Deep Desire

【第3章】 迷走する『剣技』

<Vol.2 決意>

 窓に背中から寄りかかるようにして外を見ていたジェフェライトは、我に返った。
 今、誰かに名を呼ばれた?――そんな気がしたからだ。
 もちろん、それは幻聴である。ジェフェライトのいる部屋には彼以外誰もいない。ファラリスの部屋からここに移されて以来、彼はずっと1人である。食事を差し入れにくる数人の聖都兵以外の顔を見ていなかった。誰かに名を呼ばれることなど、あるわけない。
 ルキスの監禁は巧妙だ、とジェフェライトは痛感していた。
 聖都にある部屋は全て、取っ手がなく、本来取っ手のある部分に薄い石板のようなものがついていた。部屋に入ることのできる人間が手をかざすと開く仕組みになっている、とルキスはジェフェライトをこの部屋に連れてくる途中で言っていた。「いくらあなたが努力しても、部屋から出ることはできないのですよ」と暗に伝えてきたのである。
 ルキスの説明から推測するに、扉の開閉は魔道の処置が施されているらしい。そこまではわかる。しかし、魔道に関して無知といっていいほどの微々たる知識しかないジェフェライトには、厳密にはどうやれば開くのか、誰が開けることができるのか、それを探る術さえ考えられなかった。
 扉を自分で開ける事ができないのならば、開けられる人間を何とか探すべきだ。しかし、彼の元に食事を持ってくるのは女性の聖都兵、ティヴィアの配下の者たちで、よく統制がきいているのか、言葉を交わすこともなければ目線を交差させることもない。
 徹底されている。悔しいが、付け入る隙を見つけるのは難しいと認めざるをえなかった。
(こんなところで手をこまねいているわけにはいかないのに)
 腕組みをしながら青水晶の天井を見つめて、ため息と共にジェフェライトは自分に言う。
 肩の傷は見た目よりも浅かったようで、みるみるうちに快方へ向かっている。だからなのか、『剣技』のことを考えると、余計に気持ちばかりが焦っていく。
 『剣技』の剣――宙城を操る剣がルキスの手元にある限り、『剣技』は真っ向から要求を突っぱねるわけにはいかないだろう。ルキスが『剣技』の剣の操り方を知らなければいいのだが、“聖女”様は知っているかもしれない。その可能性がある限り、「こちらの言葉に従わなければ宙城を落とす」とルキスに言われたとき、『剣技』は歯向かうことなどできない。
 自分以外の誰かに王位継承権があれば、ジェフェライトは迷わず自害しただろう。
 そうすれば、少なくとも『剣技』一族は、『剣技』の剣を取り戻す方法だけに集中できる。
 弟が亡くなって以来、父たちが自分を溺愛していることを考えれば、自決という手段が誰かを傷つけることなど彼は百も承知であった。
 だが、ジェフェライトにとって『剣技』の一族は、本当に大事な家族である。自分のことをよく思わない者でさえ、彼にとっては家族なのだ。『剣技』の民は誰でも、彼に優しく接してくれた。彼のことを1番に考えてくれた。あの城が自分の家であり、あの城の中に住む者すべてが自分の家族であって、王子である自分――やがて『剣技』の王となる自分が守るべきものだ。
 彼らを苦しめる前に、その原因となるであろう自分を排除する。これは、王子としての守り方の一つである。
 仮に一族が、ジェフェライトの命を大切に思い、ルキスの命に従ったとしても、ジェフェライトが殺されない可能性はない。
 もしもジェフェライトがルキスであるならば、『剣技』一族を自由に操り、用が済んだところでジェフェライトを殺す。本物をいつまでも生かしておくような危険な真似はしたくない、要らなくなったら即座に殺して、背格好の似ている者をそれとらしく本人として見せておけばいいだけの話だ。
 そんな風に利用されるくらいなら――自分から死んだ方が、『剣技』にとっては都合がいい。
 ……『剣技』の剣さえルキスの手に渡っていなければ、の話であるが。
(あれを取り戻さなくては)
 自分がここで、『剣技』の剣を取り戻さずに死ねば、『剣技』一族に剣が戻る日は遠のいてしまう。それを彼は危惧していた。だから、まだ、生きている。
 “聖都”と宙城への転移門《テレポートゲート》は『剣技』の剣なくしては発動しない。取り戻したらすぐに『剣技』の宙城へ飛ぶ。それができる前まではどうあっても死ねない。剣を取られた責任を取るまで、死ねない。
 自分が死んでも、王になる人間はいる。誰も彼もが慣例という名の見えない鎖に縛られていて、王となる資質があることを認めようとしないだけで……本当は、自分よりも王となる素質を持つ人がいる。
 だから、自分の王子としての重要な仕事は、王となるために生き残ることではなく、あの剣をこの手に取り戻すことだ。
(ジェフェライト……お前は『剣技』の男だ。自分で決めたことは必ずやり通せよ)
 自己暗示にかけるように微かに唇を動かして、彼は呟いた。
 静かな決意だった。
 心に熱い想いを抱えながら彼が窓から離れようとすると、入り口の扉が静かに開いた。まるで、彼の心が決まるのを待っていたかのように。
 一瞬身を強張《こわば》らせたジェフェライトだったが、すぐに緊張を解いた。
 食事、だ。
 中に入ってきたのは、長身の女性兵だった。
 金の髪に白い肌――聖都にいる人間は必ずその2つの条件を満たしている。言葉を交わさないためか、毎日訪れる食事係の女性兵がジェフェライトには同じような顔に見えて仕方がない。
 しかし、その女性兵は、いつも来る女性兵たちとは少し違っていた。
 兵士に長身は珍しくない。長髪も珍しくない。その長い髪が顔を隠しがちなので、年齢まではわからないが……他の兵士同様、自分と同じより少し上だろうか。女性の年齢には聡くないが、少なくともまだ20代のような気がした。
 何が珍しいのだろうかと自身を訝っていたジェフェライトは、目があったとき、それがわかった。
 目、だった。
 赤い、宝玉のように真っ赤な切れ長の瞳が、聖都兵にしては珍しかった。
「ジェフェライト様」
 抑揚のない声が耳に届く。
 ジェフェライトはさらに驚いた。
 ……聖都兵が話かけてきた!?
「私はあなた様の味方にございます。ご警戒くださいませんよう」
 女性兵は、食事を窓の近くにある卓の上に置きながら話し掛けてくる。ジェフェライトの距離はさほど離れていないが、それでもやっと聞き取れるくらいの小声だ。
「機会を見つけ次第、あなた様をここからお出し致します。いましばらく、この不遇な環境をご甘受くださいませ」
「君は、誰だ?」
 罠かもしれない……怪しみながら彼は声を落として聞き返す。
 ルキスは将軍として優秀だと聞く。配下に造反者がいるなど、信じられない。
 ジェフェライトは部屋の入り口へ目を向ける。開け放たれたままの扉の向こう、廊下に佇む聖都兵は彼らを窺い知る様子もなく直立不動の姿勢でいた。
 ちらりとジェフェライトの視線を追ってから、女性兵が再び口を開く。
「お味方は私とほんの数人にございます。私たちは、ルキス将軍の独裁に疑問を持つ者……」
「私が聞いているのは君の名前……」
「しっ、お静かに」
 鋭い叱責にジェフェライトは身を引く。
「ジェフェライト様、いつものように振舞ってくださいませ。ここで怪しまれたら元も子もございません」
 いつもどおり……彼は先ほどまでと同じように窓に寄りかかった。
 そして、腕組みをする。
 女性兵は青水晶でできた卓の上に、これまた水晶の器に盛った数品の料理をゆっくりと置いていく。動作が緩慢なのは、時間を稼いでのことなのだろう。
 やがて、彼女は長い金髪を垂らしたまま、ジェフェライトに表情を垣間見せずに話しだした。
「――『剣技』の剣の場所はさすがにわかりませんので、『剣技』の宙城への転移はご無理でございます。しかし、今、『剣技』の宙城は神殿都市フライの近くに在るとのことです」
「フライ……」
 雪に覆われた神殿と、そこに住む、実母のような慈愛に満ちた最高神官アーティクルを彼はすぐに思い浮かべた。
「フライには私の友人もおります。機会が来た暁には転移門を開くよう指示しておりますので……」
 早口に女性兵が告げ、盆を持つと踵を返す。
 ジェフェライトは慌てた。
「ちょっと……」
 真実か罠か、その真偽はさておいて、提案はありがたい。ありがたいが……剣を置いて逃げるわけにはいかないのだと、彼は主張しようとする。
 しかし、彼が言葉にするよりも早く、女性兵はそそくさと扉の方へ歩いていった。
 どうしたものかと彼女の背を目で追っていくと、扉からやってくる人影を視認した。
 金の髪を高く結い上げ、凛々しい足取りでやってきたのは、ルキスの片腕、ティヴィアである。
 ティヴィアは剣を腰から下げていた。聖都内で使うことなどないというのに。
 ただ、ティヴィアが剣を帯びた姿が違和感のないものであることはジェフェライトにも否めなかった。
 ティヴィアは一般の兵に比べれば実戦経験はあるものの、所詮は聖都兵、他国に渡れば新兵と同じようなものだ。けれども彼女は「戦乙女」と呼ばれている。
 創生神話に出てくる「戦乙女」は、神が遣わした美貌の剣士だ。神を愛する敬虔な美女は、守るべき者には慈母のごとく相対し、敵対する者には容赦なく裁きの力を振るうとされている。
 ティヴィアは凛々しく美しい。そして彼女が仕える金の将軍は、神のごとき力を持って今やラリフに君臨している。
 ゆえに彼女は、「戦乙女」と呼ばれるに相応しい。
 その「戦乙女」が、ジェフェライトの前にやってきた。
「我が部下を口説き落とそうとしても無駄だということがまだわからないかな、『剣技』の王子」
 口の端が微かに上がる。
 侮蔑の笑みだと直感的に感じ取ったジェフェライトは、しかしそれを受け流した。
 女性兵との会話を聞いていなかった、それに安心したのである。
「あいにくと物覚えが悪いものでね……何の用かな、ティヴィア殿」
 本来ならばジェフェライトはティヴィアに敬称をつける必要などない。
 ラリフ帝国において、軍とは、三族・都市駐留軍・聖都軍と三つの組織を指し示す。聖都軍だけが聖女の直属であるが、軍の最高指揮官は3族の族長にあるとされており、聖都軍も3族の族長のいずれかが命令を発したときはそれに従わなければならない。
 『剣技』の王位継承権を持つジェフェライトは、いわば準最高指揮官ということになり、階級的にいえばティヴィアの上司のルキスよりもさらに上なのである。
 だが、ジェフェライトもティヴィアも、そんな組織構造が今では無意味な物だと知っている。
 聖都軍が『賢者』を滅ぼした日から、聖都軍は力でもって各都市の駐留軍を順々に支配下におさめている。聖都兵は自分たちこそ最強の軍だと信じ、400年以上保たれてきた軍事組織は既に崩壊しているのだ。
「『剣技』の王子は礼儀正しくていらっしゃる。用というのは他でもない――少し、お手合わせ願いたいのだが」
 ティヴィアは噛み砕くように一言ずつはっきりと言う。聞いたジェフェライトは目を丸くした。
 ジェフェライトの驚く意味を知ってか、ティヴィアが低く笑った。
「もちろん、真剣は使わずに、だ。本物の刃物など持たせたら、危なくて仕方がない」
 ティヴィアが揶揄《や ゆ》するようにジェフェライトに言う。
 彼女はどうやら知っているらしかった。
 『剣技』一族の技、剣技とは、相手に確実に致命傷を負わせるものだが、真剣でなければできないということを。
 剣技は、多数を相手にしても切り抜けることができるものだ。そのため、真剣をジェフェライトに持たせようものなら、確実に彼は“聖都”から脱出できる。
 そんな機会を与えてくれるわけがない……驚きが苦笑に変わり、ジェフェライトも軽く笑った。
「あなたと手合わせすればよろしいのかな?」
「それは最後に。まずは、我が軍の兵士と手合わせしていただこう」
 実戦のない“聖都”兵の士気を維持するのは難しい。そのために利用しようというのが見え見えだ。
(それにしても……ルキス将軍の片腕ではなく、その部下と手合わせしろ、とは……)
 随分となめられたものだと、彼は思った。
 確かに、怪我はまだ完治していない。今までどおり自由に動かすことはできそうもない。だが、自分は『剣技』の王子なのだ。それはつまり、王に次ぐ者、王の次に一族の中で強い者を表している。
 それなのに……。
 ジェフェライトは笑いを噛み殺しながら、わざと優しい声で問うた。
「で、いつ行います?」
 これにはティヴィアの方が目を見張った。
 そんなにすんなりと快諾を得るとは思っていなかったようである。
「こちらはお願いしている身、『剣技』の王子が不都合ではないときならいつでも……怪我が完全に治ってからでも一向に差し支えはない」
 監禁されているこの身に「不都合ではないとき」と言うこと自体、愚問だと思いながら、彼は両手を軽く広げた。
「お気遣いいただいて恐縮です。ですが、ほら、もう自由に動かせます。……今すぐお相手いたしましょうか」
「今すぐ、ですか?」
「ええ。ただし、ルキス殿の許可をいただいて欲しいのです」
 彼は背筋を伸ばして、人の良さそうな、と評される笑みをティヴィアに向けて、はっきりと言った。
「兵士に傷を負わせてもいいか、とね」


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