Deep Desire

【第7章】消えてしまうその前に

<Vol.0>

 暖炉にくべった薪が大きくあくびをするように声をあげた。
 応じるように肩からすべり落ちた銀髪をアーティクルは小指で耳にかける。それを見た者は彼女の艶然たる所作に目を奪われることだろう。
 アーティクルの眼前、水晶鏡に映し出された人物も例には漏れず、表情を殊更柔らかくした。
 彼が自分に見惚れたのだと気づかぬアーティクルは変化に戸惑う。
「どうしました? キーファリーディング」
『いえ……何でもございません』
 ギガの都市長、キーファは苦笑いでもって答えた。
 無頼の女好きとして有名なキーファにとって苦手な女性は数えるしかいないのだが、アーティクルはそのうちの1人であった。舌先三寸で女の気を逸らすことが得意なキーファも、ラリフ帝国に広く名の知れた銀髪の神官を前にすると別人のように口下手になる。
 それをアーティクルは知らないものだから、彼が大きな杞憂を心に抱えたと勘違いしたようだった。
「ラグレクト様なら平気でしょう」
 元気付けるように言葉を添えて微かに彼女は笑む。
 これ幸いとばかりにキーファは、苦笑して話題を元に戻すことにした。
『しかし、ラグレクト……『魔道』の王子が本当に宙城に戻るとは……』
「オルドレット様1人では転移門《テレポートゲート》を潜れないようです」
『家出人が自分から戻るわけですか……族長のヴァルバラント殿がお怒りにならなければいいが……』
 3族のうちでもとりわけ『魔道』は外部との接触を嫌う、閉鎖的かつ排他的な一族だ。よそ者を認めないのと同様に、自族を出て行った者も認めないだろう。
 その『魔道』の中で、厳格なことで有名なのが現族長のヴァルバラントだ、実の息子といえども温かく迎え入れることは想像しがたい。
「ひどいことにならないように祈るしかありませんわね」
 何をどう言ったとしても、『魔道』の中で解決するしかない問題。
 アーティクルは冷淡に突き放す。
 そして、慈悲深き“聖女”に次ぐ権力をもった女性神官は、その冷え切った声で、言葉で、キーファに1つの疑問を投げた。
「……一体ルキスは、何をしたがっているのでしょうか」と。
 “聖女”の守護者たる『賢者』を滅ぼし、『剣技』に痛手を負わせた将軍――彼についてアーティクルは、思い描いても答えの出せない謎かけに挑んだようだ。
 キーファも、顎に手をやって疑問の海に身を投じる。
 美貌の将軍はラリフを支配したいのか?
 それともラリフを滅ぼしたいのか?
 ……普通に考えれば後者である。『賢者』を滅ぼしたことを考えるのであれば。
(あるいは、イスエラに差し出そうとしているのか?)
 まだ誰にも打ち明けていないが、イスエラは確実にラリフの内部に手を伸ばしている。
 ルキス、お前は何がしたい?
 水晶鏡から目をそらし、キーファは天井を見上げて息をつく。
 何かが変わっている。
 変わりつつある。
 どこへ向かってかはわからないが。
「さて、どうしたいんでしょうかね……見当もつきかねます。彼の行動も、それから……」
 彼はもう一度アーティクルへ視線を戻し、不敬だとわかりながらも言い切った。
「沈黙を通す、我らが“聖女”様のことも」
 アーティクルの顔に走ったわずかな苦渋の色をキーファリーディングは見逃さなかった。


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