Deep Desire

【第4章】 選ばざるべき選択肢

<Vol.3 行先>

 準高《じゅんこう》神官が、裏の竹林で取れた薬草を使ってラグレクト、ジェフェライト、アーティクル、3人分のお茶を入れてくれた。
 しかし、2人の王子はそれには一切手をつけなかった。銀髪の最高神官のみが時々杯を手に取るが、それでもお茶を味わっているという様子はない。話しをしていく上で喉が渇かないようにするために口につけている――そんな感じだ。
 3人共、自分たちがどのくらい話し込んでいたか、まるでわからなかった。そのくらい、それぞれが語る話に集中していた。
 気づけば、彼らの話が一区切りついた頃、アーティクルの杯が空になりかけていた。
 準高神官を隣の部屋から呼ぼうとしたアーティクルを遮り、しばらく聞き役に回っていたラグレクトがやっと口を開く。「つまり」と前置きをして。
「俺の目を覚まさせるために、テスィカと『剣技』の王女様は、『魔道』の宙城へ向かった、と」
 椅子にも座らず、卓から数歩離れた位置にある窓枠に腰かけ、しかも行儀悪く片膝を立てた姿勢のまま、でラグレクトが言う。と、後を次ぐように、ジェフェライトも口を開いた。こちらはラグレクトとは異なり、きちんとアーティクルの向かいに座っている。
「そして、アーティクル様の名代として、何かあった場合は緊急転移してくるようにと伝えはしたものの……実際にその場に緊急転移してきたのは、姉たちではなく、私だった……」
「でもって、2人が『魔道』の宙城に向かった後で、問題の主である俺が目を覚まし――」
「私が緊急転移してきたことによって、転移門はしばらくの間使用できない状況になった、と……」
 聞き終えたアーティクルは、杯を卓の上へと戻してから一言返す。
「ええ」
 あまりにも簡潔な返答に2人は二の句をつげずに黙る。
 ……呆れたくなるくらいのすれ違い。そして、驚くしかない、他族の王子との出会い。
 偶然にしてはあまりにも不可思議な人と人の関係。
「お2人とも黙さないでいただきたい」
 アーティクルが困ったように言う。彼女とて2人の心情は汲み取っているのだろうが、沈黙されては何からどう話し、今後のことを考えればいいのか、導くにも導けない。
「とりあえず、お茶をお飲みになってください。今、準高神官に新しいお茶を入れさせます」
 アーティクルは優しく勧め、席から立とうとする。たが、再びラグレクトが遮った。
 今度は、言葉でもって明確に。
「茶など要らない。あまり落ち着いている暇はないだろう?」
 心持ち低い声音は、今、魅力的なほどに甘い響きを持つ優しいものではなかった。どこまでも冷ややかだ。
「ラグレクト様?」
「敬称は要らない、レラ最高神官」
 言い切る口調は拒絶の意。誰もがわかるほどの、強い拒絶の意。
 こういうときのラグレクトは心の内を読み取らせない、無表情な双眸で相手を見つめる癖があった。本人は気づいていないが、その視線は暗い雷を思わせるように、突き刺すような命令を発する。
 自分の言に従え、という命令を。
 まるで相手の言葉を封じ込める魔力を秘めた、彼が無意識に放つ魔道のようなものだった。
 アーティクルはいったん開きかけた口を閉じる。
 それをラグレクトは確認しながら、言葉を繋げた。
「レラ最高神官、状況はわかった。俺は『魔道』の宙城へ行く」
「『魔道』の宙城へ? ――ここでお待ちにならずに?」
「そんな暇なんてない。……あの一族の城からはなるべく早く出てきた方がいいに決まっているんだ」
 その言葉を受けてジェフェライトがラグレクトに尋ねた。
「『魔道』の王子、それは生命の危険に関わるということですか?」
 出会ってほんの少しとはいえ、明らかに暗く重いとわかる声で自族についてそんな風にラグレクトが評したものだから、間違いなく不安になったのだろう。
 ラグレクトは、上半身だけ自分の方へ向ける、『剣技』の王子へ視線を移す。
 目に付くのは、自分と同じ、茶色の瞳。
 そして、自分とは異なる、茶色の髪。
 どこかしら懐かしさを感じるその容貌は、だがしかし、明らかに自分の知らない空気をまとっている。
 他族の王子。他族の、王位継承者。――似て非なる境遇にいる者。
 どこか不思議な気がするのに、不思議に感じる理由が明確にはわからない。何となくおかしな気分になって、彼は親しい者にしかわからないくらいの微妙な微笑みを唇に飾った。
「……『剣技』の王子よ、俺は既に一族を出た。王子でも何でもない、ラグレクト、と呼んでくれ」
「では、ラグレクト様、私のこともジェフェライトとお呼びください」
 大抵は、「ラグレクトと呼べ」といえば、そのとおり敬称を省いて呼ぶものだ。ところが眼前のこの青年は、律儀に“様”をつけてきた。
 『剣技』は礼儀作法に厳しいとは話に聞く。幼い頃から徹底的にそれを叩き込まれただろう『剣技』の王子は、自分の弟などよりもよっぽど大人だとラグレクトは思い……不意に、確かめたくなった。
「……『剣技』の王子」
「はい?」
「生誕日は?」
 ラグレクトの唐突な問いは、明らかにジェフェライトを驚愕させた。
 だが、『剣技』の王子は、嫌な顔もせず、彼の質問に律儀に答えてくる。
「462年の8の月ですが」
 今度はラグレクトが驚く番だった。
(同じ歳!? ……本当か!?)
 ラグレクトは、言おうとしていた言葉を寸でで飲み込む。もちろん、彼は顔にも出さなかった。
 自分も年齢よりは若く見られるほうであり、他人のことは言えない……そう思ったからだ。
(3族の王系っての共通点は、若く見られるものなのかもな)
 一族内で過去に出会った王族の直系は、誰も彼もが実年齢より若く見えた。だから、他族もあるいはそうなのかもしれない――そんな憶測が一瞬だけ胸中をよぎったが、彼はすぐに現実に意識を戻した。ジェフェライトが、なぜ誕生日を聞いたのか疑問そうにしている。
「……俺は、62年、7の月だ。1ヶ月違いとはいえ、同じ歳なんだ、ラグレクトでいい。ラグレクト、で。“様”は要らない」
「1ヶ月違い、ですか!」
 見えませんね、と続けられるものかと思っていたら、ジェフェライトは「人のいい」としか形容できない笑顔を向けて、
「では、ラグレクト兄さん、とお呼びした方がいいのでしょうか?」
と奇妙な発言を口にする。
 ――時間を止める魔道が発動したのかと思うほど、ラグレクトは固まった。
 数秒、時間にして息を大きく吸って吐くくらいの間を置いて、ジェフェライトは声の調子も笑顔も変えずにラグレクトに言う。
「冗談です」
 どこまで冗談なのか、まるでわからない。こいつは曲者だな、とラグレクトは心中呟いた。
「ラグレクト――そう呼ばせていただきます。ですから、私のこともジェフェライトとお呼びください」
 ラグレクトにとって耳慣れない丁寧語は、ジェフェライトの癖らしい。
 改まれるのは嫌だから、それさえも直してもらおうとしたが、年季が入っていると判断、彼は矯正を諦めて話を先に進めることにした。
「ジェフェライト、君の姉上殿に生命の危険はない。『剣技』の王女を傷つけられるほど馬鹿じゃないさ、『魔道』は。力だって及ばない可能性もあるし。……だが、他族を喜んで懐に入れないのが『魔道』だ。なるべく早く迎えに行った方がいい――テスィカが、『賢者』の王女がいるなら、なおさら」
「まさか、テスィカ殿をルキスに差し出すことがあるのですか?」
 穏やかな物言いではあるが、言外に、同じ3族を聖都軍に突き出すのか、という批判が見え隠れする。温和なジェフェライトでさえ、批難の色を混ぜてきた。
 『魔道』の王子は首を左右に振って答えた。
「あそこは普通じゃないのさ」
 憐れむように、蔑むように、言い切る。
 いや、むしろ――突き放すように。
 自分とは無縁だと、他人事でも語るかのように。
 押し黙ってしまったジェフェライトに代わり、杯を持て余すように握っていたアーティクルが話に割って入ってくる。
「実情はどうにしろ、ここ、フライからテスィカさんとエリス様を迎えに行くことはできません。転移門《テレポートゲート》はしばらく使えない状態です」
 銀の最高神官は淡々と、事実だけを告げた。
 ラグレクトは察していた。ジェフェライトも恐らくはそうだろう。
 『剣技』の宙城からのエリスの転移、エリスとテスィカの『魔道』への転出、そして、聖都からのジェフェライトの転移。
 1日に2回の転移、それが宙城と聖都からのものであったため、転移門に大きな負荷がかかったことは想像するに難くない。しかも、ジェフェライトの転移は、強制転移だ。「大きな負荷」どころではない。
 『魔道』の宙城へ向かうのに、フライの転移門が使えないというのは厳しいことこの上ないが、よくよく考えてみると、ジェフェライトを追って聖都軍が転移してくる可能性を絶ったのだ――そういう意味では、転移ができない状況になったというのは有利である。
 『剣技』の王子を捕らえていたことを声高に言えない聖都軍は、ジェフェライトを連れ戻すために目立った行動はできない。理由もなく、フライへ立ち入れるほど彼らには権限がない。なにせ神殿都市フライは、最高神官の膝元なのだ。
 そして、アーティクルは聖都軍を都市に入れさせない対応をとれることになっていた。ジェフェライトは『剣技』の宙城にいる、と言えばいいだけの話だ。聖都軍は、ジェフェライトがフライにいることを知らないはず――拉致・監禁していたという事実を認めない限り、聖都からフライへの逃亡もありえない話なのだから。
(武力で押し切ることもできるだろうが、ルキスはそれをやらないだろうな)
 ラグレクトは金の美貌の将軍を脳裏に描き、フライが戦場になる様々な予測を、全て否定した。
 ジェフェライトが聖都から出てきても、聖都には未だに『剣技』の剣がある。宙城を操る鍵がある。
 計算高いルキスは間違いなく軍を動かさないに違いない。ここで下手に最高神官と揉め事を起こさなくても、まだ彼の手には切り札が残っているのだ。
「……ここから1番近い転移門は?」
 彼が訊ねると、アーティクルトは聞かれることを予測していたのか、即答する。
「港湾都市レーレの転移門でしょう」
 北方にある神殿都市フライから直線距離にして最も近い都市は、港湾都市レーレ。
 転移門は、大都市以外にも存在している。しかし、フライの都市長アーティクルが挙げた場所は、港湾都市レーレだった。
「ならば、とりあえずレーレへ向かう。……待ってなどいられないさ」
 腰掛けていた窓枠から降り、ラグレクトは扉へ向かって歩き出した。
「お待ちください」
 それをジェフェライトが制する。
 ラグレクトは立ち止まった。ジェフェライトの発言を耳にしたではなく、借りて着ている神官衣が思いのほか長いのを忘れ、歩きづらかったためである。
 けれどもジェフェライトはそれを別の意味に汲み取り、ラグレクトの反応を待つことなく続けた。
「私も共に参ります」
「……自分の姉を迎えに行こう、と?」
「それもございます。それに……」
「それに?」
「テスィカ殿のことも心配です」
 怪訝そうに柳眉を上げるラグレクトに、ジェフェライトは当たり前のように言ってのけた。
「私の婚約者殿ですから」
 聞き流せず、ラグレクトは言い返す。
「……テスィカはもう、『賢者』の王女じゃない」
「だが、『魔道』は彼女を『賢者』と見なし、それなりに対応するかもしれないのでしょう?」
 ラグレクトは唇を噛みしめた。
 そして、真っ直ぐジェフェライトを見つめなおした。
 ジェフェライトの茶色い瞳に宿る感情に、気づかないわけにはいかない。
「……それは何としてでも俺が阻止する。この体に流れる『魔道』の血にかけて――テスィカは、俺が何とかする」
 気づいてしまったから、力強く言う。
 その必要はない、と。
 お前が気にかける必要はない、と。
 気にかけるのは俺の役割だ、と。
 が、ジェフェライトは顔色1つ変えない。
 たぶん、気づいていないのだろう。ラグレクトがどう思ってそんなことを言ったのか、など。
(俺だけが嫉妬してるってことか?)
 いや、もしかしたら、気づいていながら腹の底で笑って相手にしていないのかもしれない。
 1度捨てた女に対して未練がましく言っても仕方ないですよ、という風に。
「とにかく、お2人で転移門へ向かったらどうでしょう?」
 状況を察してか、アーティクルが無難な言葉で間に入ってくる。
「ジェフェライト様はまず、聖都から出てきたことを『剣技』に伝えなければならないでしょう。『剣技』の剣は未だに聖都にある、ということも含めて。そのためには、転移門で『剣技』の宙城へ行く必要もございますし」
「……そうですね……」
「……そうだな」
 2人の王子は互いに納得した。
「フライの飛船をお使いになると良いでしょう。レーレまで大して時間がかからないはずです」
「気遣いはありがたいが、飛船を出せばルキスに気づかれる」
 それはすなわち、ルキスに何かしらの口実を与えるということ。
 言葉の裏にある危惧を感じ取り、銀髪の最高神官は理解した。
「そうですね……」
「ですが、外は大雪ですよ。レーレまで歩いていくとなると、時間がかかります」
 ラグレクトの言ったことをわかりながらも、ジェフェライトは困った顔で窓の外を指差した。
 つられてラグレクトは外を見た。さきほどまでは雪など降っていなかったのに、今、外は吹雪である。
「……仕方ない。転移する」
「それは、魔道を使う、ということですか?」
「ああ」
「……大丈夫ですか?」
 先ほどまで1週間も寝ていたのに平気なのか、と心配そうなジェフェライト。
 ジェフェライトにとってみれば、力の使いすぎで寝込んだなど、未だかつて経験がない。力の使いすぎでさえ経験がないのだから、もちろん、回復後に果たしてどのくらいの力を振るえるかなど、わかるわけがない。
(大丈夫って……本当に、大丈夫なのか?)
 彼にとってみれば、心配するのは当然だ。
 が。
「転移は上手くやればそれほど負担にはならないもんだ。2人分くらい、どうってことない」
 ラグレクトは平然と語る。強がりなどには見えない。
 気遣っても自分には何もできず、連れて行ってもらうしかないのでジェフェライトは「そうですか」と頷いた。
「転移ともなると、港湾都市レーレの周辺は難しいな……」
 転移の出入り口は決まっているらしく、ラグレクトは大きく腕を組んで考え始める。転びそうになるほど長い神官衣が邪魔の様子で、衣の長い裾をたくし上げるようにして腕を組む。
 天井をぐるりと見回し、それからやっと、ラグレクトはジェフェライトに声をかけた。
「決めた。――ジェフェライト」
「はい」
「お前さんの言っていた肩の傷はどうだ?」
 不意に、というわけでもないが、来ると思わなかった質問に、反応が少し遅れる。
「どうだ、とは?」
「剣は扱えるか?」
「ええ。……私は『剣技』の王子ですから」
 当然とばかりの返答を口にすると、ラグレクトが微かに笑った。
「じゃあ、決まりだ――西方都市ギガに行く」
 西方都市ギガ……享楽と賭博の都市。
 独自の法体系を持つこの都市は、身分も国籍も関係なく傭兵を雇い編成することで、聖都の駐留軍を退けていた。
 聖都に動きを感づかれずに転移門を使うには、うってつけの場所だ。
 しかし、ギガの都市長は変わり者で有名である。
 上手くいくだろうか?
(何か伝手《つて》でもあるのか?)
 そんな思いはジェフェライトの顔に出ていたらしい。
 ラグレクトは笑ったまま、ジェフェライトに告げた。
「上手く行くはずだ……あっちにだって弱みはある」
 意味はわからないが、ラグレクトの口調は自信に満ち溢れている。
 寡少だが消えない不安を胸に抱き、ジェフェライトはアーティクルを凝視する。アーティクルは困ったように首を振り、ラグレクトの考えていることがわからないようだ。
「じゃあ、俺は着替えてくる。その間――」
 2人の心配をよそに、ラグレクトは笑ったまま卓上の杯を指差してから踵を返した。
「冷めた茶でも飲んでてくれ」
 両腕に長い神官衣を抱えて去っていく『魔道』の王子は実に堂々としている。
 自信のみなぎる振る舞いは、何も知らないジェフェライトにとって、より不安を増大させるものでしかないのだが……何もつけくわえずに、ラグレクトはさっさと隣の部屋に着替えに行ってしまったのだった。


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