Deep Desire

【第5章】 見失った矜持のかけら

<Vol.3 戦端>

 ジェフェライトが握っている剣は、彼の腕の長さより拳2つ分は長い。彼はその剣を体の真正面で構え、左の手の平を剣の切っ先近くに添えた。
「一矢《いっし》――」
 彼の一声は、気合を入れるかのように大きく、まだまだこれから朝を迎え入れようとしている森に、こだまするように響いていく。
 その語尾に重ねて、「キーファ、行け」とラグレクトが言った。ジェフェライトとは対照的に、低く抑えた声で。
「ジェフェライトは初っ端から剣技を出すつもりだ」
「剣技を、出す?」
 “不和の者”から目を逸らさずにキーファは簡潔に聞き返す。
「そう、剣技だ。特別の“気”を発生させて、それにより剣を操るといわれる剣技を――」
「そういえば、剣技ってのはそういうもんだって聞いたことがあったな」
 魔道は発動までに時間がかかる。そして、剣技も発動に時間がかかるのだろう。
 キーファはラグレクトの命令を理解して、大きく息を吸い込んだかと思うと、
「じゃあ、本当に俺が名誉ある一番手にさせてもらおうか!」
――大地を蹴り、“不和の者”へ向かって走りだした。
“愚カ者タチ”
 背を丸め、“不和の者”が女の甲高い声と男の押し殺した低い声を重ね合わせたような音声で威嚇のように叫び声を上げる。
 キーファは、真紅の瞳をカッと見開いた。
「自覚してるが、おまえごときに言われたかねぇぜ!」
 怒鳴り返すと、彼は大剣を振り上げる。
 “不和の者”が顎を突き出し、ラグレクトのせいで今では唯一となってしまった腕を上げた。応戦するつもりなのだ。
 人間よりも太いその腕の先で、3本の指に生えた鋭い爪が鋭角的に差し込んでくる朝日にほんの微かに煌いた。
(斬られれば致命傷)
 数年前の戦いが、キーファの脳裏にほんの少しよぎっていく。
 知らぬ間に生まれ始めていた恐怖を打ち消したのは――ジェフェライトの声。
「――速剣《そうけん》!」
 一喝、というのが正しいだろうか?
 キーファはほんの一瞬だけ見失いかけていた自分を取り戻し、左へ一歩飛ぶ。彼が今までいた場所に、“不和の者”の凶暴な爪が振り下ろされていた。
 否や、キーファが斬りかかるよりも早く、自分とは反対側の、“不和の者”の左脇を傍らを通り過ぎていく黒い影を見た。
 黒い影は、風のようだった。風そのもののようだった。
 “不和の者”が腕を上げて隙ができた部分に、葉や草の切れ端を舞い散らして通り抜けていった、風そのもの。
“グワッ!”
 高音と低音の重なったようなおかしな声が、獣の咆哮のようにキーファの耳に飛び込んでくる。
 そして、“不和の者”は己の身体から吹き上げる赤黒い液体に気を取られ、傷口を隻腕で抑えながらその黒影を探すようにきょろきょろし始めた。
 キーファの存在など忘れて。
「馬鹿が」
 キーファの呟きなど異形の者の叫びを前にしては風の囁きに等しかったに違いない。
 “不和の者”はキーファに気づかず、狂ったように声を上げつづけている。
 ギガの都市長は、都市長らしくない機敏な動きで“不和の者”のわき腹へ、腕がなく隙だらけのわき腹へ、剣を水平に薙ぐ。
 血飛沫が顔にかかるより早く、“不和の者”のさらなる絶叫よりも一足早く、キーファの耳に飛び込んできたのはまたしてもジェフェライトの声だ。
「斜降《しゃこう》――」
 それより数秒遅れて、ラグレクトの呪文も。
「我が力は理《ことわり》に逆らうものなり
 過ぎ去りし時間から 舞い降りる桎梏《しっこく》なり」
 キーファが後ろへ飛び去る。避けきったと思っていたが、少しだけ彼は顔に血を浴び、彼は片目を閉じながら袖で血を拭った。
 “不和の者”の、重なり合った2音の声は、この世の末路を見た複数の人間が叫んでいるような壮絶なもののように、耳の奥深くまでまだ響いている――。
「汝 我が前で留まれ
 久遠《くおん》の時に飲まれ続けよ
 我は 時の支配者なり!」
「――傷剣《しょうけん》!」
 どちらが先だっただろうか?
 キーファの目が先にとらえたのはラグレクトの魔道ではなくジェフェライトの剣の軌跡の方。
 ジェフェライトはいつの間にか“不和の者”の背後に回りこんでいた。そして、“不和の者”の腰辺りから右肩へ向けて斜めに切り上げた。
 大剣を構えなおしながらキーファはジェフェライトをよく見ていると、『剣技』の王子は“不和の者”を斬ると同時に傍らを通り抜けていく。どうもジェフェライトは、斬りつけると同時に“不和の者”から離れ、すぐに体制を立て直し、また攻撃に転じるべく剣を構えているようだ。
 けれども、その剣の構え方は1番最初に見たものとは違っていた。逆手に持ち替え刃を水平にし、柄の尻尾を掴むようにしている。
 いつ持ち替えたのだろう? ――速い。
「ジェフェ――」
 キーファは名を呼ぼうしたのだが、それを遮る重い音が森中を駆け巡る。
 頭上で羽を休めていたのか、鳥が、羽ばたいて行く音が重なった。
「今だ、キーファ! 刺せ!」
 ラグレクトの声。
 彼は何がどうなったかを把握する前に、“不和の者”へ向かって踏み出した。
 “不和の者”は動かなかった。
 彼はその反応でラグレクトがかけた魔道が何かを察知する――時を、止めたのだ。
 かつて戦ったときと同じく、“不和の者”のみ、流れ移るときが止まるよう魔道をかけたのだ。
「もらった!」
 キーファは“不和の者”の正面へ回り込み、柄を両手で掴んでから喉元に剣を突き刺した。
 衝撃は手にきたが、何かを裂くような感触はない。柔らかい石に突き立てたような感触なら感じたが。
「キーファ様、足元っ!」
 ジェフェライトの言葉が耳に届く前に、戸惑うこともせずにキーファは“不和の者”の前から消えていた。これから“不和の者”に何が起こるのか知っているため。
 “不和の者”は剣を突き立てられたまま、固まっていた。その影が色を増し、広がっていく。
 まるで転移するときのように、“不和の者”は消えたいった。
 足元の影の中へ、落ちていった。
「これは一体……」
「“不和の者”の最期だ」
 傍らで驚くジェフェライトに、キーファが答えるまでもなくラグレクトが説明する。
 “不和の者”は必ず最後に己の影に飲まれていくのだ。
 3人の見守る中、“不和の者”は彫像のような姿のままで消えて行った。
 “不和の者”につきたてたキーファの剣が、対象物がなくなったため地面に落ち、いったん弾む。戦闘終了の合図とでも言うように。
「終わったな」
 彼が言うと、ラグレクトが一息ついて同意した。
 戦闘の感想の前に、ジェフェライトは剣をいつものような持ち方へ変え、地面に突き立てた。
「浄化《じょうか》」
 剣が、一瞬だけ輝きを発する。
 それを確認した後、ジェフェライトは剣を鞘に収めた。
「ふぅ……何とか足を引っ張らずに済みましたね」
 それが、彼が“不和の者”との戦いを終えて1番最初の言葉であった。
 ラグレクトとキーファは顔を見合わせてから2人とも目を丸くしてジェフェライトを見つめ返す。
「足を引っ張るどころか、大活躍だろう」
 キーファの口調は、何を言っているのだか、とでも言いたいような呆れたものだ。
「そうですか?」
「そうですか、じゃねぇだろう。やっぱり3族の人間ってのは色んな意味で変わってんな」
 苦笑を噛み殺し、キーファが剣を大きく振って血を吹き飛ばしてから鞘に収めた。
「あっ……」
 思わず声を出したジェフェライトに、キーファは前日に比べてだいぶ伸びた顎鬚を触りながら笑いかけた。
 そうしていると、さきほどまで殺気を発していたのとは別人に見える。
「この鞘は特別な鞘だ。剣に付着した血を浄化してくれる」
 鞘ごと掲げて彼は白い歯を思い切り見せた。
「羨ましいだろう? 魔剣、と呼ばれている俺の相棒だ」
 キーファは誇らしげに剣を見せる。
 無邪気に、子供のように。
 ジェフェライトは唖然とした自分に照れ、それを隠すように苦笑した。
「えぇ、素晴らしい剣だと思います」
「ジェフェライト、誉めるな。調子に乗る」
 ラグレクトが髪を軽くかきあげて、大きく息を吐き出して言う。
 ジェフェライトたちと同じく、汗ひとつかいた様子はないもののどことなく疲れた雰囲気を漂わせていた。
 魔道というものがそれほどまでに身体に負担を与えるものなのかと考え、その時点でやっとジェフェライトは思い出した。
 ラグレクトは、つい一昨日前まで眠っていたことを。
 本人は回復したと言っていても、実は本調子ではない、ということは十分ありえる。
 自分と同じで。
(そうか……)
 その発見は、彼に驚愕を与えた。
 ラグレクトと出会ったのは2日前、キーファとは昨日。共に過ごした時間は計算するまでもない。
 そんな相手なのに……どこか、以前から知っているような、そんな風に思えて仕方がないのだ。
 ラグレクトとキーファ、2人の性格がおよそ人見知りをしない、ということもあるのかもしれない。『剣技』に対して必要以上にへりくだるわけでもなければ、これ見よがしにご機嫌取りをするわけでもない。『剣技』というわけで特別視されるような対応は、今のところはまだされていないし、ジェフェライトのことを「『剣技』の王子様」と呼ぶキーファのそれは、皮肉が混じったものではなく純粋な、本当に純粋なただの「呼び名」であってジェフェライトという人格をことさら無視しているものでもない。
 共にいることに気を遣わなかった。そして……。
(戦いやすかった)
 『魔道』の王子だからかどうか定かではないが、ラグレクトの攻撃補助はこちらにとって勝機を確実に捕らえられる絶好のタイミングでなされた。
 キーファは、都市長というよりも傭兵と言った方が正しいと思わせる見事な腕前であった。
 数名で戦う実戦は未経験だったけれども、“聖都”から逃げ出したときの苦労を考えると格段に楽だったことは確実だ。
「どうした、ジェフェライト?」
 無言で考え込む素振りをしていた彼に、ラグレクトが訝る。
「傷が痛むのか?」
 言われてから気づいたのだが、確かにジェフェライトは怪我をした方の肩を抑えている。
 慌てて手を離し、ラグレクトへと顔を向けた。
「いえ、大丈夫です。肩を怪我した時、常にそれをかばっていたので癖になってしまったんです」
「ならいいが」
「きついならきつい、って言っておいた方がいいぜ。こいつぁ、人使いあらいかんな」
 顎鬚を撫で、キーファが嘆かわしそうに言ったのでジェフェライトは笑いをこぼす。
 ――いいか、ジェフェライト。『魔道』ってのは信用が置けない一族だ。
 誰よりも尊敬している実の父、『剣技』の族長はジェフェライトが小さい頃から絶えずそう言い聞かせてきた。
 『賢者』はそこそこ信頼できるが、『魔道』はまるで信頼できぬ、と。
 宙城を別空間に置くという行為で既に、『剣技』にとって『魔道』は“人を欺く者たち”、“姿を隠す臆病者”と、嘲笑の対象となっていた。
 ――『賢者』が滅びた今、『剣技』がラリフ唯一の守り手だ。『魔道』は当てにするな。
 4年前の『賢者』炎上事件より、父親は剣の稽古のたびに同じ言葉を繰り返した。
 ラリフを、“聖女”を守れるのは『剣技』一族のみであるということを。
 だが、姉のエリスは、部屋に訪れるたびにこっそりと言ったものだ。
 ――『魔道』は信頼のおけない一族かもしれないけど、当てにはなるわ。だって、私たちが使えない力を持っているんですもん。
 エリスは、どこからそんなものを見つけ出してきたのだろう、と疑うような、黴《かび》くさく黄ばんだ書物を手に持ってきては言うのだ。
 父親の言葉を覆すことを。
 ――ラリフに何かあったとき、『剣技』は『魔道』と協力してそれを退けるのが得策よ。いい、利用できるときには『魔道』を信頼するふりをしてでも利用するの。『魔道』は私たちよりも劣った一族かもしれないけれど、私たちが使い方さえ誤らなければ心強い味方になるのよ。
 この、父と姉の正反対の意見は、共に、実際には4年よりももっともっとずっと以前、ジェフェライトが子供の頃より彼の耳に入ってきていた。
 彼は、どちらの言葉が正しいのかわからず悩み、最後には「実際に自分の目で『魔道』の民を見てみなくてはどちらとも言えない」という結論に出たのである。
 そして、今。
 ラグレクトという、『魔道』一族の中でも中枢に位置する人間を目にして『魔道』への認識を1つ、自分の中で確立させた。
(『魔道』は、信頼できないわけじゃない。『剣技』より劣っているわけでもない)
 たった数日顔を合わせただけ、たった1回共に戦っただけ――それで何がわかるのだ、と父や姉は言うことだろう。もしかしたら、当の本人であるラグレクトやキーファも同じ事を言うかもしれないが。
(それでも、私は『魔道』を信じる。『魔道』を認め、信じる)
 それは、『剣技』の価値を下げるものではないのだから、何の抵抗もなく受け入れればいいだけの話。
 裏切られたとしても、それは信じたからの結論じゃない。
 『剣技』より劣っていたとしても、力がまるでないわけじゃない。
 だから、自分は信じて、認めて、その上で自分も彼らから同じように見てもらえるよう尽くせばいい。それだけの、話。
「2人で盛り上がってるところ悪いけどな、ほら、新手のお出ましだ」
 ラグレクトはジェフェライトが何を考えていたのかなど知る由もなく、普通の会話でもするかのように敵の察知をそう告げた。
 キーファの顔つきが瞬時に変わる。戦いの最中に見せた戦士の姿へ――“真紅のキーファ”へ。
「気配がする。1匹、2匹……」
 と、呟いていたラグレクトが、はっとしてジェフェライトを突き飛ばした。
 刹那、ジェフェライトが立っていた位置に火柱が上がった。
「新手か!」
 キーファが剣を即座に構える。
「ラグレクト、大丈夫ですか?!」
 突然のことに動揺しながらも、彼は上半身を起こし、眼前のラグレクトを凝視する。
 ラグレクトは、茶色い瞳に強い光を宿しながら、ジェフェライトを見つめ返した。
「剣を構えろ、ジェフェライト。――敵だ」
 休む間もなく、戦闘は再び始まった。


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