Deep Desire

【第3章】 迷走する『剣技』

<Vol.5 思惑>

「では、エリス様。そろそろ本題に入らせていただきましょうか」
 一呼吸置いた後、アーティクルは笑みをすぐさま顔から消し去り、両手をテーブルの上に載せた。そして、さきほどまでエリスがしていたのと同じように、テーブルの上で指を組み合わせる。
 その仕草は、アーティクルが執務官――都市長として仕事に当たるときのくせなのだが、もちろんテスィカもエリスもそんなことは知らない。
 ただ、指を組み合わせて真っ直ぐにエリスを見つめるアーティクルには今までよりもさらに強い威厳のようなものが感じられ、2人の王女は無意識に姿勢を正した。
「エリス様、実はテスィカさんは当神殿内に1週間前から滞在されていらっしゃいます。そして実は……『魔道』の第1王子もこちらにいらっしゃるのです」
「『魔道』の……『魔道』の第1王子!?」
 エリスは言葉を繰り返す。噛みしめるように。
 数秒の間を置いて、彼女は自分が言ったことに驚いたような大声を上げた。
「『魔道』の第1王子というと、あの、出奔したという噂の!?」
 瞠目するエリスに、アーティクルは何も言わずに頷く。
 そんな2人のやりとりを無言で見据えながら、テスィカは
(有名な話なのか……)
と心中で呟いた。
 自分は、『魔道』の第1王子が一族を出たという話を、噂としてさえ聞かなかった。『魔道』の宙城へ行ったときにラグレクトが一言告げるまで知らなかった。
 仕方なかった、と彼女は思っている。
 『賢者』にいた頃は、『魔道』の話などほとんど耳にしなかった。『賢者』にとって『魔道』の第1王子は自分たちの姫君との婚約を破棄した、つまり、恥をかかせた張本人だ。『賢者』の中では名前さえ挙がらぬようにしていたことさえある。
 『賢者』の滅亡以後は地上で生活していたが、一般的なラリフ国民にとって3族はまさに雲の上の人……3族に関する情報は大都市といえどそうそう手に入らない。ラグレクトがいつ『魔道』を出たのかは知らないが、彼は『魔道』の王子である、彼の出奔はそう簡単に他人の耳には入らないことだったに違いない。
 最高神官のアーティクルと、『剣技』の王女エリスだからこそ知っている話なのだ。
「そうです、『魔道』第1王子、ラグレクト様がいらっしゃいます」
「……アーティクル様のご用件とは、その『魔道』の王子に関すること、と?」
「さすが、エリス様はご聡明でいらっしゃいますね」
 アーティクルはそこでテスィカへ向き直り、何も言わずに首を縦に1つ振る。
 ここから先は自分の番だ……そう思い、テスィカは言葉をつなぐ。
「『魔道』の王子、ラグレクトは、1週間前から眠ったままです。ずっと眠ったまま」
「お怪我をなされた、ということか?」
「いえ。……力を使いすぎたようです」
 エリスが眉根を寄せる。吊り目の彼女がそういう表情をすると、思った以上険しい様子に見える。
 何をどうすれば、しばらく眠りにつかねばならないほどの力を使うというのだろうか? そんな風に彼女が考えているのは、言葉を聞かなくても雰囲気から察せられた。
 しかし、テスィカは理由を口にはしない。できないで、いる。
 “不和の者”と戦った――そんなことを言ったとしても、彼女は信じてくれないに違いないから。
 あの異形の化け物は、対峙してなければその存在を認めることなどできるはずがない。伝承の中でしか出て来ないものなのだ。
 だからといって、2人で『魔道』の宙城から出てくるために力を使い果たした、というのも言いたくはなかった。
 詳しい事情を知らないテスィカは、ラグレクトが自分の力を全て出し切って宙城から逃げたという話を話してはいけないような気がした。それはたぶん、ラグレクトが『魔道』を出た経緯《いきさつ》にも絡んでくるに違いなく……
“俺が一族を出たのは、こんな一族に嫌気が差したからだよ。だから――捨ててやったのさ”
……彼の過去の傷口に大きく触れてしまうことだから。
 これから、ラグレクトの眠りを解く方法の糸口を聞こうと思っている相手に対して、黙ったままなのは失礼だ。そんなことはわかっている。けれども、テスィカは言えなかった。
 しばし、沈黙が続いた。
 エリスの、覗き込むように見つめてくる茶色い瞳の詰問を、テスィカはただひたすら、受け流した。
 そうして、痺《しび》れを切らしたのはエリスだった。
「……テスィカ殿、残念ながら、私は『魔道』についての知識など、ない」
 エリスは指を組んだまま、それを唇へ押し当てて言う。
 口調は先ほどと変わらないが、目線は射るように鋭い。テスィカを非難するように。
「状況もわからぬままでは、何をどう答えてよいのかわからない。第一、我が一族は『剣技』。剣と己の肉体のみで戦う一族……魔道はあなたの方がお詳しいに違いないでしょう」
「しかし」
「残念ながら」
 彼女はテスィカよりも先回りした。
「私は、『魔道』の王子がなぜ眠ったままなのか、今の話では何もわからない」
「『剣技』一の知識人といわれるあなた様が、ですか?」
 そう問うたのはアーティクルだ。
 エリスは銀の髪の最高神官をちらと見つめ、言われた言葉を肯定する。
「私の知識は力の原理に関してまでは及んでおりません。大変申し訳ございせんが、お役には立てないようです」
 言い終わったエリスは視線をテスィカに移す。
 そのとおりだ、と重いため息をテスィカがつくかつかないか、そのタイミングでエリスは弾かれたように顔を上げた。
 瞬きを数回繰り返しながら。
「エリス様?」
 テスィカが驚いて名を呼ぶ。
 エリスは、テスィカをじいっと見つめてから、おもむろに口を開いた。
「――『魔道』に行けば簡単な話ではございませんか?」
 簡単な方法、と言われてテスィカはアーティクルへ向く。
 アーティクルも、不思議そうな表情を見せていた。
「その方が断然早い」
「しかし……」
「ラグレクト殿が一族を出た経緯がわからないため、『魔道』を訪れるのを避けてらっしゃるのでしょう?」
 わかっているならばなぜ、という表情をすると、エリスが机上で組んだ指を解き、右手を己の胸に当てた。
「私たちが『魔道』へ行き、解決策を尋ねればよろしいんじゃなくて?」
 一瞬、意味がわからずテスィカは呆ける。
 エリスが、テスィカに向かって微笑んだ。
「私とあなただけが『魔道』を訪れるのです」
「私と……エリス様が……」
「『魔道』の第1王子は連れて行かずに。“そう”なってしまった詳しい経緯は話さずに、どうすれば目を覚ますか、それだけを聞けばよろしいでしょう?」
「そんな……」
 テスィカはエリスの考えたことが信じられず、二の句が告げない。
 ラグレクトが力を使い切った理由の1つに、テスィカと共に『魔道』の宙城から逃げるようにして出てきたことがあり、それを知らないからこそテスィカを連れて行くなどと言えるのだろう。それにしても、追われる『賢者』を他族に連れて行くなどとは……。
「テスィカさん、私は『剣技』の王女です。他族の王族に対して失礼な扱いなど『魔道』にはできますまい。まして、最高神官であるアーティクル様のお口添えで宙城を訪れたとあっては」
 エリスの茶色い双眸がアーティクルに向けられる。
 無言で話を聞いていたアーティクルは、少しの間、考えている様子だった。
 基本的に、宙城と聖都、もしくは宙城同士を行き来する転移門《テレポートゲート》を使うには、それぞれの一族の象徴たるものが必要とされている。エリスは、今、ラグレクトと共に聖都軍に渡ってしまっている『剣技』の剣を持っていないため、『剣技』の宙城から『魔道』の宙城へ渡ることはできないはずだ。
 しかし、各都市から宙城への転移は、相手へのその旨を告知して、宙城の転移門を受け入れる体制が整えば転移できることになっている。
 アーティクルが『魔道』へ転移許可を願い出て、『魔道』がそれを承諾すればいいだけの話なのだ。
 もちろん、『魔道』は拒否しないだろう。
 最高神官たっての願いといえば。
「……あの一族は、非常に気位が高いのです」
 アーティクルは言葉を選びながら言う。
「エリス様やテスィカさんが『魔道』を訪れて、不快な思いをなさるかもしれない……たとえ私の名を出したとしても。特にテスィカさん」
「はい」
「あなたは『賢者』の民。――厄介事を嫌う一族が『魔道』です、あなたを聖都軍に差し出したりはしないでしょうが……どんなひどいことを言われるかわかったものではありません」
 テスィカは口を固く結ぶ。
 アーティクルの言っていることは何となくわかった。
 『魔道』の宙城を訪れたときの雰囲気……ラグレクトの一族への嫌悪ぶりから察しがつく。
 なるべくなら訪れない方がいいに違いない。けれども。
「それでも、あなたは『魔道』へ参りますか?」
 問われれば、答えは1つ。
「アーティクル様、それでも結構です。今は、ラグレクトの目を覚まさせる方が先ですから」
 意思は決まっていた。
 ラグレクトの弟、第2王子オルドレットは、テスィカがラグレクトを利用するために連れ去ったと思っているに違いない。
 『魔道』へ赴くのは、まさに火中に飛び込むようなものだ。わかっているが、だからといって引くわけにはいかなかった。
 眠ってしまった王子の目を覚ますことが先決だ。
「わかりました。――エリス様、それでよろしいのですか?」
 アーティクルは今度はエリスに尋ねた。慎重に。
「今、『剣技』がどのような状況になっているのかは、あなた様が1番よくご存知のはずです。そのような状況下で、他族に、滅びた『賢者』の民を連れて訪れる――まかり間違えば、それは『剣技』をさらなる混乱に陥れますが」
「承知の上。私はただ……」
 エリスは、笑みを浮かべる。
 どことなく妖艶な、どことなく勝気な、笑みを。
「今、採れる最善の策を選ぼうとしているだけです」
「わかりました。では、『魔道』へ、私の遣いが転移する旨をお伝えします。お2人とも、それでよろしいのですね?」
「ありがとうございます」
 『魔道』への再訪。不安がテスィカの胸をよぎる。
 ただ、それにも増して、希望が彼女の心に湧き上がるのだ。
(ラグレクト……もうすぐ、だから)
 なぜ、そんなにも彼の目覚めを切望するのか、わからない。わからないが、理由などどうでもよかった。
 『魔道』の王子の瞼が開き、あの澄んだ双眸が自分を見つめる、それをまた見たい――自分がそう思っているのがわかるだけで、十分だった。



 転移門《テレポートゲート》には耐久度がある。
 1日に使える回数もさることながら、一定の期間に使える回数も限られている。都市によって転移門の耐久度は多少違いがあるものの、それはあくまで「多少」という範囲の話。
 これは、聖都、3族宙城、大都市の間で、転移門を使って大人数の移動――つまり、軍隊の移動などが成されないようにしているである。
 エリスを『剣技』から受け入れた同じ日に、そのエリスとテスィカの2人を『魔道』宙城へ送り出す。急ぎであるため仕方ないが、本来であれば、もう1日待ってもらいたかったとアーティクルは2人に言った。
「フライの転移門は他都市と違って頑丈にはできてますが、多用はできないことになっています」
 転移門の中央、発動場所に佇む王女たちは黙って聞き入る。
「なぜなら、ここが神殿都市だからです。緊急時、聖都へすぐに行き来できるよう、転移門には発動限界が定められているのです。ですから、もしものときは、緊急転移してきてください」
 緊急転移とは、本来なら転移を先に知らせねばならぬところを、前触れもなく転移することである。
 受け入れ側の転移門に通常以上の負荷を与えるため、緊急時以外、行ってはならぬとされている。この緊急転移が頻繁に行われないのは、転移門を壊さぬように皆が気を使っているからなのだが、もちろんそれだけが理由ではない。
 緊急転移を行った際、転移に指定した先の転移門が不安定な状況にでもあれば、どこの転移門に放り出されるかわかったものではないからだ。過去には、どこの転移門からも出てこなかった、つまり、行方不明になった者もいる。
 ただし、今回はそれをどうこう言っている場合ではないという意をアーティクルは言外に滲ませた。テスィカが万一、身の危険を感じたならば、迷わず緊急転移をしなさいと彼女は命令に近い口調で言い放った。
「あなたは最後の『賢者』なのですから」
「……わかりました」
「エリス様、後はよろしくお願いします」
「はい」
 エリスはしっかりと頷き、傍らで緊張しているテスィカを見つめた。
 転移門を使うのが初めてかどうかはわからないが、目に見えるほど顔は強張っている。エリスが話し掛けたとして、答える余裕はおそらくないだろう。
(ごめんなさいね)
 エリスはそっと、胸の中で呟いた。
(私には……『剣技』には、『魔道』の王子が必要なの)
 どうしても。
 捕らえられたジェフェライトの代わりになるのは、『魔道』の第2王子しかいないのだから。
(『魔道』よ、あなたたちには希望の星が2つある)
 第1王子と第2王子。2人の後継者がいる。
 けれども、『剣技』には1人しかいない。ジェフェライト・ジャスティをおいて、他にはいないのだ。
(『魔道』の星は、1つ摘み取っても、1つ残るわ)
 エリスは俯き、暗く笑った。
 ちょうどそのとき、転移門が発動しはじめ、彼女の体は白光に包まれ始めた。肩布がふわりと宙に舞う。それを受けて、彼女の長い髪も宙へ向かってゆっくりと持ち上げられた。
 意識が溶けていく感覚。
 得たいのしれない何かに沈んでいく心地よい感覚の中で、彼女は目をつぶる。
 次にこの門を潜るときは、魔道の第2王子と共に。
 そう心に決めながら。


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