Deep Desire

【第5章】 見失った矜持のかけら

<Vol.1> 否定

「我《われ》が族長、ヴァルバラント」
 広い謁見の間の隅々まで届く、玲瓏な声音。
 月光にも決して引けを取らないほど眩しい灯《あか》りが、その瞬間、微かに揺れた。
 魔道を用いて作り出した灯りは常に一定の明るさではなく、ろうそくのように時々揺らめく。『賢者』の宙城でも同じものを用いていたから、別に驚くことではない。
 テスィカが驚いているのは、眼前にいる『魔道』の族長が想像していた人とはだいぶ違うことだった。
 『魔道』族長、ヴァルバラントは闇色の長い髪と、それを映えさせるように対照的な雪のような白い肌の、目を引く美男子である。一段高い場所にある王座の前に立ち、片手で白銀の杖を握りながらテスィカたちを無表情に見下ろす彼は、お世辞でも歓迎しているとは言いがたい雰囲気をまとっていた。
 現在の『魔道』の族長ヴァルバラントは、ラグレクトの父親だ。見た目では30代前半といったところで、若々しい族長、というイメージが強い。とはいえ、彼の外見はどうであれ実年齢は40を過ぎているのをテスィカは知っていた。
 『魔道』を治めているこの族長は、テスィカにとって叔父にあたる。『魔道』族長の実兄が彼女の父親なのである。
 しかし、『賢者』は、『魔道』と『剣技』のどちらかと“血を残すために”婚姻を結ぶ。『賢者』の血を残すために。――そのため、『賢者』にとって親とは自分と同じ『賢者』の血を引く父か母のどちらかだけを指し、他族にいるもう一方の親は、あくまで“他族”だ。血を通わせているという情は、わかない。
 テスィカにも、父親という存在は既に意識の中にない。彼女は父親でさえ自分には無関係な人間として認識しているのだ、叔父など論外である。
 それに、テスィカは、自分の目の前にいる『魔道』の族長と自分の中に、ほんの少しでも同じ血が流れているということは絶対的に感じなかった。
 理由は――目だ。
 二重瞼で切れ長の茶色い双眸は、テスィカという存在を認めていないかのような冷え冷えとした視線を送ってくる。夢見心地では見れない恐ろしい何かを、その眼差しから感じ取らずにはおれない。そんな目は、母も妹も、自分と同じ血を持つ者の中から見出したことはない。
 さっき、この部屋に入ってきたヴァルバラントを見たとき、テスィカは彼が誰かに似ていると思った。ラグレクトの父親なのだから誰かに似ている、知っているような気がしたのは当たり前だと思ったのだが、今、視線を交錯させた彼女は、族長がラグレクトではない別の人間に似ていたのだとやっとわかった。
 畏怖を宿した底冷えする美貌は、あの男、金の将軍ルキスに似ているのだ……。
「この宙城から出て行く『魔道』は1人もいない。よって、そなたたちの元にいる者は『魔道』とは何の関係もない者だ。我が息子にあらず。人違いである」
 彼はそう断言した。声から感情は読み取れない。
 テスィカが反論をしようとしたが、それよりも斜め前に立つエリスが先に口を挟む。
「黒髪に茶色の目は『魔道』の証。……それでも、『魔道』とは関係ない、と?」
「黒髪に茶眼は我が一族に連なる者の証。だが、その容姿である者全てが我が一族の者とは限るまい。化けている可能性もある」
「化けている?」
 エリスが怪訝《けげん》そうに言うと、ヴァルバラントはテスィカたちの前で初めて笑みらしいものを浮かべ、耳元の髪を指で梳《》いた。
「たとえば、この黒髪。――髪が黒くない者でも、黒く見せることは可能であろう」
 自分と同じ色の髪なのだが、よく手入れされているためか、それとも膝丈まであるという長さゆえか、テスィカには同じ色だとは思えず、思わず凝視してしまう。
「しかし、黒い染粉は存在しておりません。それに、髪を黒く染めるのは大罪とされております」
 エリスの説明は、その場にいる誰もが知っていることである。
 ラリフ帝国内では、髪を黒か茶色に染めることはできない。技術的に無理であるし、帝国法がそれを許していない。法に背けば最後、処刑されるか監獄都市へ送られる。
 もっとも、国外から移り住んだ者やその子孫は黒や茶色の髪をしている。彼らは下手な嫌疑をかけられぬよう、その髪の色は先天的なものであるという証明書の携帯を義務付けられていた。これは法で定められたわけではないが、昨今、聖都軍による3族への仕打ちをラリフの国民は、進んで証明書を持ち歩く該当者が多いとのことである。
「ヴァルバラント様のおっしゃることは十分わかりますが、ありえません。染め粉が存在しないとあっては、黒髪に見せることは、ほぼ不可能に近いのでは?」
 テスィカもエリスに続いて口を開いた。
「それに、髪を何とかして黒く見せたとして、瞳を別の色に変えることなどできるでしょうか?」
「髪も瞳も、力を用いれば別の色に変えることはできるのではないか?」
 ヴァルバラントはそう言うと、形の良い唇を吊り上げて、初めて笑った。
 冷然と、笑った。
 背筋に冷たいものを感じつつ、どういうことだろうかとテスィカが思った途端、弾かれたようにエリスが声を張り上げた。
「――いかに『魔道』の長であろうと、それは無礼な物言いではございませんか!」
 女性にしては心持ち低い声からは抑えきれない怒りが感じられる。柳眉を上げた彼女の身体から、静電気のような小さな火花が飛んだ。『剣技』の気、に違いない。
 テスィカは眉をひそめ、何が彼女を起こらせたのか聞こうとした。しかし、その前にヴァルバラントが言おうとしたこと、エリスが反論した理由を察して、身体ごとヴァルバラントに向き直った。
「……『賢者』か『剣技』が、『魔道』を騙《かた》っているとおっしゃりたいのですか?」
 問うと、ヴァルバラントは二重瞼に切れ長の目を細め、笑みを消し去る。
「どちらも、力を用いて容姿を変化させることは可能だ。『賢者』ならば瞳の色を、『剣技』ならば髪の色を変えればよいこと。……『剣技』の方が楽であろうな」
「『魔道』はずいぶんと礼に疎《うと》いようですね」
 釣り上がった目で忌々しいものでも見るようにしてエリスが言うと、
「敬意を払う相手にはそれなりの対応をしている」
悪びれもせずヴァルバラントは言い返す。
 そしてそれから、右手に握っていた杖をテスィカたちに振りかざした。
「帰るがよろしい、使者殿よ。『魔道』の王子はただ1人、我が息子、オルドレット・ゼクティのみ。第1王子など、存在しておらぬのだ」
 向けられた白銀の杖の先端が光りだす。
「なに……」
 エリスが不思議がる横でテスィカは勘付く。
 魔道だ。――転移の魔道!
 テスィカは身構えた。
(転移させられる……!)
「父上!」
 突如、緊迫した空気を破り部屋に飛び込んできた声が響いた。部屋中の灯りが一斉に揺れる。同時に、ヴァルバラントの持つ杖から光が消えた。
 テスィカとエリス、それに族長ヴァルバラントは声の主を見やった。
 入り口に立つ数名の『魔道』が、部屋にやってきた青年に頭を垂れる。その顔を見てテスィカは息を飲んだ。
 ラグレクト……!
 今にも声に出してしまいそうなのを、こらえる。それは、彼女が自分の間違いに即座に気づいたからだ。
 よく見れば、その青年はラグレクトではない。『魔道』の第2王子――ついこの間会ったばかりの、ラグレクトの弟だ。
 名は、忘れてしまっていた。
「お待ちくださいませ、父上。その者たちは真に兄上の居場所を知っております」
「オルドレット、遅かったな」
 ――そう、オルドレットだ。ラグレクトは、オルドと呼んでいた。
 漆黒の衣をなびかせるように肩で風を切って、ヴァルバラントの元へ大股で歩みよるオルドレットをテスィカは目で追った。
 以前会ったときと同じような服装から、客人のために着替えてきた様子はない。慌てて駆けつけた、と全身で表している。
 ふと、腰に佩いた短剣に目が行った。見た覚えがあったからだ。
 いつ、どこで見た?
 見間違え……ではない。光っていた。あの剣は、光って……。
「王女たちよ」
 ヴァルバラントの声でテスィカは我に返った。ヴァルヴァラントは、杖をゆっくりと元に戻し、宣言するようにテスィカたちに言った。
「今、そなたたちの前にいるのが、『魔道』唯一の王子だ。この者以外に、王子と呼ばれる者は『魔道』にはいない」
「父上っ、まだそんなことを……」
 オルドレットが納得行かない表情でヴァルバラントに歩み寄ろうとしたが、それをヴァルバラントは杖でもって制した。
「オルドレット、お前こそ、まだ兄の死を信じられないのか?」
 声を荒立てたりしてはいないが、叱り付けるような口調である。
「兄上は生きております。つい少し前に兄上にお会いいたしました。そこの――」
 オルドレットは言葉を区切り、射抜くように鋭い目線がテスィカを睨みつける。
「そこの『賢者』の女が、兄上を利用するために連れ去ったのでございます!」
 言葉に凝縮された感情は軽く受け流せるほどのものではない。
 ヴァルバラント、エリス、そしてオルドレットの視線を受けて、テスィカは落ち着きを装う。
「私は連れ去ってなどいない……」
 誰も何も言わないが、部屋の壁に、床に映し出された影が揺れた。
 彼女の言を否定するように。首を横に振るように――。
 必要以上の言葉は弁明にしか聞こえず、かえって相手に疑心を抱かせる。そんなことは知っているが、彼女は堪え兼ねて声を出した。
「私たちの元に『魔道』の第1王子、ラグレクト・ゼクティ殿がいることは事実です。事情が事情なので、本人をお連れすることは適いませんでした……」
「事情などっ……」
「黙せよ、オルドレット」
 こだまするように語尾が重なりあったが、最後に場を支配したのは『魔道』の族長であった。
「……重ねて言う。我が息子、第1王子ラグレクトは既に死した。その者は我が一族の者にあらず」
「父上、兄上は亡くなってなど」
「黙せよという命が聞こえなかったか、オルドレット? ラグレクトは死んだのだ。この宙城から消えたそのときに。『魔道』であることを捨てたそのときから、『魔道』の王子、ラグレクト・ゼクティは既にこの世から消えたのだ」
 淡々と息子に言うヴァルバラントは、やはり無表情である。
 彼がどう思ってそう言ったのか、窺い知ることさえ適わない。
 ただ、冷たい目で、彼はオルドレットを一瞥した。
 納得せよ、とでも言うように。
「父上……」
 オルドレットが搾り出した声は掠れている。まるで悲鳴を上げた直後のようだ。
 耳に痛々しいほど掠れている。
「兄上のことをお嫌いなのですか、父上」
 彼は泣きそうな表情で父に問うた。
 テスィカは胸に痛みを覚えた。
 耳鳴りのように、遠い日、思いがけず聞いてしまった会話がよみがえってくる。
“テスィリスさまは亡くなられたも同然です。お近づきになりませんよう”
 ――茜色に染まった空。
 流れていく白い雲。
 乳母と妹姫。
“どうして?どうしてそんなことを言うの”
“テスィリスさまは、『賢者』の王女に似つかわしくありません。あなたさまが正当なる王位継承者でございます。皆、それを望んでおります。ですから、早くお姉さまのことなどお忘れください”
 婚約を破棄された自分がどう見られているのかは知っていた。
 それでも、受けた衝撃は大きく。
(私は、ここにいる!)
 気づけば、回廊を駆け抜けていた。
(私は、ここにいる!)
 生きて、ここにいる。
 なのに、それなのに……王女として相応しくない。
 だから、存在さえも否定された。
 滲み始めた空。それを閉ざそうとする雲。
 逃げ場のない世界。
 誰も、迎え入れようとはしてくれない、自分を拒絶する世界。
「では、私たちの元にいる『魔道』の王子は、好きにしてよろしいのですか?」
 エリスの声はテスィカの記憶をかき消した。
 何を言っているのか、理解する間もなくヴァルバラントの声が降ってくる。
「好きにされるがよかろう。その者は、王子でもなければ『魔道』でもない。我《われ》が干渉するに値せぬ」
「そんな……」
 それでは、ラグレクトはどうなるというのだ?
 ここまで来たことの意味もない。
「そんな、ラグレクトは……」
「『魔道』は『魔道』以外の生死など関係ないのだ、『賢者』の王女よ」
「たとえ、実の息子であったとしても?!」
 ヴァルバラントは、目を眇めてテスィカにこう言った。
「我《われ》の実の息子は、『魔道』から出て行くといった愚行など犯さない。だから最初に言うたであろう、人違いだと」


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