Deep Desire

【第4章】 選ばざるべき選択肢

<Vol.0>

 2人の王女の転移を見守ったアーティクルは、肩を上下させるようにして大きく息を吐き出した。
 『魔道』は3族のうちでも、ことさら他族との接触を拒む。果たして行かせてよかったのだろうか? ――少しばかりの後悔をアーティクルは感じていた。
 けれども、彼女はあのとき、テスィカとエリスを止めることはできなかった。
 2人の瞳にはいずれも強い意志が宿っていたから。
「あの2人に、神と“聖女”様のご加護があらんことを」
 そっと呟き、アーティクルは手のひらを重ねて指を絡め、頭を抱えるように額に当てる。
 ラリフ帝国の神官だけが行う祈りの仕草。
 ほんの数秒、心の底で願いを唱え、アーティクルは部屋を退室しようとした。そこで待っていても仕方がないからだ……待っている間自分にできることは、ラグレクトの様子を見ることだけだ。彼女にはそのことがわかっていた。
 と、遠くから神殿の廊下を駆けてくる足音を耳にする。
 アーティクルの聞き違いでなければ準高《じゅんこう》神官――彼女にとって片腕とも言える少女の足音である。
「あらあら、何を慌てているのかしら」
 苦笑して立ち止まったアーティクルは、はっとして振り返る。
 視線の先、さきほどまでテスィカとエリスが立っていた転移門の空間が、急激な光と熱を帯びだしていたので。
「なっ……」
 次いで、石板の中心から沸き起こる風。
 部屋に植えられた木々が身を大きく揺さぶられ、葉が舞う。
 アーティクルは片手で衣の長い裾を抱えたまま、もう一方の手を目の前にかざして転移門を見つめた。
 転移門は先ほど確かに、発動した。だから、テスィカの姿もエリスの姿も、ない。
 では、この発動は一体……?
「緊急転移……?」
 吹き付ける風に目を細めながら、驚きに満ちた声で彼女は自問する。
 それしかありえない。
 何よりも、この急激な風と眩いまでの光は緊急転移の証だ。
 だが、テスィカたちは先ほど旅立ったばかりである。すぐに緊急転移してきたなどありえない。
 では、一体誰が?
 アーティクルが強い疑問を抱いたちょうどそのとき、光が弾けた。
「きゃっ」
 突風にアーティクルは、顔を背ける。銀の髪を結んでいた紐が解け、長い髪が宙に踊った。
 そして、その爆発を境に、風はやみ、光も急速に収まっていった。
 アーティクルは、恐る恐る転移門の方へ顔を向ける。
 天井まで上り詰めた葉が、自分たちのリズムでゆっくりと地上へ降りてくるのが目に映った。まるで雪のように。
 彼女は衣を抱えたままで、転移してきた人物を見つめ……呆然とする。
 石板に囲まれた空間で尻もちをついていた青年が、こちらもびっくりした様子でアーティクルを見つめてきていた。
 茶色い瞳で。
 アーティクルが知っている少年よりも、少し大人びた観のある、けれども、相変わらず穏やかな雰囲気の青年。
「……ジェフェライト様……?」
 『剣技』の王子ジェフェライトは、口を半開きにして、何も言わずに座りこんでいた。
 時が止まったかのように固まっている彼の茶色い頭に、舞い降りてきた1枚の葉が乗っかる。
「最高神官アーティクル・レラ?」
 彼女の名を呼んだ声は、眼前ではなく背後から。
 アーティクルは、風で乱れに乱れた銀の髪を整えることもせず、声の主へ振り向いた。
 いつの間にやら部屋に駆けつけていた準高神官の少女の傍ら、こちらもジェフェライトに負けず劣らず、大きく目を見開いた青年が立っているのだ。
 ジェフェライトと同じ茶色い瞳。しかし、髪は夜の闇のように艶やかな漆黒。
 沈黙していたジェフェライトが掠れた声で呟いた。
「……『魔道』……?」
 彼が不思議そうに見つめた青年、1週間も目を覚まさなかった『魔道』の王子――ラグレクト・ゼクティは、神官衣を着たまま、しばらく、アーティクルとジェフェライトを交互に見つめていたのだった。


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