Deep Desire

【第6章】金色の戦慄

<Vol.3 秘事>

 キーファリーディングは扉へ向き直った。話し込んでいた副都市長が顔を向けたのとほぼ同時に。
 彼は微かに緊張し、肩で息をするハルカを見つめた。
「どっちだ?」
 扉に手をかけ立っていたハルカは、にわかに表情を曇らせる。
「……亡くなったわ」
 凶報にキーファは唇を噛みしめた。
(だめだったか……)
 医師たちが治療に入ってまだそれほど経っていない。騒がしい足音から、もたらされる報告を察することは難くなかった。
 だがしかし、ハルカの口から直接聞くまで希望を捨てずにいたのである。
 できることなら助かって欲しい、と。
 結末は、その希望を見事に粉砕してくれた。
 亡くなったのは、ギガの都市城《シティキャッスル》へ逃げてきた『剣技』の民。
 ギガに転移してきた『剣技』の兵は、ルキス来襲の報を告げ、その場で息を引き取ったとハルカは言った。だがしかし、緊急転移をしてきた者は、実はもう1人いたのである。
 もう1人は、まだ幼い少年だった。
 成長の階《きざはし》をこれから幾段も駆け上ろうとする、まだ幼い少年だった。
 未だ白く、さほど筋肉のついてない少年の背に走った2本の傷――それが致命傷だったという。転移の直後、衝撃で傷口はさらに裂け、夥しい血が転移門を赤く染め上げたそうだ。
 それが直接の死因であるとハルカはキーファに報告をした。
「……わかった……」
 キーファは頷く。そういう風に答えることしかできなかった。
 少年の転移はあらかじめわかっていたものではない。医師たちが最善を尽くしたことをキーファはよく理解していた。
 それでも、落胆のため息を静寂が満ちた執務室に落とすことは止められない。背を見せた少年を無残に斬りつけた者を恨まずにはおれない。
 今すぐにでも『剣技』に乗り込み、残虐で卑怯な者に対し、思う存分剣を振るいたい欲求にかられている。
 それを彼が行わないのは、まだ理性が残っているからだ。
 自分はギガの都市長であり、昔とは違って、思いのまま行動できるほど身軽ではない――それがわかっているからだった。
「ハルカ」
 キーファは怒りを押し殺し、ハルカに早くも次の指示を出す。
「医師たちに労《ねぎら》いを」
 出せる力は出したとはいえ、助けようとした者は亡くなった。医師たちは己の無力さを感じ、今夜は酒を友とするだろう。あるいは、彼らもギガの民だ、胸に穿《うが》たれた空間を女で埋める者もいよう。
 キーファはハルカに、医師たちをまとめて都市城へ招き、ギガの金で酒と女を提供せよと命じたのだ。
 これは、別に、今、初めて出した命令ではない。ギガではこのように、ギガに貢献した者たちを都市の金で労うことをしばしば行っているのである。
 キーファの傍らで共に報告を聞いている副都市長がギガを治めるためと称して、数年前に提案したのだ……。



 享楽と賭博の都ギガでは、金を落としに来る者が過ごしやすいよう、都市税によって集められた金で都市内の整備を行っていた。昔から。
 ゆえにギガは、ラリフ国内でも都市税が高いことで有名だ。神殿都市フライの倍はある。
 当然ながら、それを不満に思う者もいる。より客足を伸ばすために環境整備が必要なことくらい誰しも理解はしているが、他の都市であるならば自分の懐に入っていた金が出て行くことになると思うと、憮然とするのは仕方がないことだろう。
 実情を調査した副都市長は、キーファにこう進言した。
「都市税の一部を、ギガのために働いた民に還元することを勧めるね」
 キーファは机に広がる報告を指差して、ぶっきらぼうに言い返した。
「還元って……どこにそんな金がある?」
「あるだろう。君の懐に」
「……は?」
 ギガの都市税は、大まかに分けて2つの使い途《みち》がある。
 半分は、ギガの自治権確保のために使われる。聖都と神殿都市フライへの奉納金だ。
 残りの半分は、ギガが都市として機能するために使われている。都市内整備のみならず、ギガの兵や都市城に仕える――要するにキーファの私兵たち――への給金の元となっていた。
 ギガを治める都市長、キーファ自身の給金は、聖都への奉納金から下賜される。つまり、キーファの懐に入る金は、都市税の一部なのである。
 副都市長は、ギガの都市長がもらうべき給金を民への還元に充てろと言うのだ。
「俺に小遣いナシで働けと?」
「全部なんて言ってないだろう」
「……どのくらいか聞いていいか?」
「君には半分もあれば十分じゃないか?」
 その言葉で、キーファは副都市長の案に賛同した。
 もともと彼は、金への執着がほとんどない。まるでないわけではないが、賭場と女で遊べる金があれば十分。
 そう思っていたのもあるし、副都市長の提案に裏があると読みきったからだ。
 ギガに住む者、誰に対しても行う還元ではない。都市に貢献した者に対する還元である。“ギガは、ギガに尽くした者にそれなりのものを与える”“ギガに恩を売っておけば損はしない”――そのように思わせておけば、いざというとき、動かせる人の数も、幅も、広くなる。加えて、還元の際に、外部に漏らせない出来事に関して接触した者を集めることによって、情報の操作をすることができる。万が一、機密と言える事項が広まってしまった際、人物を特定しやすくなるのも利点であった。



 今回の場合、『剣技』の少年の治療に携わった医師たちに酒と女を提供するのは、この情報操作の色合いが強い。
 女は、キーファの選んだ女たちだ。口も堅く、信頼できる。話を漏らしそうな者とそうでない者は一晩のうちに判別できるに違いない。
 『剣技』の騒動はギガに飛び火した。
 ラグレクトがジェフェライトを、『剣技』の王子を連れてきたときに、いつかは火がつくと決まっていた。
 恨むことはしない。焦りはしない。
 そんなことをしている暇があるならば、確実に火を消し止めればいいだけの話。
「ハルカ、頼んだぞ」
「……えぇ」
 若干暗い声ではあったが、ハルカはしっかりと応えを返した。
 彼女が部屋から退出するのを見送って、キーファは再び副都市長との会話に入る。
「それで、さっきの話の続きだが……本当か?」
 意識したわけではないが、キーファの声のトーンが下がる。
 副都市長は、碧色の怜悧《れいり》な目を細めてキーファを見つめた。それから彼は、部下からの報告を書きとめた自筆の書類を軽く手の甲で叩き、小さく頷く。
「間違いない。昔、サラレヤーナで散々見てきた傷と同じだ」
「逃げてきた『剣技』の民は、ルキスが攻めてきたって言ってたんだろう?」
「ルキスのみ、とは言っていない」
「だからと言って『剣技』にいたとでもいうのか? ――イスエラの者が」
「……信じるも信じないも君次第だよ、キーファ」
 キーファは顎に手を当てた。昨日剃ったばかりの髭が生え始めている。確認するわけではないが、短いそれを触りながら彼は考え始めた。
 長年行動を共にしている副都市長の性格は熟知していた。
 一回りは歳の離れた、若いこの副都市長は、剣の扱いにかけてはキーファどころかハルカにさえ及ばない。しかし、彼の武器は剣ではなく、その頭脳。
 赤毛の下で宝玉のように美しい碧の瞳を眇めたとき、彼の脳はものすごいスピードで動いている。それこそ、キーファやハルカなど足元にも及ばぬほどに。
 その副都市長が断定を用いて事象を告げたとき、それが覆されることはキーファの経験上では指折り数えるくらいしかない。
 信じる信じないは君次第だよ……。
 “信じられない”事実は、キーファが信じないだけであって、可能性でいえば“起こりうる”。
 “間違えることがほとんどありえない”青年の言葉と比べると、あとは確率の問題だ。
 そして、それを純粋に比べるならば、青年の言葉の方が、彼には重かった。
「……イスエラは少し前に王が変わったんだったな」
 思い出して言うと、副都市長が簡単に説明を加える。
「ラリフは『賢者』炎上事件で騒然としていた頃だったから、あまり注目されなかったけど」
「まだ若い王だろう」
「君より若い王だ」
「……血に餓えて、攻勢に出てきたとしてもおかしくない、か」
「問題はイスエラがこの時期にこちらに手を出してきたことじゃない。どうやって宙城の中に入ったか、だろう」
 そうだな、という言葉をキーファは飲み込む。
 宙城に入るには転移するか、もしくは転移門《テレポートゲート》を通るしかない。前者は『魔道』にしかできず、後者も限られた範囲の人間だ。
 ――内通者がいる。間違いなく。
 それも、ラリフ帝国の中枢に近い場所に、いる。
「……内輪で揉めてる時期じゃない」
 ギガという大都市の都市長としてキーファが取るべき行動は、この事実を速やかに伝えること。
 ラリフを守る聖都軍と3族に。
 だが……誰に伝えればいい?
 『剣技』の兵が負った傷から導き出した推論を誰に伝えればいいというのだ?
 ルキスが牛耳る聖都軍には言えない。『剣技』の宙城に転移することができる『魔道』も同じ。滅びた『賢者』は論外だ。
 残った『剣技』に教えて、事実を調べてもらうか?
 ……無理だ。『剣技』一族のみで、しかも、この騒ぎの中で、隣国の脅威を知らせて何になる? 自族を守ることで必至な一族がどうこうできる問題か?
 キーファは舌打ちしたい気分になる。
 ルキスが求めているもの、目指しているものはさっぱりわからないが、彼は確実な足取りで、「何か」を成し遂げるべく前へ前へと進んでいるのだ。
 キーファは呟いた。忌々しげな口調で強く。
「やってくれるじゃないか、ルキス将軍」と。



 離れた地で尊敬のかけらすら含まれていない賞賛を与えられた金の将軍は、取り立てて気に留める必要を感じない見慣れてしまった屍を、踏みつけながら歩いていった。
 死体のない場所は血の海だ。死者を悼む気のないルキスには、冷たくなった無数の身体の上を行く。そこなら滑りにくく、岩場でも歩いているつもりでいれば良いのだ。
 ルキスの気配を察したテスィカは、落ちている剣を片手で拾った。そして、片腕にオルドレットを抱きかかえ、もう一方の手で剣を構える。
 向けられた視線は憎悪に満ち満ちていたが、しかし、微かではあるが畏怖の色が浮かんでいるのをルキスは決して見逃さなかった。
「また、あなた1人だ」
 彼は静かに言った。
 エリスもオルドレットも、共に傷つき倒れた。もう、自身しか頼るものはないのだと、宣告するように――。
「この場にあなたの逃げ場はない」
 あのときとは違う。
 ここは『剣技』の宙城、『賢者』の宙城ではない……。
「優しいな」
 そう言ったのは、テスィカを挟んでルキスとは反対側、転移門の部屋近くに立つ少女である。
 さして長くない黝《あおぐろ》い髪を耳にかけながら、少女は無表情に言い放った。
「何も語らず、流麗な剣さばきで次々に兵を殺めていったときとは別人だ」
 淡々と語られた言葉に、ルキスは眉宇《び う》に不快感を表す。
 少女の遠回しな批難に気分を害したのだ。彼にとっては稀なことだが。
「……何が言いたい、コウキ?」
 少女、コウキに聞き返したが、彼女は瞬きを1つしただけで特に何も言おうとはしない。
「お前に指図されるいわれはないが?」
「ぼくは指図なんてしていない。ただ、思ったことを言ったまでだ」
 少女は腕を組み、言葉を続けた。
「神のごとき美貌をもった、残酷な死の使い……そう聞いていたのに……。存外に人間らしく、ちょっと失望」
 人間らしい?
 一体誰のことを言っている?
 ……珍しい言葉を聞いて、ルキスは怒りを一蹴させた。
 あまりにも面白いことを言われたので、怒りを払拭せざるをえなかった。
「人間らしい……この私が、か」
「少なくとも、ぼくの主人よりは」
「彼は……」
 その瞬間、ルキスは異変に気づいた。
 だが、完全に遅かった。
「――魔道っ!」
 言葉と共に体が動いた。防御するためにではなく、攻撃を受けたために。
「……っ」
 両足が大地から離れる。次いで、鳩尾《みぞおち》に強い衝撃。
 鞘から剣を抜くや否や、力任せに振り下ろす。
 運良く死骸の1つに突き刺さり、どこまでも吹き飛ばされることは防いだが、その隙を見てテスィカはオルドレットを抱えたまま一気に彼らから離れていった。
 剣を杖のようにして後方へ押される見えない力に対抗しながら、ルキスはじいっと前方を見つめた。
 背後からこのような攻撃が来るとは、さすがに思ってもみなかった。
 油断していたのだ。
 彼がこの場にいるとは思わなかったから。
 遠方からの攻撃が可能な『魔道』の王子が2人揃って『剣技』の宙城にいるなどと、気づくわけがなかったのだから……。
「ルキス!」
 片手を彼に向かって突き出している『魔道』の王子、ラグレクトの声は、それとわかるほど烈しい刺を含んでいる。
 いや、その感情に支配されているのは彼だけではない。
「ルキス将軍」
 丁寧に彼のことをそう呼ぶ青年をルキスは注視する。
 茶色い髪に茶色い瞳の、穏やかな青年。
 穏やかだったはずの青年――ジェフェライト。
 彼は、自分の側にエリスを横たわらせ、感情を必死に押し殺した声でルキスに話し掛けてきた。
「我が一族……我が姉姫への凶行の責、身に負っていただきたい」
「身に負う?」
 不思議そうに応えたのは、ルキスではない。
 彼はジェフェライトたちの感情を当然のものと受け止めていた……相手を挑発するために笑うことはあったとしても、不思議そうに問い返しはしない。
「身に負う、だって?」
 問い返すコウキ。
 少女は、相変わらず表情1つ変えずに冷淡に言う。
「おかしなこと。弱い者が悪い……それだけのことなのに」
 コウキは、ジェフェライト、ラグレクト、テスィカと順々に視線を移動させて、それから当たり前のことだといった感じに話し出す。
「強くなかった、それが問題。誰かを責める前に、まずは弱かった者を責めるのが普通。ぼくは、そう思う」
「ならば、あなたは強いというの? ……背後からオルドレットを斬りつけておいて!」
 テスィカの台詞にコウキは首を小さく傾げた。
「方法は関係ない。それに……」
 少女は両手で腰につけた武器に手を伸ばした。
「強くなければ、ぼくはこんなこと言わないよ」
 彼女の手は、腰につけたものを取る。
 円月を模した、鋭い刃を持つ、王子や王女が見たことのない武器を。
「試してみるのが早いだろうね」
 言ったが最後、コウキは胸の前で腕を交差させた。
 2つの月が輝くように、刃が薄暗い回廊の中でわずかに光る。
「ルキス……ぼくは、違う」
 彼女はルキスにしか聞こえない声で呟いた。
「ぼくは、あなたよりあの人に近い。だからぼくは、あなたのように手加減はしない」
「……では、お手並み拝見させていただこう」
 『魔道』の効力が切れたのを感じ取り、ルキスは剣を鞘に収める。
 彼女は優秀な暗殺者だ。だが、果たして3族と戦えるか? ……この場でそれを見極めようと、ルキスは手を出さないことにした。
(コウキがどれだけ使えるものか、見せてもらうよ――シレフィアン)
 彼はうつむき、誰にも見えないところで笑った。


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