Deep Desire

【第4章】 選ばざるべき選択肢

<Vol.5 選択>

 都市城《シティキャッスル》の中にある唯一にして最大の賭場を見下ろすことができる部屋にて、王子たちを歓迎する晩餐は開かれた。
 卓上には多種多様な料理が取り揃えられている。色彩も実に鮮やかで、ギガの高級宿場でも滅多にお目にかかれない料理たちだ。中には、城主、すなわちギガの都市長のキーファでさえ目にした事の無い料理さえあった。
「うちの料理長は、よっぽどお前さんたちの来訪が嬉しかったんだろうな」
「まぁ、どんな料理を並べられてもお酒ばっかりのキーファ相手に作るより楽しいでしょうね」
 耳たぶほどの厚さにスライスされた鴨肉を白いソースに絡めながら、ハルカが平然と言う。
「酒ばかりってわけじゃねぇ」
 ムッとして反論したキーファだが、肉を切り刻み、口に運びながらハルカは
「そうね。酒か女か、ですものね」
と軽く返した。
 口ではどう言っても少女に勝てないことを知っているキーファは、自分が持っている男の自尊心が大きく崩れていく前に、静かに口を閉ざすことにした。
 話を変えたくて、彼は自分の斜め右、ハルカに向かい合う形で座っているラグレクトに視線を送る。すると、透明な杯に入った澄んだ紅色の液体を舌に絡ませるように飲み干してがラグレクトが、ちょうどキーファに目を向けてきたところだ。
 茶色い双眸は、柔らかな光を内包しており、出てくる言葉を想像するのは容易かった。
「いつ飲んでも美味いな」
 飾り立てた言葉ではなく率直な、思わず口から漏れてしまったとばかりの感想に、キーファは我知らず白い歯をこぼす。
「当たり前だ。値が、そこいらの酒とは違う」
 ギガが支配する農村の1つで作られた酒だ。手離しで賞賛されると、ギガの都市長であるキーファとしても嬉しい。
 ラグレクトはキーファの喜びようが面白かったのか、苦笑する。そして、自分とは対照的に笑顔1つ見せていない傍らのジェフェライトに声をかけた。
「ジェフェライト、これは飲んでおいた方がいい」
 『魔道』の王子と異なり、『剣技』の王子は誰が見てもわかるほど緊張していた。彼の前には贅を凝らした食事が所狭しと並べられているが、そのどれもほんの二口ばかりしか手がつけられていない。
 心配したキーファが目を向けると、ジェフェライトは慌てて目を逸らす。晩餐が始まって以来、これを数回繰り返したとあっては、ジェフェライトが緊張している原因は自分にあるのだとさすがのキーファも気づかずにはおれなかった。
「酒は苦手か、『剣技』の王子」
 普段は女性相手にしか使わない、極上ともいえる優しい声音でキーファは問うた。気を遣うのは性分ではないのだが、彼は、自分を前にして怯え、丸くなっている子ウサギまで取って食うほど大人気《おとなげ》なくはない。
「いえ……ただ、このお酒、赤なんてすごい色だな、と」
 ジェフェライトも、キーファの気遣いには気づいているようだ。恐縮した様子で、しかし、きちんと言葉でもって返してきた。
(まぁ、仕方ないか)
 3族の人間は宙城の外に出ることはない。族長ともなれば他族を始めとし、“聖女”、最高神官、大都市の都市長など自族以外と顔を会わせる。が、族長以外は外の人間と係わり合いを持たないようにするのが常だった。一生を宙城の中で過ごす3族の民も少なくない。
 それを考えれば、ジェフェライトが自分に対して緊張しているのがわからなくもない。彼はきっと大都市の都市長と会ったことがないのか、もしくは、自分のような大都市の都市長とあったことがないのだ。――可能性としては、その両方だろう。
(この王子様は、ラグレクトとは毛色が違う)
 違いが果たして『魔道』と『剣技』という根本的な差異から来るのか、それとも性格から来るものなのかは判別しがたい。これも、あえていうなら双方共に、かもしれない。
(いや、出会い方ってのもあるな)
 キーファは初めてラグレクトと出会ったときのことを思い起こした。
 キーファは一目見てラグレクトが『魔道』の王子であることに気づいた。眼前で巨大な魔道を発動させた黒髪茶瞳の青年は、彼の知っている『魔道』の族長とそっくりな顔立ちをしていた――気づかないわけがない。
 なかなか宙城の外に出たがらない『魔道』の民、しかも王子が自分の前にいることに多少の疑念は抱いたものの、深く問いただしている時間がなかったため追求はしなかった。
 一方、ラグレクトはキーファがギガの都市長とは知らなかった。それなりの場所で、それなりの格好で会っていたら別の話だったろう。しかし、彼らが初めて顔を会わせたとき、キーファは都市長がいるとは思えない場所で、都市長とは思えない格好で剣を振るっていたのだ。――これで都市長だとわかったとしたら、それは野性の勘とでも言うべき領域の話になる。
 結局、キーファが、自分こそギガの都市長であるとラグレクトに伝えたのは数日後のことであった。それまで、キーファは都市長として接していたわけではなく、ラグレクトも『魔道』の王子として接していたわけではなかった。そして、互いがどういった素性の者かを言及しなかった。だから、種明かしがされた後も、くだけた間柄はそのまま維持されている。
 もし、『剣技』の王子とも同じような出会い方をしていたならば、もっと違った雰囲気になったかもしれない。キーファは、そう思う。可能性として考慮するだけならば、「十分にありえる」だろう。
 人と人の関係なんて、出会い方で大きく左右されるものだ。
 いや、人と人の関係だけじゃない――「人」そのものが、出会いによって大きく変化する。
「こうすると、ほら、赤い酒だってキレイに見えるだろう?」
 今、ラグレクトは杯を手に取り、頭上で揺れる幾本もの灯りに向かって掲げていた。空いている指で酒を指差し、緩やかなゆらめき、時折生まれる煌きをジェフェライトに見せながら説明している。
「この酒は、ラリファーヌという名だ。またの名を、“聖女”の源と言う。聖都での式典に欠かせない貴重な酒だとか」
 その説明は、キーファがラグレクトにしたものだった。
 彼がこの都市を去る前夜、晩餐の席でキーファが餞別にその酒を蔵から出し、ラリファーヌを説明してやった。
 美味いと言うラグレクト。当たり前だと言うキーファ。同じ会話を交わしていた。
 赤い酒をたのしみ、華やかな賭場を見下ろしてながら、ラグレクトはギガを「居心地がいい」と評していたのを彼はまだ覚えている。
 刹那的な感動や快楽を求める者・授ける者がいるこの都市は、しがらみがなく、1人で居やすいから「居心地がいい」とラグレクトは言っていた。
 この都市の住人にならないか、とキーファはラグレクトに提案をしていたのは酔いが回り始めた頃。彼は、冗談でも言うように気軽に誘った。居心地がいいのならば、いればいい、と。
 3族の身体的特徴がある限り、住民として迎え入れる都市はきっとないだろう。住民にした後、扱いに困るのが目に見えている。そうそうないチャンスを、彼はラグレクトに与えた。
 だが、答えは「否」だった。彼は言った。
 「1人で生きていくさ。寂しいなんて言う歳でもない。むしろ、1人の方が気楽でいい」と。
 その段になり、彼の決意のほどを初めてキーファは思い知らされたのだ。キーファだけではない。ハルカも、副都市長も、思い知らされた。
 ラグレクトが誰も求めていなかったことを。
 彼らの中の誰ひとり、求めていなかったことを。
 彼らの心とは裏腹に。
「行く場所がなくなったら、ここに来いや。こき使ってやる」
 別離を惜しむわけでもなくそう言った。
 弟のように感じ、傍に留めておきたいと思った青年が、躊躇なく自分を捨てていくことへの悔恨を込めて。
 あのときとさほど外見が変わらぬ青年は、しかし今、確実にあの頃とは変わっていた。
 1人で来たわけではない。『剣技』の王子を伴って現れた。
 行く場所がなくてここに来たわけではない。賭けの話だ、と言っていたのだ、理由あってのことだろう。
 目的はまだわからないが、確かなことは1つ――意固地なラグレクトが、今、誰かを頼ってまで何とかしたいと思う対象《こ と》を抱えてギガにやってきたこと。
 何が彼を変えたのか。
 何との「出会い」が彼を変えたのか。
 知りたい。
 少しの嫉妬と、少しの喜悦が入り混じった、大きな興味。
「一口飲んで、嫌なら吐き出せばいい。残りは俺が飲む」
 楽しそうに話すラグレクトに、ジェフェライトは意を決したようだ。杯の中を覗き込み、血を連想させる、否、血などでは到底ありえない透明度を持つ酒を恐る恐る口に含んだ。
「……美味しい」
 彼の呟きに、キーファも笑う。
「だからさっきから言ってるだろう。そこいらの酒とは違う、と。――で、ラグレクト」
「ん?」
 不意に再び話が自分に向いたことを知り、ラグレクトが杯に口付けたまま顔を向けた。
「お前はこの酒を飲みたいがためにギガに来たんじゃあるまい、ん?」
 片方の眉尻と語尾を上げ、キーファはラグレクトに問うた。
 それは質問しているというよりも確認している意味合いの方が若干強い口ぶりで。
「察しがいいな」
「何言ってやがる。『賭けの話だ』と、ついさっきその口が言ったじゃねぇか」
「あぁ、言葉を間違えたな……察しがいいんじゃなくて、物覚えがいい、だな」
「俺を年寄り扱いするな」
 キーファは、卓上に肘をついて覗き込むようにラグレクトを見つめた。
「キーファリーディング」
 畏まってラグレクトはキーファに切り出してきた話は、数秒、キーファを黙らせることのできる内容だった。
「転移門《テレポートゲート》を使わせて欲しい」
「……どこに行く?」
 突拍子もない申し出に、キーファは目を細める。
「『魔道』の宙城」
 キーファは、一瞬だけ目線をジェフェライトへ移した。
「『剣技』の王子は?」
 『魔道』は他族を忌み嫌う部族として有名だ。友達の王子を家に連れてく、という子供が言う軽いノリでは訪れない方が誰にとっても良い。3族ではないが、都市長としてそのくらいのことをキーファは聞いている。
 ラグレクトは、口を開きかけたジェフェライトを遮る。
「『剣技』の宙城へ」
「……1人ずつ、別々の場所へ、ってこと?」
 難色を示したのはハルカ。キーファの側近でもあるこの少女は、転移門の耐久度を知っている。だからだろう、他の可能性を提示した。
「2人とも同じ場所じゃダメなわけ?」
「俺はどうしても『魔道』に行かなければならない」
「王子様は、『剣技』に戻らないと大変だしな……」
 ひとり言だったのだが、地声が大きいため聞こえてしまったらしい。ジェフェライトが驚きを顔に出した。
(わかりやすい……)
 内心同じように思ったのか、ハルカがジェフェライトに簡単な説明をした。
「ギガにはいろんな情報が集まるのよ。もちろん、この秘密を知ってるのは私たち数名だけどね」
「片方が大都市ならまだしも、両方とも宙城へ、か。……正直、ここの転移門《テレポートゲート》はボロだからきついな。――フライの転移門は?」
「使えるようだったら、わざわざここには来てない」
 両肩をすくめて、愚問とばかりにラグレクトが答えたのをキーファは頷くしかない。
 それはそうだろう。
「確かに。……まぁ、それは考えよう。しかし、ラグレクト、お前さんは何しに家に戻るんだ?」
 懐かしくなって。
 よもやそんな寝ぼけたことは言うまいと思っていたら、案の定、違った。
「姫を連れ戻しに」
「……姫?」
「そう。俺のために1番危険なところに飛び込んでしまった姫を連れ戻しに」
「ラグレクトにも執着する女の子なんていたんだ」
 ハルカが意外そうに茶々を入れたが、キーファとて内心同じことを言っていた。
 彼は、ラグレクトが女性に執心しないと思い込んでいた。
 そう、遠くから見ていた限りでは、執心「できない」ではなく、執心「しない」様子だった。
 当の本人は、ハルカの発言は耳を素通りしたかのように何の反応も見せず、真剣な表情でキーファへ話の続きを告げた。
「何としても取り戻さなくちゃいけないんだ」
「もし万が一、それが『魔道』とお前の間に軋轢《あつれき》を生むことになったとしても?」
「『魔道』の毒に犯される前に何としても連れ戻す。彼女は俺にとって、特別――になりうる」
 どう特別か、問おうとする。
 が、直前にジェフェライトが同じ言葉を口にした。
「彼女は私にとっても特別な存在です。婚約者なのですから」
 ちょっと待て。
 キーファは声が喉から出かかった。
(婚約者?)
 『剣技』の民が『魔道』にいると言うのか?
 ラグレクトは「姫」と称した。『剣技』で姫と呼ばれる可能性のある者は――エリス・ジャスティ。『剣技』の王女。
 しかし、彼女ではない。
 彼女がジェフェライトの婚約者など、ありえない。
「誰の話だ?」
 返答は、即座に。
「『賢者』の王女、テスィリス・フォルティ――今は、テスィカと名乗ってる」
「なっ……! どうして『賢者』の王女が……」
 食事の席だということを忘れて、彼は勢いよく立ち上がった。
「話すと長いから割愛する」
「割愛って……」
「つまり、急いでるってことだ、キーファ」
 悠長に酒を飲みながら言う台詞とは思えなかったが、眼差しの強さに圧倒されてキーファは口を結んで席に座った。
 『魔道』の王子に『剣技』の王子、そして『賢者』の王女……最高神官アーティクルも絡んでいる。すごい事情だ、詳細なんて明かせないに決まってる。
 これで“聖女”でも加われば完璧だな、と意味不明のことを考えながらキーファは自分を落ち着かせることにした。
「――で、ラグレクト。転移門の使用に対する代償は何だ?」
「さすがキーファリーディング。物覚えだけじゃなくて物分りもいい」
「下手な世辞は要らねぇよ。さっさと言え」
「代償は、以前と同じ」
 だから、賭けと言ったのか。
「現状は知らないが、無視することはできない話だろう? ――ギガの都市長としては」
 足元見やがって、と言いたかったが言葉は飲み込んだ。
 ラグレクトの言うことがもっともだからだ。ギガの都市長として、見逃すべくもない話に違いない。
 彼の表情、行動を見ていたラグレクトは冷静な声で言う。
「決まりだな」――この一言を。
 場の妙な空気に疲れたのか、ハルカが大きく息をついた。
「ラグレクトも物好きね。また戦うわけ、“不和の者”と。私は嫌ぁよ」
「大丈夫。ハルカやキーファの手助けは要らない」
 ラグレクトは、そのときになって再びジェフェライトに向き直った。
「ジェフェライトがいれば、十分だ」
 確信のあるような、力強い口調。
 けれども、キーファは納得できなかった。キーファは、ジェフェライトのみを伴って“不和の者”に相対しようとしているラグレクトの発言に納得しかねた。
 『剣技』の王子は“不和の者”という単語が出てから硬直している。その姿はどう見ても、ラグレクトが出した「代償」への無言の肯定とやらではなく、呆気にとられているようにしか見えない。
 こんな状態では“不和の者”と対峙などさせられない。
(……俺、心配性になったなぁ)
 口元を抑えて彼は大きくため息をつく。手助けしよう、と自分が既に結論を出しているのを苦々しく思いながら。
 異性が相手じゃないとしても、こういうのを惚れた弱みと言うのだろうか? そうじゃなければ、自分の生命を危険にさらしてまで選ばざるべき選択肢をわざわざ選びとるわけがない。
 ――キーファはもう一度、大きく大きくため息をつくしかなかった。


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