Deep Desire

【第3章】 迷走する『剣技』

<Vol.4 相違>

 エリスと向き合う形で椅子に腰掛けたアーティクルの隣に、テスィカは座った。
 転移門《テレポートゲート》の隣に作られた部屋は、あまり広く作られてはいなかった。テーブルを挟んで座っているのだが、テスィカとエリスの距離はあまりない。手を伸ばせば容易に触れられる、そんな距離だ。
 卓上で肘をつき、細い指を組み合わせたエリス。その手首に細く長い髪がかかっている。
 その色は、茶色。『剣技』を表す、茶色。
 誘われるようにエリスの瞳を間近で見ると、透き通るようにきれいな茶色をしていた。
 彼女の少し釣り上がった目尻と、その目尻にあるホクロから、視線はどうしてもそこに釘付けになってしまう。そうやって見れば見るほど、テスィカは同じ色の瞳をもった『剣技』の王子、ジェフェライトを思い出してしまうのだった。
(この方を、『剣技』の王女とアーティクル様はおっしゃっていた)
 テスィカは、先ほどまでのやりとりを思い出す。
 エリスは『剣技』の王女だそうだ。しかし、『剣技』に王位継承者は1人しかいないはず……エリスは王位継承権を持っていない。
 ジェフェライトとは異母兄弟か、はたまた異父兄弟なのだろうか? だから王女であるにも関わらず、継承者ではない。そういうことなのだろうか?
 1人で考えてこんでいたテスィカの沈黙は、エリスが言葉を発することによって破られた。
「アーティクル様、どういうことかご説明願えますか?」
 穏やかな物言いなのに、微かな怒気が感じられる。テスィカは、唇を真一文字に結んだ。
 エリスの視線はアーティクルに注がれているが、その言葉は自分にも向けられているのだとテスィカは察した。
 察してしまった。
 なぜ、滅びた『賢者』の、追われる身であるお前がここにいるのか説明しろ――そう言われているのだ、と。
「当然ですわ。けれど、私があなたにご説明するためには、どうしてもあなたにお聞きしなければならないことがあるのだけれど……エリス様、答えてくださる?」
「問いによってはお答えいたします」
 強かに言われ、アーティクルが苦笑をもらした。
「では、エリス様。なぜ、私の来訪を拒否したのですか?」
 エリスは、組んでいた指を解き、右の手のひらをアーティクルに向けた。
「最高神官であるアーティクル様にご足労願うなど、恐れ多いことでございましたので。数日後には我が『剣技』の宙城がフライの上空を通過いたします、こちらから足を運んだ方が余計な手間はかけずに済むと思いましたが……」
 淀みなく流れる言葉を耳にしながら、テスィカはエリスの手のひらを不躾にならないように横目で見つめていた。
 よく見れば、手のひらには幾つもの傷とタコがある。細くて白くてきれいな指だと思っていたが……節々は太く、それは剣を持ちなれた者の手であった。
 引き込まれるようにして手のひらから腕へと移り、そして上半身を眺める。
 長い衣に覆われてはっきりとはわからないが、それでも、均整のとれた身体――よく筋肉がついているようだ。自分よりも背が低く、華奢なイメージを持っていた彼女の“表には見えない”部分がテスィカに語りかけてくるようだった。
 間違いなく、自分は『剣技』の王女なのだ、と。
 剣に生きる一族の女なのだ、と。
 エリスは、その手で上品に耳元の髪をかきあげつつ、アーティクルに尋ねていた。
「何か問題でもございましたでしょうか?」
「いえ。……では、エリス様。宙城通過の挨拶に、なぜ、族長でもなく、また、次期族長でもないあなた様がいらっしゃいましたか?」
 アーティクルのこの質問にテスィカは驚いて思わずアーティクルに目を移す。
 言い方は穏やかだが、内容は、「なぜ、お前が来たのか」ということを意味する。仮にも一族の王女に向かって言うには礼儀を失しており、エリスも静かに体を強張らせる。
「私では役不足である、と?」
 エリスの声は先ほどよりも硬くなっていた。
 3族は“聖女”の配下だが、最高神官の配下ではない。3族族長と最高神官は同列にあるが、だからといって、3族族長の下に名を連ねる者たちが最高神官に傅《かしず》かねばならないというわけではないのだ。
 アーティクルの言い様は、自族に誇りを持つ3族の者なら誰でも引っかかるものだった。だから、テスィカは内心、ハラハラして仕方がない。
 ところが、そんなテスィカとは裏腹に、アーティクルは引かなかった。
 銀の髪を緩く編んだこの女性は、柔らかい雰囲気の中にもしなやかな強さを垣間見せるように、じいっとエリスの目を見据えていた。
「あなたが役不足であると申し上げているわけではございません。なぜ、あなたがいらっしゃったのか、と問うているのです」
 先ほどよりも若干柔らかくではあるが、同じ問いを繰り返す。
「アーティクル様は、私をおからかいになるおつもりで……」
「隠し立てはおやめなさい。――ジェフェライト殿のことは存じ上げております」
 エリスの言葉を遮ったアーティクルの表情は変わらなかったが、その一言は空気を変えた。
 空気だけではない。
 エリスの表情さえも一変させたのだ。
「ルキス将軍にとらわれたのでしょう? ジェフェライト殿は」
 目を大きく見張り、信じられないといった様子でエリスはアーティクルを見つめている。
 その気持ちはテスィカも同じだ。
 どうして、アーティクルがそれを知っているのだ? 自分は、ジェフェライトがルキスに連れて行かれたことなど一言も告げていない。なのに――。
 聞いたことはないが、神官は、心を読める特殊な魔法でも使うのだろうか?
「今、『剣技』はジェフェライト殿のことで上へ下への大騒ぎなのでしょう? ジェフェライト殿がルキス将軍の手に落ちたこと、外に漏れないよう、私の来訪を拒否したのでしょう? そして、対応に忙しいあなたのお父上の代わりに、挨拶に来た」
「どうして、ご存知で……」
「私も最高神官なのですよ。宙城で起こっていることはわからなくても、聖都で起こっていることはわかります」
 アーティクルは、緊張を解くためなのか、それとも無意識にか、苦笑する。
「とは言いましても、たかだか一介の将軍に指図できない、力のない最高神官ではありますが」
 ほんの少し、自嘲を挟んだ言葉を織り交ぜながら。
「そうそう、エリス様、ご安心なさってください。こちらにいらっしゃるテスィカさんも、ジェフェライト殿のことはご存知です」
 アーティクルが言い終わったのと同時に、エリスがテスィカの方へ向いた。
 茶色い双眸が射抜くようにテスィカを見つめる。
「どういうことですか?」
「私は、港湾都市レーレでジェフェライト殿にお会いしました。共に逃げおおせるつもりでしたが……私だけが逃げのびてしまいました。……すみません」
 別に謝ることでもないのだが、なぜか、言葉の最後に謝辞がつく。
 自分だけが逃げおおせた――それが心に痛い。
(私はまた、1人で逃げてしまった)
 助けられたのに……手を伸ばせば、助けることができたかもしれないのに……また、自分だけが助かってしまった。
 心が、痛い。
「……では、我が一族に今、何が起こっているのか、あなたもご存知なのですね」
 声のトーンを落としたエリスに、テスィカは失いかけた自分を取り戻し、首肯した。
 それが合図だったのか、目に見えてエリスは緊張を解き、表情は落胆したものに変わってしまった。
「今の『剣技』は大きく揺れています。唯一の王位継承者であるジェフェライト――弟はとらわれ、その王位継承権の証であり、宙城を動かす鍵となる『剣技』の剣をも奪われたのですから……」
「……ルキスは何と?」
 口を開いたテスィカに答えたのは、エリスではなく傍らのアーティクル。
「聖都軍に麾下《き か)》収まることを要求しているようです。そうしなければ、ジェフェライト殿を殺す、と」
「宙城を落とす、とも」
 飼い犬になれ、さもなくば滅ぼす――ルキスは、そう言っているのだ。
 テスィカの中にルキスに対する憎しみが再燃する。
 3族は、互いの一族に対してある程度の敬意は払うが、決して膝を折ることはしない。それは、いい意味で自尊心を持っているからなのだ、とテスィカは母に聞いたことがある。
 自族に対する矜持《きょうじ》……それが一族の結束を高めると共に、“聖女”の守護を「自分たちにしかできない」と思わせる。
 跪《ひざまず》け、とは、その矜持を捨てろ、ということだ。しかも、同位にある3族のいずれにでもなく、聖都軍に。400年以上培ってきたものを捨てろ、というのだ。
 『賢者』の王女として、ルキスの要求は憎々しい。
「弟と『剣技』の剣、双方を取り戻すためにどう抵抗するか、その論議で『剣技』は揺れております」
 相手が聖都軍ともなると、下手に手出しはできない。
 “聖女”に刃を向けたと取られては、戦う大義名分を聖都軍に与えてしまうから。
「我が一族は命よりも名を惜しむ……しかし、『賢者』の末路は記憶の中で未だ風化しておりません」
 エリスがちらりとテスィカを見る。
 『賢者』の滅亡について語られるのは、正直言って辛い。しかし、事実なのだから仕方がない。
 一族は滅びた。400年以上“聖女”に仕え、誰もが敬う黒髪黒目の一族は、一夜にして消えてしまった。
 跡形もなく、生きていたという軌跡よりも、死滅したという痕跡を強く強く印象付けて。
「議論は、主戦派と反戦派の主張が平行線をたどるだけ……時間だけが経過している状況です。弟の、ジェフェライトの身が危険に晒されているというのに! なのに! ……時間だけが、過ぎていくのです」
 可憐な声は決して大声で主張はしなかった。けれども、小さいからこそ、悔しい胸のうちを語る。
 自分たちが足踏みしていることへの、誰に当たるわけにもいかない胸のうちを。
「ジェフェライトにもしものことがあったら……私は、どうしていいのかわからない……私はもう、弟を失いたくない……」
 搾り出すように発せられた言葉は、それだけでジェフェライトへの慈愛に満ちていた。
 この人は弟を本当に大切に思っているのだ、とテスィカでもわかる。
 彼女とジェフェライトの弟、第2王子がどうして命を落としたのか、テスィカはその原因を知らない。しかし、第2王子の死によって、もうこんなことは御免だ、とエリスが感じていることは見て取れる。エリスだけではなく、『剣技』の族長を始めとした、ジェフェライトを愛する者は皆、同じように思っているに違いない。
 テスィカであっても、自分に置き換えてみれば、これほど辛いことはないのである。
 母を、妹姫を、もう1度失う危機に瀕したら、自分が直接どうにもできない分、辛くて辛くて仕方がない。
「あの子が自分から命を絶たない……それだけがせめてもの救いです」
 唯一の継承者だからこそ、血を絶てない。命より名を惜しむ一族の王子なのに、自害さえできない。……救いを感じ、悔しさを感じる。そんなエリスの口調。
 そこでテスィカは思い出した。自分が疑問を持っていたことに。
「あの、エリス……様……お聞きしてもよろしいでしょうか?」
 エリスは「え?」と声をあげて、テスィカを見る。
「あなた様はジェフェライト殿のお姉さまでございますよね? ――『剣技』の王位継承者はただ1人、と聞きましたが」
 慎重に話し掛けると、エリスは首を傾げた。
 それがどうしたのだ、とでも言いたそうな表情で。
「そのとおりですが」
「不躾かもしれませんが……お教えいただけますでしょうか。なぜ、ジェフェライト殿のお姉さまでいらっしゃるエリス様に、王位継承権がないのですか?」
 他族の事情に首を突っ込むことは普通に考えれば失礼極まりない話だ。ましてや、王族の事情を問うている。エリスが怒っても仕方がない。だが、疑問が、テスィカに語りかけろと促してくる。
 対して、エリスは顔色を変えるわけでもなく、あっさりと返答してきた。
「私が、女だから、ですわ」
 あっさりと。
「女だから?」
「そう。女だから。『剣技』では、族長は常に男と決まっています」
「……どうして!」
 族長は常に男――『賢者』ではおおよそ考えられないことである。
 『賢者』では、男女関係なく王の子供が次代の指導者となることが決まっている。『賢者』において、賢者の力を1番有しているのは王族と呼ばれる族長の直系であり、したがって、王の子供が一族を継ぐのは何らおかしなことではない。
 テスィカが『賢者』の第1位王位継承者だったのも、彼女が王女であったから、つまり、族長の子であったから。男に生まれなかったから族長を継承できないなど、そんなおかしな話、『賢者』ではありえない。
 男ではないから族長を継承できない――そう言ってしまったら、まるで女が能力的に劣ると言っているようなものなのだ。
 ありえない。ありえるわけがない。
 驚きを顔いっぱいに浮かべていたテスィカの傍らで、しばらく黙っていたアーティクルが口を開いた。
「……テスィカさん、エリス様。お2人とも、よくお聞きになって。『賢者』と『剣技』は、同じ3族ではありますが、生活も習慣も異なっているのです。――テスィカさん。なぜ、『賢者』では王の子供男女の別なく王位を継承することができるのですか?」
 アーティクルの方へ向くと、銀の双眸が真摯に自分を見つめてきている。
 なぜ、と問われたことはない、当たり前のことについて。
 どう答えればいいのか迷いながら、出てきたのは単純な答えだった。
「……王の子供が1番強いからです」
「では、なぜ、王の子供が1番強いのですか?」
 なぜだろう? 頭の中を、疑問符が飛び交う。
「なぜって……王の血を1番濃く受け継いでいるから」
「王の血を濃く受け継ぐ者が王位を継ぐのはなぜ?」
「それは……」
 そんなこと、今までテスィカは考えなかった。考える必要などなかった。
 逡巡しているテスィカを数秒眺めてから、アーティクルはエリスに向き直る。それが突然だったわけではないが、エリスはびっくりしたのか、反射的に少し身を引いた。
「エリス様。『剣技』で王の子が王位を継ぐのはなぜですか?」
 同じ質問だったためか、あるいは回答を用意していたからか。エリスはさらりと述べた。
「一族の中で1番強いからです」
「ではなぜ、一族で1番強いはずの王の子であるのに女だというだけで王位を継げないのですか?」
「それは、同じ“王の子”であっても女の方が男に劣るからです」
「女の方が劣るというのはなぜわかるのですか?」
「それは……決まっていることです……」
「そう。では、誰が決めたの?」
「誰が? ……」
 エリスもテスィカと同じく、押し黙ってしまった。
 2人を再び交互に見つめたアーティクルは、どちらに目を向けるともなく言い始めた。
「そもそも3族の王とは、同じ一族の中で1番力の強い者が地位につくことになっています。それは、3族の役割が、“聖女”様を守ることであり、ラリフの民を守ることだからです。だから、1番強い者が王となり、王のみが“聖女”様のいらっしゃる聖都への入城を許可されています」
 アーティクルは、音もなく立ち上がる。
「一族で1番強いのは、王。その次に強いのは、血を濃く次ぐ者……王が倒れたとき、次に“聖女”を守れる存在であるため、王の子が王位を継ぐのです。そうですよね、テスィカさん」
「はい」
「けれども、それは、『賢者』と『魔道』の理屈です。『剣技』では違う。王の血をどんなに濃く引いていても、女であれば王位は継げない。それは、女が男に対して劣るから。なぜか。――『賢者』や『魔道』が単純に能力の遺伝が力を左右するのに対して、『剣技』では、生まれ持った能力よりも幼少の頃の鍛錬が力を左右するからです」
 初めて聞く話に、テスィカは真剣に耳を傾けた。
「エリス様、なぜ、女性が男性に劣るのか、おわかりですか?」
「……お恥ずかしながら、まだわかりません」
「『剣技』における鍛錬とは、それはそれは厳しいものだからです。幼少と言っても、13まで鍛錬は続きます。男と女では、基本的な体格差というのはどうしても補えない、特に、幼少から鍛えた男子と女子では、体力1つとっても比べ物になりません」
 アーティクルは、1つ咳払いをした。
 そして、「つまり……」とまとめる。
「王は“聖女”様を守るためにもっとも力のある者がなります。『賢者』の場合は、先天的に持って生まれた能力が高い者、純粋に王の子供が王位継承者なるわけです。しかし、『剣技』の場合は、先天的な要素もありますが、それに加えて、後天的な要素、訓練によって得た能力も加味し、総合的に能力が高い者がなります。どんなに強い潜在能力があっても、後天的に得た力には適いません、だから、鍛えて、より強くなる男の子供が継承者となるわけです」
 長く話したことに疲れた様子もなく、アーティクルは2人を見つめた。
「あなたたちはそれぞれ、自分たちの城に閉じこもって生きてきました。それは悪いことではありません。……ですが、何事も全て、自分たちの枠に当てはめて判断しないようにしてください」
 今まで知らなかったことを納得のいくように説明され、アーティクル様は偉大だ、とテスィカは思った。
 すると、アーティクルは、そんなテスィカに優しく微笑みかけてくる。
「私は、最高神官ですもの。そのくらい知っていて当たり前です」
 やはりアーティクルは、人の心を読む特別な魔法を持っているのかもしれない――テスィカは再び、本気で、そう思ったのである。


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