Deep Desire

【第6章】金色の戦慄

<Vol.2 酷薄>

 構えていた剣を下ろすように傾けて、ルキスは眼前に現れた2人の少女に目を向けた。
 1人は、茶色い髪を胸元で切りそろえた少女。両側を壁で囲まれた薄暗い回廊にいるため瞳の色はわからないが、おそらくはそれも同じく茶色だろう。憤りを隠せない表情で剣を構えた少女を見れば、彼女の髪や瞳の色を確認せずとも『剣技』であると推し測ることは容易いことだ。
 もう1人は、漆黒の髪の少女。テスィリス・フォルティ――今はテスィカと名乗る、見知った相手。いつも思いがけない場所で顔を合わせるが、その度に、衰えることの無い憎悪を真正面からぶつけてくる『賢者』の王女。
 2人の少女――いや、年齢的には既に「少女」と呼ばれる時代は過ぎたであろう、2人の女性。それでもルキスは、彼女達は「少女」と呼ぶにふさわしいと結論を出した。
 「少女」とは「少年」と同じ、成人に至らぬ未熟な者を指す言葉だという認識からである。
 その証拠に、ルキスが、
「私に何の御用かと訊ねるのは愚問だろうか?」
と、わざと相手の神経を逆なでするように言うと、少女たちはすぐさま殺気だった。
(目先のことしか見えてない、か。……冷静さを失うのは得策ではないというのに)
 『剣技』の少女の方など、一歩足を踏み出して、今にも襲い掛かってきそうな勢いで怒鳴ってくる。完全に、周りが見えなくなっているようだ。
「わかっているはず! 我が一族への愚行、その身で償ってもらおう!」
 ルキスは微笑を口端に飾る。
(では、この少女が『剣技』の王女か)
 名をエリスと言ったか?
(これが王女とは、『剣技』も地に落ちた)
 いいや、それも仕方がないことなのかもしれない。
 彼女は、どこの一族でもない、『剣技』の王女。『剣技』一族の、王位継承権を持たない王族として生きている者。
 次代を創るためだけに存在する女。
 視野が狭くとも誰に責められることもない。
(……まだ、あの王子の方が賢いな)
 自分を欺き――そう、この自分を欺き!――、傷を負いながらも聖都から脱出した王子、ジェフェライト。彼の方が賢い。次代を背負うことができるほどに。
 ……そのように育ててきたのだろうが……。
 それに、この王女はあの王子とは比べ物にならない。記憶が確かであるならば、この王女は……。
「何がおかしい、ルキス!」
 思考を遮るように、テスィカが抑えた声で言ってきた。ルキスは、慌てる素振りをまるで見せずに自分の状況を思い起こした。
 そう、今は、この2人の相手をしなければいけない。時間の無駄になったとしても。
 彼は首を左右に振って、テスィカへ顔を向ける。
「あなたとはいつも不思議なところで会う」
「だが、今日はいつもと違うぞ。私には……剣が、ある」
 テスィカは、そう言って知らぬ間に抜き去っていた剣を両手でしっかりと構えてみせた。
 つられたように、彼女の傍らにいるエリスも剣を構える。1本ではなく2本の剣――双剣を。
 共に3族の王女、自分たちの周囲にも転がっている、命を無駄にした者たちに比べれば手強いに違いない。
(手強いと言っても、さほどのことはないだろうが)
 少女たちは実戦経験が圧倒的に少なすぎる。4年間、聖都兵から逃げ回っていたテスィカでさえ少ないと、ルキスは断言することができた。
 自分と比べれば、少ないなんてものじゃない。
 宙城で育ったのだから。
 世界の全てが敵であることを感じたことなどないのだから。
 己の存在意義を疑問視する孤独の中に身を置きながらも、生きていくために血を流す――そんな日々など知らないだろうから。
「……少し相手になってさしあげよう」
 言ってから、ルキスは持っていた剣を捨てた。
 そうして、腰に佩いたもう1本の剣を鞘から抜き去る。
 柄が古びた色をしたその剣は、切っ先から手のひら分の長さだけ矢じりのような形をしている。刀身も全体的に鈍い光を発しており、普通の剣とは明らかに違うと気づかない者はいないだろう。
 殺傷力は、捨て去った剣の方が断然上。戦いに適しているかと言われれば、完全に「否」。
 それでも、この場ではその剣で彼女たちの相手をする方がいいと彼は判断した。
 特に、『剣技』の王女のために。
「……貴様……」
 エリスがうめくように叫んだ。
「『剣技』の剣をそのような形で使うなど……!」
「この剣は戦うために作られた剣ではない。なればこそ、あなたたちと戦うには、この剣でちょうどいいだろう」
「その口、今すぐに塞いでやる!」
 エリスが唐突にルキスに襲い掛かってくる。
(本当に、精神の鍛錬が足りないな、『剣技』の王女殿)
 軽く後方へ飛び、血溜まりの中に横たわる死体の上に乗っかる。硬くなっていた屍は、ちょうどいい足場になった。
 エリスの左右の剣、両方共にルキスの残像を切った。
「遅い」
 一言呟いて、ルキスは姿勢を低くした。
 死体を踏みつけながら、彼はエリスの胸元へ剣を繰り出そうと前へ乗り出す。
 が、彼は相手の懐にもぐりこむ直前、右足に力をいれて横へ飛び、攻撃をやめる。
 テスィカが音も立てずにルキスに斬りかかってきていたのを察したのだ。
 無論、それも掠らせることさえしない。音は立てずとも、気配は殺しきれていなかったテスィカの攻撃は、避けることなど難しくない。
「脇が甘いな」
 まるで稽古でもつけるように相手の欠点を指摘して、ルキスはエリスの右脇へ切っ先を走らせる。
 『剣技』の王女の動きは、まるで自分とは時間の流れが違うかのように遅い。現実は、彼女が遅いのではなく、彼が格段に早い動きをしているだけなのだが。
 テスィカの攻撃を避けながらであったため、エリスにそれほど深い傷は与えられなかったが、それでもかなり斬ることができた。
「くっ……」
 驚愕に目を見張りつつ、ルキスの動きについて行こうとしていた少女は、自分の体に起こった痛みに思い切り眉を顰める。
 それでも、攻撃に転じてきたとき、初めてルキスは賞賛の台詞を心中で呟いた。
(『剣技』の王女ともなれば、他の『剣技』とは違うものだな)
 精神的にはまだまだという考えを彼は撤回した。まだまだではあるが、少なくとも、逃げるべきではないときに踏み込む勇気は持っているらしい。
(そうでなければ、面白くない)
 左の剣、右の剣、左の剣と3回続けての攻撃に1度だけ剣で弾き返した。
 ふと、面白いことを思いついて、彼は早口に言ってのける。
「この剣が壊れることがあるようなら、宙城も落ちるかな?」
 果たして剣が壊れたときにそのような事態が起きるかどうか、ルキスには知る由もない。だが、こういうときは何であろうと使ったもの勝ちだ。
 情報さえも操った者が優位にたてる。
 エリスが動きを止めた。ほんの一瞬。
(その迷いが命取りだ)
 他愛ない、と嘲りに口元が歪んだのだが……。
「雷撃!」
 声が耳に届くのと、体に衝撃が走るのとでは、果たしてどちらが先だっただろうか?
 恐らくは、同時であろう。
 声が先であったならば防いでいた。衝撃が先であれば、エリスから遠ざかることもできなかった。
 攻めることをやめ、さらに数歩、転移門のある部屋とは逆方向へ下がったところでルキスは全身を貫く痛みを感じた。
 何だ、と訝ることはない。魔道だ――『賢者』の魔道。
 膝が折れそうになるのをこらえ、ダメージを受けたことを気取られないよう、わざと彼は微笑んでゆっくりと話す。
「なるほど……少しは使えるようになったということか」
 『賢者』の魔道はさほど長い詠唱を必要としない。それでも、一言、二言は必要だと彼は思っていた。が、テスィカは詠唱なしで『賢者』の魔道を発動させた。
 4年前とは違うことを証明するように。
 笑んだまま、剣を構えなおそうとしたが、彼は弾かれたように顔を上げる。
 そして、防御の姿勢をとる。
(まさか、これは……)
 回廊の天井がすぐ眼前に迫っていた――天井が落ちてくる。
 防ごうと思ったが、『賢者』の雷撃を受けたばかりの体はあまり言うことを聞かなかった。重い何かが体全体にぶつけられる。
(『魔道』かっ!)
 続けざまに放たれるエリスの攻撃を剣で受けた。腕がしびれているが、脅しが効いているのか、エリスは『剣技』の剣に強く打ち込んでこなかったために受け流すことができた。
(誰だ?)
 ルキスは防戦一方でいながらも周囲に目を走らせる。
 通路には屍の山。エリスの背後に1人の気配――これは、テスィカだ。
 テスィカの“気”は、かなり高まっている。
(今度は『賢者』の方か!)
 寸でで感じ取り、ルキスはエリスの剣を流しながら、もう一方が己へ繰り出される前に少女にとって死角といえる方向へ体を運んだ。
 逃げ場などないように見えるが、死骸を踏みつければ済むことだ。
「氷結!」
 『賢者』の王女が高らかに宣言するように、声を回廊に響かせた。
 ルキスがいた場所に氷の柱が立つ。かと思うと、瞬時にそれは崩壊し、煌きを散りばめた。
 破片が細かい傷をつけるが、そんなことは気にしない。彼は、『魔道』の魔道を発した主を素早く見つけ出そうとする。
 正面のエリス、エリスより数歩後方にいるテスィカ、そしてそのさらに後方に人影を発見した。――彼だ。
(あれは……)
 ルキスは利き腕とは逆の手で、足元に落ちた剣を拾って投げた。
 それで相手を倒せるなんて思っていない。確かめるためにやったのだ。
 剣が飛んでいく先、その少年は短く叫び、剣を見えない力で叩き落した。剣を持ってしてではなく、見えない力、魔道で。
(違う……ラグレクトではなく、オルドレットか)
 宙城を出た方の王子ではなく、残った方の王子がどうしてそこにいるのかなど、ルキスには窺い知れないこと。ただ、見せていた余裕は少しばかり振り払った。
 3族の力の全てを相手にするなら、短い時間で片付けた方がいい。3族は連携して攻撃してくれば、たとえ1人1人の力は取るに足りないものでも厄介なことには変わりないだろう。
(呼ぶか……)
 他人に頼ることなど滅多にないルキスだが、目的のためには己の自尊心さえ投げ出すことは厭《いと)》わない。
 短時間で決着をつけるならば、1人よりも2人で相対した方が良いというもの。
 声を張り上げ、彼はこの宙城で唯一自分と同じ側に立つ人間を呼ぼうとした。
 したのだが、結局はそれを行わなかった。
 ――呼ぶ前に現れたから。
「……なんだ……と……」
 短い悲鳴を上げて、オルドレットが倒れていく。崩れ行く彼の背後に現れた人影は、ルキスの胸元まであるかないかほどの小さいものだ。
「後ろがガラ空き」
 乱入者は抑揚の無い声で言い捨てた。
 華奢な体つき、高くも低くも無い声音。一見では判別できない性別だが、彼は「彼女」を知っていた。
 まだ歳は若く、それこそ「少女」と呼ばれる年代。
 しかし、彼女の剣技は、ルキスの前に立つ2人の王女よりも上である。ティヴィアよりもさらに上。
 その思考――冷徹に切り捨て、要らぬものは排除する暗殺者の思考をして、ルキスは彼女を「女性」と見なす。「少女」ではなく、一人前の者、「女性」として。
(もうカタがついたのか、早いな)
 『剣技』の族長と戦っていたはずが、ここに来たということは決着がついたということなのだろう。
 傷どころか返り血も浴びていない。
 それでもここに来たということは、終わったということに違いない。
 ルキスは、動いた。
 オルドレットたちの方へ気を取られているエリスの手を剣の柄で叩き落す。
 左手で、エリスの肩を掴み、強引に引っ張った。自分と位置を入れ替わるように。
 足元の死骸の1つにエリスが躓《つまず》いたのは偶然だった。計算には入れていないが、それがなくても彼はエリスの反撃など、その身に受けることがあるわけないと思っていた。
 『剣技』の族長ならいざ知らず、その娘に傷を負わされるわけがない――傷を負わされるわけにいかない。
「眼前の敵に集中することだ」
 エリスにしか聞き取れないほどの声で言い、彼は王女を背後の壁に押し付けた。
 そして、彼女の肩を掴んでいた手を離してすぐ、彼女の体の下、死んだ兵士の背に刺さった剣を抜き去った。
「……教訓を」
 与えよう、という言葉は飲み込む。
 言葉よりも、体で理解してもらうため。
 左腕を振り上げて、力の限り彼は剣を突き立てた。
 『剣技』の王女の右肩へ。
 彼女の体と壁を縫い付けるように。
「ぁぁぁぁぁぁっ!」
 絶叫。鼓膜を振るわせる少女の悲鳴が上がる。
「『剣技』も口ほどにない」
 言って、彼は飛び退る。
 テスィカからの攻撃はない。確認するようにテスィカを見ると、『賢者』の王女は倒れたオルドレットに駆け寄り、その体を心配しているようである。
(あれもまだまだ、か)
 眼前の敵から意識を逸らすなど愚かしい。
 相手が、自分であれば、駆け寄るときに剣で体を貫くことくらいしたであろう。
 あの、冷酷な少女――女は、いつでもテスィカを殺れると思っているからこそ、そういった行動を甘受しているに違いない。
 いつでも殺れる……間違ったことではないが。
 戦況は圧倒的にこちら側に有利になった。テスィカ1人であれば、自分でもあの女でも、いかようにもできるだろう。
 ルキスは、それからエリスを見下ろした。エリスは、剣を捨てて肩に刺さったものを抜こうと懸命にもがいている。
 構える必要のなくなった『剣技』の剣を鞘へと戻して、彼は少女へ歩み寄った。
 途中、足に何かが当たった。ルキスが少女の手から叩き落した剣である。
 まだ血を吸ったことのない剣は、傍目にもわかるほどの輝きを放っていた。
 鋭い切れ味を保証するように光る刀身。ルキスの顔が曇ることなく映し出される剣。
「……見事な剣だ」
 独白し、彼は少女の傍らに膝をつく。そこで初めて、ルキスが近くにきたことに気づいたエリスが身を強張らせた。
(強がることもできんか……本当に「少女」なのだな)
 彼は、肩に刺さった剣の柄を握ったエリスの手のひらをゆっくりと引き剥がす。
 そして、剣の鍛錬によってできたまめの痕に彼はそっと口付けを交わした。
 儀式でも行うように。
「君の見事な剣は、君の血を受けることで、より見事に輝くだろう」
「ル……キス……」
 彼は、時々聖都兵たちに見せるような笑顔をエリスに見せる。
 それが兵士たちには「戦慄の笑み」と呼ばれていることなど知らずに。
 そして、エリスの右の手のひらを壁に当て、その真中にルキスは彼女の剣を突き刺した。
 ――今度の絶叫は、長かった。


Copyright(C) Akira Hotaka All rights reserved.

←≪1.思惟≫ + 目次 + ≪3.秘事≫→