叫んだのは、黙ったままだったテスィカ。
後を次ぐようにラグレクトが素朴な疑問を口にする。「どうやって地下で暮らせるんだ?」と。
人は、地上と空の上でしか暮らせない。彼らにとって常識である。
地下は不浄の世界。
“聖女”が3族の力を借りて“不和の者”を地の底に封印した。よって地下には、万物の生命を祝うために天が注ぎ込む太陽光が届かない。3族においては、創世神話を信じていようといまいと関係なく、地下には息をする空間がなく、どこまで行っても「地」なのだと伝えられていた。
第一、ラグレクトもテスィカも知っている。
地面というものがどんなものか。
2人は理由こそ同一ではないものの、共に地上で数年間を過ごしてきた。幾ら掘り起こしても大地の下に空間など見つけたことは未だかつてない。
宙城に滞在し続けていたジェフェライトの話は、彼らにとって信じがたいことこの上ない。
そんな2人の心中を見抜いてか、笑うこともなく、ジェフェライトは言う。
「私も最初に姉から聞いたとき、同じように言いましたよ」
ジェフェライトは、持っていた三叉尖《フォーク》を皿に上にそっと立てかけて、話す体制を整えた。
「姉の受け売りですが……地下であっても生活ができるのです。監獄都市ウィングールがあるところは、もとより巨大な空洞だったと言われています。聖都の地下、水晶木の幹を中心とした空洞です。水晶木の幹は、地上の光を地の底まで着実に届けますし、水も漏らさず伝えるそうです」
「それにしたって、地下なんだろう? 天井が落ちてくるかもしれないじゃないか」
「そうですね」
「そうですね、って……」
「その可能性は否めませんが、落ちてきても構わないのです。ラグレクト、さきほどあなたがご自分でおっしゃったじゃありませんか。かの都市が“暗黒都市”だ、と」
――天井が落ちてきて空洞が潰れてしまっても、中にいるのは罪人だけ。死ぬはずだった者たちだけ。
ならば気に留めることではない。
……別にジェフェライトがその考えを容認しているわけではないとラグレクトにだってわかっているのだが、彼は釈然としない気持ちをぶつけるように舌打ちをした。
(罪を背負った者たちには偽りの光を与え、頭上に恐怖を抱えたままで日々を生きよと言いたいのか)
地中にありながら光に満ちた“暗黒都市”。
ラグレクトは杯に手を伸ばす。そうして薄い碧色をした酒を彼は喉に流し込んだ。
「胸くそ悪くなるな。――話を元に戻そう。で、そこがどうしたってんだ、ジェフェライト」
「……ウィングールには、聖都へ食料を運ぶためだけの転移門があるそうです」
そこまで聞いて、黒髪の青年は斜め前に座る同じ歳の王子が考えていたことにやっと気づいた。
彼は訊く。
「その転移門から聖都に入ろうと?」
自然と声調が下がっていく。
掠れるほどの低音で彼は一気に話の核心に迫る。
答える方も、同じように声を潜める。
「えぇ。当然、警備は厳しいのだと推測しますが、大都市の転移門よりも使えると思います」
「この非常時に、『剣技』を捨てて渦中へ飛び込むと?」
テスィカが批難の言葉を投げる。
『剣技』の族長、王女が瀕死の重傷だったのに宙城を離れようとする行動を責めているのだろう。
一族を失った王女らしい発言だ。ジェフェライトを気遣う声にしか聞こえないのを、ラグレクトはそう思うことにした。思わなければ、話に集中できない。
「いつまた、ルキスが攻めて来るかわからないというのに、宙城を空けるとは愚行だ」
わからぬわけではあるまい、と端々から漂う気配に、彼らを見ていたジェフェライトが始めて唇を真一文字に結んでみせた。愚行、とまで言われたためかと思っていたのだが、どうやらそうではなかったらしい。
彼は、真摯な眼差しでラグレクトとテスィカを見返してゆっくりと言葉を紡いでいった。
「ルキスはしばらく、この宙城に攻めてこないのではないかと思います」
ラグレクトはテスィカと顔を見合わせる。
楽観的観測にしか思えないため、どちらも唖然とした雰囲気を匂わせた。
気にも留めずに、ジェフェライトは根拠を述べた。
「ルキスは、『剣技』を滅ぼすつもりはないと見ています。なぜならば、昨日、私たちが劣勢だったにも関わらず、ルキスたちは引いて行った……滅ぼすつもりであれば、我が族長も確実に仕留め、王女の息の根も殺したはず」
そして自分たちも確実に殺されてたはず。
そこまでは語られなかったが、視線だけでラグレクトは感じ取った。おそらく、テスィカも。
「勢いに乗じて『剣技』の頭を潰すのが賢いやり方です。でも、ルキスはあえてそれをしなかった……つまり、『剣技』を滅ぼすつもりなどなかったのです」
「……いつでもお前たちを殺せる、と思わせるだけで満足したと?」
「そのとおりです、ラグレクト。『剣技』の剣で宙城を落とすわけでもなく、それを使って転移してきたことがそもそもおかしいと思いませんか? いつでも『剣技』の背後から、絶対的な力を持って切りつけられるというのを誇示したかっただけなのだと思うのです」
回りくどいことだろうが、言われてみるとそんな風に思えなくもない。
ルキスとコウキが有利な戦局で身を引いたのは、そう思わなければ納得できない。
あれは威嚇だったのだ、と思わなければ。
(では、なぜ、威嚇をした?)
なぜ、威嚇で止めておいた?
今後を案じるばかりに動けないよう心理的ダメージを与えておくに留めたというのだ?
自分に問い掛けてみたものの、ラグレクトには答えを見つけられなかった。
ルキスの不可解な行動に明解な解答は探し出せなかった。
「ルキスは、私たちが今回の件から宙城を出ないだろうと計算しているに違いありません。その隙を突いて『剣技』の剣を取り戻すために聖都に入ります」
攻められたらどうするかについて、彼は何も言わずにいる。
それでも、ラグレクトは察することができた。
(どうせいつか再び攻められるなら、事態を改善させるべく動いていた方がいいもんな)
ジェフェライトは守りを放棄するために動くのではない。
自族を守るために動く、のだ。
「……私もついていく」
テスィカの言葉はそのとき、ラグレクトの思考を一気に蹴散らした。
まるで、眠りに落ちていたのを激しく揺さぶって起こすように、だ。
「テスィカさん……!」
「私はルキスと戦わなくちゃいけない。ジェフェライト、あなたが『剣技』のために聖都に赴くように、私も滅んだ『賢者』のために聖都に向かわなくちゃいけないんだ」
「それは絶対反対だ!」――と言えたらどんなにいいことか。
しかしながら、ラグレクトはテスィカの意向に反論できない。
できるはずがない。
もう生きてはいない『賢者』の民を引き合いに出されては、止められるわけがないというもの。
ジェフェライトと一緒にいて欲しくない、という理由だけでは。
「……ならば、俺も行く」
却下されるだろうとわかっていながら言ってみたが、案の定、テスィカが突っぱねた。
ジェフェライトではなく、テスィカの方が。
「お前は弟を『魔道』に送るだろう? それから……さっき言ってたように、子供のことも話してこないと」
「だから、それは何かの間違いだ。絶対に!」
「絶対、という言葉の信憑性は低いものだ。一度、自分の目で確かめてきた方がいいだろう? ……私は聞いたんだ。あの少女の唇から漏れた言葉の全てを」
「俺は……」
「ラグレクト」
席から立ち上がりかけたラグレクトを止めるようにジェフェライトが名を呼ぶ。一時《いっとき》、大気が凍ったように静けさが部屋に満たされた。
一歩も引かないぞという姿勢のラグレクトに、ジェフェライトは柔らかそうな茶色の髪を躍らせるように首を縦に振った。それでけでは場が収まると思っていなかったためなのか、ジェフェライトはラグレクトをなだめるように言う。
「まずは『魔道』に行かれてオルドレット殿を送り届けてきてください。その後、合流いたしましょう」
「それまで……」
それまで、テスィカには手を出すな、と心の中で言葉にする。
あくまでも、心の中で。
「それまで、無理はするなよ」
現実に彼が言えたのは、それで精一杯だった。
こうして彼らは6日後に、動き始めたのである。
ジェフェライトとテスィカは監獄都市ウィングールへ。
ラグレクトは、己の故郷、『魔道』の宙城へ――。
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