Deep Desire

【第5章】 見失った矜持のかけら

<Vol.5 急襲>

 大騒ぎになってしまった謁見の間から引き離される形で、半ば強引に、テスィカは別室に案内された。
 『魔道』の族長ヴァルバラントは、少し前まで彼女たちに「すぐに帰れ」と言っていた。それすらも忘れたようかに、招かざる客であったはずのテスィカたちは豪奢な客室に通されたのである――ケイシスという少女が倒れたことにより、『魔道』が思った以上慌てふためていることが察せられる。
「今はどうしようもない……大人しくしていようか」
 テスィカは、呟いた。エリスとは別々の部屋に案内されたので、これは完全な独白である。考え込んだ末に自分に言い聞かせるよう、ひとり言を呟くのはテスィカの癖なのだ。
 そう、テスィカは部屋に案内されてからしばらくの間、身動きせずに考えこんでいた。寝台の端で足を肩幅ほどに開いて座り、膝の上に両肘をついて指先を組み合わせながら自分がどう行動すべきかについて心の中で激しく意見を戦わせていた。
 神殿都市フライでラグレクトは眠りつづけている……ヴァルバラントに訊ねたいこと、ラグレクトが目を覚ます方法はまだ1つも聞いていない。本来の目的は何1つ達成していない。
 しかし、夜も更け、本来ならばひっそりとしているはずの宙城のあちこちで灯《とも》ったあかりは、減ることがなかった。むしろ、増えていた。ケイシスという名の少女が倒れた――会話の端々から察するに、次期族長、ラグレクトの子供を身ごもっている少女が倒れたのである、落ち着いてなどいられないのが普通なのかもしれない。
 そんな中で、『魔道』の族長の元へ行き、「そんなことはどうでもいいからこちらが聞くことに答えて欲しい」などと言えるわけがない。
「とりあえず、エリス様と話しておくのが先かもしれないな」
 再度、テスィカは呟いた。そこまで答えは出ているが……テスィカは、立ち上がることがなぜかできずに、座り込んだまま気づけば大きなため息をついていた。
「子供……お腹の中の、子供……」
 漏れた言葉はそれだった。
 ケイシスという名の少女が意識を手離す寸前に語った内容、それがテスィカの心を大きく占めている。そこから離れられないため、意識を完全に切り替えることができず、エリスのところへも行けずにいるのだと自分の言葉でテスィカはさらに実感した。
「ラグレクトの子供……」
 そんなことがあるわけがない。
 現実的な話、可能性ともなると――微妙である。ラグレクトがいつ、『魔道』を飛び出したのか、テスィカはそんなこと知りもしない。だから、少女のお腹の中にラグレクトの子供が宿っていたとしても、それはありえることだ。
 けれども、テスィカは否定してしまうのだ。
 違う、と。
 ラグレクトの子であるわけがない、と。
「御子……」
 一族の王子、つまり命運を握る者が、次代の後継者を作るのは当然のこと。それは義務だ。
 だが、子供がいるとしたら……妻となるべき人のお腹の中に子供がいたとしたら、果たして城を飛び出すだろうか?
 だいたい、なぜ、ラグレクトは『魔道』を出てきたのだろう?
(謎だらけだ)
 自分は、アーティクルから聞くまで、『魔道』や『剣技』の王位継承権がどうなっているのか知らなかった。“不和の者”が実在していることも知らなかった。
 『賢者』の宙城が崩壊して4年。
 ルキスへの復讐を誓い、追っ手から逃げて生活していた4年間。
 自分がいかに『賢者』という城の中の世間を知らない娘であったのかを実感したことは1度や2度じゃない。見たこともない物を見、聞きたくもないことを聞いた。
 それなのに、未だに知らないことは多い。
 全てを知るにはまだまだ時間がかかるだろう。
 では、ラグレクトのことを、ラグレクトというただ1人の人間のことを知るためには、どれほどの時間を費やさなければならないのか?
 この世界よりも出会って間もない彼を知るには、一体どのくらいの時間が必要なのだろうか?
 不意に、テスィカは笑った。
(……知ってどうする?)
 ラグレクトのことを知ったとして、どうする?
 知る必要が、なぜあるのだ?
 『魔道』は『賢者』じゃない。自族でなければ、自分の婚約者でもない。ルキスへの復讐に何か役立つとでもいうのか?
 ラグレクトとは、一体自分にとって何なのだ?
 なぜ、自分はここまでしてる?
(道を間違ってるぞ、テスィリス・フォルティ)
 4年前に長い黒髪を切り、『賢者』を滅ぼしたルキスへの復讐を誓った。
 名前を変える――真の名を封じる――ことで、その復讐を絶えず忘れぬようにした。
 生きるために人を殺し、物を盗み、獣のように人の寄り付かない場所で息を殺して夜明けを待ったこともある。
 そこまでしていたというのに、復讐とは関係ない『魔道』に関わり、宙城にいる……間違っている。
(こだわることじゃない)
 何としてでもラグレクトの目を覚ます方法を聞こうと思っていたテスィカだが、そう思うとどうでもよくなってきた。
 わからぬならわからぬままでいい。
 自分が何としてでも達さなければならないことは別にある。
 こだわることは、他にある。
(帰ろう)
 神殿都市フライへ。
 そして、目的を遂行するために、また旅立とう。
 ラグレクトのことなど放っておく。彼が自分にかけた正体不明の魔道など、気づかぬふりでいればいい。生命に関わることではないだろうから。
 自分には自分の生き方がある。同じように、生まれてくる子供の父親になるラグレクトには彼なりの生き方がある。そして、その2つの生き方は、どう考えても重ならず、平行にもならない。
 一時《いっとき》、交差しただけのこと。
 今度こそ、揺らぐことのない結論が出たと彼女は確信した。
 顔を上げ、その旨を告げるために腰を浮かし――そしてそのまま、テスィカは目を丸くした。
 ラグレクトがそこに佇んでいたからだ。
「どんなことを考えている? 『賢者』の民よ」
 しかし、その声音で眼前の人物がラグレクトではないことに遅まきながら彼女は気づいた。
 ラグレクトがいるわけがない、この場所に。未だに眠っているのだから。
 目の前にいた青年は、弟のオルドレットだった。
 元々の顔立ちが似ていることに加え、彼がラグレクトのように黒の軽装で腕を組んで立っていたために間違えたのである。今まで目にしたオルドレットは、『魔道』の王子らしく正装をしていたが、今のようにラグレクトと同じような服装をさせると兄弟がいかに似ているのか強く感じずにはおれない、それほどそっくりであった。
 謁見の間とは違い、部屋中に晧々《こうこう》と灯されているあかりでオルドレットの表情は見間違えることもない。
 彼が、軽蔑するような、完全に敵視した視線を送ってきているのは確かだった。
「……『魔道』では勝手に客室に入るような無礼なことをなさるのか」
 動揺を隠すように言うと、オルドレットは右手を腰に当て、鼻で笑う。
「無礼? ――私はお前を客だと見なしてはいない。どこが無礼なのだ」
 ラグレクトよりも心持ち高い声が告げる、ラグレクトが決して口にしない見下した文句。
 それが奇妙な感覚をテスィカに与え、彼女の口を閉じさせる。
 彼女が反論してこないことでオルドレットは、笑顔を消し去って早口で言った。
「兄上を人質にとっていい気になるなよ、『賢者』の生き残りめ。私は、父上のように寛大ではない。これ以上、我が一族の矜持《きょうじ》を傷つけるのであれば、容赦はしない」
「人質……」
 思ってもみない言葉に、テスィカは息を飲む。
 今度は、唇を動かして言葉を紡ぐことができた。
「私は彼を人質になど取っていない。彼がここから去ったのは、彼の意志だ」
「もっともらしいことを言えば納得すると思ったか? 首を縦に振るほど、私は愚かな人間ではない」
「それは誤解……」
 テスィカが言い返すと、途端、オルドレットの表情が険しくなる。
 そして彼は、テスィカを遮って魔道を唱え始めた。
「――理《ことわり》に逆らう我が力を見よ
 時の制約など 我の前では無力なり
 この声を聞き届けよ この力に跪《ひざまず》け
 支配者たる我が言《げん》に従え!」
 避けることはもちろん、防ぐことも不可能だった。
 見えない大きな手のひらがテスィカの胸を力の限り強く押す。
 壁に体ごとぶつかり、反動で彼女は寝台の上に放り投げらうつぶせになった。
 あまりの衝撃から息ができないほどの痛みをテスィカは感じた。が、次の攻撃を恐れ、無意識に仰向けになる。
 起き上がる前に、オルドレットの顔を傍で見た。
「言ったはずだ。我が一族に無礼を働くのであれば、容赦はしないと」
 凄みをきかせた声でテスィカに言うと、オルドレットは仰向けになったテスィカの上に馬乗りになった。そうして、どこから取り出したのか、光り輝く短剣を振り上げる。
 頭をかばい挙げた腕の上を剣が走る。わかったが、どうにもできない。
「――ああっっっ……」
 大きな声が自然と漏れた。痛みが、腕から発せられた痛みが、全身を駆け抜けていく。
 片方の腕で傷口を抑えようとすると、ぬるりとした感触で手のひらが滑った。
「私は、他族には寛大じゃない」
 オルドレットは短剣をテスィカの前に掲げた。
 その切っ先から、頬へ何かが落ちてくる。
 寝台の枕近くに灯った灯りが、彼女の頬へ落ちた物の正体を、反射する銀色の光と共に厳かに伝えた。落ちてきたのは、テスィカの血、だ。
 オルドレットは、唇の端を吊り上げて、これこそが残酷という言葉に相応しいと表現したくなるような笑みをテスィカに向ける。そして、剣についた血を我知らずに震えるテスィカの唇にそっと塗りつけた。
「次に無礼な振る舞いをしたら、この剣が突きたてられるのはその口だ」
 ラグレクトと似た顔が辛辣《しんらつ》な言葉を放つ。
「泣いたって無駄さ」
 そんな彼の言葉をかけられるまで、テスィカは自分が泣いていることさえ気づかず、言われても泣いていることを実感せず、どうしていいかわからないままオルドレットの茶色い瞳を見つめ返した。
「……今すぐ兄上を返せ。『賢者』の復讐に兄上を巻き込むな」
 言ってから、オルドレットはテスィカの耳元へ唇と近寄せる。
 身体が一瞬強張り、逃げるように動いたがもちろんそれはできなかった。オルドレットはしっかりと彼女の上にまたがって、動きを封じているのだ。
 まるで、獲物を狩った大鳥のように――力任せに、情のかけらも見せないで。
「我が一族に『賢者』の衰滅など関係ない。『賢者』など、元から我が一族にはどうでもよかった……わかるか?」
 問い掛けておいて、彼はテスィカから答えを聞く前に髪を掴んで顎を上に向けた。
「痛いっ……」
 暴力への非難を無視し、オルドレットはテスィカにさらに囁く。
「我らは、自分たちよりも劣っている者たちを救済するためにあるわけではない」
「劣って……いる……」
「『賢者』が滅びたのは、『賢者』が劣っていたからだ。つまりは自業自得ということ。尻拭いのために我が一族の次期族長を使おうなどとは、許しがたい暴挙」
「ぼ……うきょ……」
「どうやって兄上を説得した? この身体で虜にでもしたか?」
 オルドレットはテスィカの髪を掴んだまま、空いているもう片方の手でテスィカの喉に刃を当てる。
「もしそうだとしたら、この身体、八つ裂きにしてくれる」
 本気であることを示す強い意志の宿った瞳が瞬きもせずテスィカを凝視する。
 殺される。
 彼女は悟った。
 このままでは殺される、と。
「そんなことはさせない」
 誰かの声が遠くから、耳鳴りの激しい遠くから聞こえてきた。タイミングよく。
 不意に、テスィカの身体に自由が訪れる。『魔道』の王子は髪から手を離し、短剣もテスィカの喉元から遠ざけていた。
 何が起こったのかまるで理解できないまま、テスィカは馬乗りになっているオルドレットを仰ぐ。
 そうして、オルドレットの左耳の傍に短剣が垂直に突きつけられているのことに気づいた。短剣は、さきほどまでオルドレットが握っていたものとは異なった、もっと大きなものである。
「それ以上してみなさい。この剣はあなたの心臓に到達するくらいの長さはあるのだから」
 オルドレットの背後から険しい様相で言う少女が誰であるか、テスィカは知っていた。
「エリス様……」
 『剣技』の少女は、釣り目をさらに吊り上げて、脅すように続けた。
「私の腕を信じようが信じまいが、それは自由。けれども、私は確実にあなたを仕留められる」
「……そんなことをしてみろ。『魔道』は生きてお前達をこの宙城から出さないだろう」
「それは無理。私は瀕死の状態になっても、ここから出て行く。――テスィカさん、傷を塞ぎなさい」
 エリスはオルドレットに対しても、テスィカに対しても命令口調で言った。
「『賢者』は、防御の魔道が使えるって何かで読んだことがあるわ。それを応用すれば、傷を塞ぐことができるはず」
 発想を転換して何とかしろ。言葉の端々からそういう意味なのだと知らしめる、乱雑な言い方だ。
「早く!」
「エリス様」
「呆けてないで、早く!」
 叱責に近い台詞をテスィカに投げながら、一方で『剣技』の王女はオルドレットにテスィカから退くように命じた。
 身にのしかかっていた重さが消え、彼女が身を起こすと再びエリスは「さぁ」とテスィカに魔道を促す。
(防御の……応用……)
 できるかどうかなど聞いたことはない。やったこともない。
 だが、テスィカはエリスの気迫に押されて、それを試みた。
 身を起こし、床の一点を見つめるように視点を定め、気を高める。
 ラグレクトと共に“不和の者”と戦ったとき防御を張った、その感覚を取り戻そうとする。
 ……それは、揺れる波間に漂う一枚の布を掴むようなものだった。
 手にしようと待ち構えると逃げる。
 数回、同じことを繰り返した暁に、ようやくテスィカは“その感覚”を捕まえた。
(――来る!)
 何かが自分の内側から沸き起こり、弾け、四肢の先まで漲っていく。
 我に返り、彼女は腕についた傷を見た。
 傷そのものは消えてないが、傷口は塞がり、血は止まっていた。
「すごい……」
 操り慣れているはずの力でまさかそんなことができるとは知らなかった。喜びと驚愕とが混ざり合って、すごい、というごく単純な感動句を生み出している。
「もう大丈夫そうね、立って」
 自族ではないのにその方法を知っていたエリスは、テスィカの感嘆に賛同せず、変わらぬ声音で告げる。見ると、寝台から降りた場所で、オルドレットはエリスによって背後から鎖骨辺りに剣を突きつけられたままであった。
「エリス様、ありがと……」
 礼を言おうとしたのだが、緊迫している空気を覆さぬ口調――否、緊迫した空気そのものを形作っている要因とも言える冷たい口調でエリスはテスィカに最後まで言わせない。
「礼はいいわ。ついてきてちょうだい。一刻を争う事態なのだから」
「……ついてくる? どこへ行く気だ?」
 不審げに返したのはオルドレットだった。
 エリスは剣を突きつけたまま、行き場所を告げた。
「転移門《テレポートゲート》」と。


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