Deep Desire

【第2章】 行く末を握る者たち

<Vol.4 再会>

 見渡す限りの草原に、忘れられたように存在する城。
 白い城壁の向こう側、塔が左右に1つずつある。城壁は、どこの都市のものよりも高さがあるが、塔はその城壁よりもさらに高い。一見して、何かアンバランスな印象を抱かずにはおれなかった。
 いかにも堅固なつくりの門は閉ざされており、外から見る限りでは、城壁と塔以外は見ることができないようになっていた。
「あれが、『魔道』の宙城《ちゅうじょう》……」
 テスィカは地上で逃亡生活を送っている間、頭上を通過する『魔道』の宙城は何度か目にした。だが、目撃した宙城は『魔道』一族の力によって作り上げられた幻影の城であった。だからなのか、眼前の宙城が本物だ、と言われても到底実感が湧いてこない。
 先ほどまで森の中にいたのに、突然空間移動などさせられたのものだから、現実に対応しきれてないというのもある。
「『魔道』の宙城ということは……ここは……」
「『魔道』一族の空間、ってことになるね」
「別空間?」
 首を傾げると、頬を撫でるように風が通り過ぎていく。
 膝丈まである草が一斉に揺れ、まるでテスィカをくすぐっているようだ。
 踊る前髪をそっと抑え、テスィカが天を仰ぎ見ると、視界が雲ひとつない青空で埋め尽くされる。
 別空間――信じがたいほど、リアルな光景。
「テスィカ、別空間って言ってもね、この空はラリフの空と同じなんだよ」
「同じ?」
「そう。高度が違うんだ。『魔道』の一族はね、雲の上、気流の乱れがないところに防御壁《ホールド》を張って宙城を存在させているんだ。あと2本の塔が見えるだろう?」
 ラグレクトが親指で塔を指差す。
「あの2本が防御壁を支えているようなもんなんだ。2本の塔によって、城とこの草原全体がシーツをかぶっているような状態なわけ。で、シーツの中は別空間、ってこと」
 テスィカは納得する。どうりで塔がアンバランスなほど高いわけだ、と。
 『賢者』の宙城は美観を重視したように作られていたが、どうやら『魔道』は機能重視で宙城が造られているようである。
「さて、と。いつまでもここにいると厄介なことになるから、さっさと城の中に転移して、適当に休んだらまた他のところに転移しよう」
「厄介なこと……なんだ、それは」
「いろいろとあるんだよ、ここはね」
 微笑を絶やさずに彼が言った一言は、しかしなぜか、皮肉じみた響きがある。
 自分の一族なのに、他人のことでも語る口調で言ったからか……。
 追求を避けるようにラグレクトはテスィカの手を取る。そして小声で「行くよ」と言う。
 瞬きをする間もなく、テスィカは何か急激な力に吸い込まれる。手首をしっかり掴んだラグレクトの背後が、彼の髪と同じ漆黒に染まった。
 階段から飛び降りたときのような微かな空気の抵抗を感じ、テスィカは足元へ視線を移す。
 何かを考えるよりも早く、身体が動く。
 真っ暗な中に着地をすると、足元から風景が変わっていった。
 黒が、一瞬にして退けられる――!
「はい、到着」
 大地を踏む感触。
 声につられて顔を上げると、もはやそこは草原ではなかった。
 壁には大きな絵画が飾られ、本棚にはいずれも分厚い書籍が並び、大きな机の前には……。
「……兄上?」
 ラグレクトを幼くしたような、黒髪・茶色目の少年が短剣を握り締めて彼らを見ていた。



 オルドレット・ゼクティはそのとき、急な危機感を覚えた。
 手にした筆を置き、机の引出しから短剣を取り出す。いざというときのための、護身用の剣だ。
 剣は彼が柄を握った、たったそれだけで、ぼんやりと光りだす。魔道がかけられているのである。
 強大な魔道、が。
「お前の命を狙う奴が現れたら、遠慮せずにこれで切り裂け」
 かつてこの剣は、オルドレットにそう言って去った兄のものだった。
 『魔道』一族の第1王子たる、兄、ラグレクトの持ち物だった。
 それがオルドレットの手に渡ったのは、他ならぬラグレクトが一族を飛び出すと言ったからである。
「これは、次期族長を守るためにある剣だ。だから、これはお前にやる」
「兄上……」
「これが俺の意思――俺は今日限りで一族から出る」
 盗賊のような黒装束に身を包み、ラグレクトは勝気な笑顔をオルドレットに向けてくる。
 月光に照らされた顔はいたずらっこの子供のようで。でも、目だけは何よりも真摯で。
 決意が空気を振動させて、オルドレットに伝わってきた。
「兄上……受け取れません」
 頭《かぶり》を振って言い返したが、ラグレクトは何も言わなかった。
 静かに机の上に剣を置くと、すっと身体を引く。
「じゃあな」
 オルドレットの言葉など何一つ聞いていなかったのか、それとも、彼が何をどう言おうが最初からそんなことなど関係なかったのか。
 簡単な別れの挨拶を告げ、ラグレクトは壁に溶け込むように姿を消した。
「兄上!」
 追うこともできず、オルドレットは兄を呼んだ。返事はなく、残った剣が月光の下でほのかに光っただけだった。
 あのとき以来、剣が光ったことはない。だが、今、実際に短剣は発光している。
(大きな魔道が空間を割ってやってくる……)
 オルドレットは握った剣に力を込める。
 強大な魔道を込めた短剣に対抗できうるほどの魔道が近くに来ようとしているのだ。もっとも、彼の部屋は何重もの防御壁に包まれているのだ。その部屋へ転移してくるなど、強大な魔道の持ち主でなければ不可能に違いない。……自然と緊張が身体を覆う。
(しっかりしろ、オルドレット)
 自らを叱責し、彼は手の震えを必死になって抑えようと、左手を剣を持った右手に添える。
(しっかりしろ、オルドレット!)
 兄と違って、魔道にも剣術にも明るくない。
 だが、自分の命を守らなくては。
 唯一残った、『魔道』の王子として。――血を、守るために。
 彼の前で、空間は徐々に変貌を遂げていく。
 渦巻状に歪《ゆが》み、何かに引っ張られるように凹《へこ》んだ。転移してくる。
 しっかりと見据えていると、弾けるように、突然眼前に乱入者が現れた。
 切りかかろうとしたのだが、実際には足が震えて動けなかった。
 そして、現れた人物を認識した途端、もっと彼は動けなくなった。
「……兄上?」
 搾り出すような声で、問う。
 混乱した頭で、問う。
「……兄上、なのですか?」
 自分を置き去った者へ。
 信じがたい表情で。
 問う。
「兄上、なのですか!?」
 わかっているのに、確かめずにはいられない。
 求めた人物が本物だということを。
「……そっか、もうこの部屋はお前の部屋なんだよな、オルド」
 彼は息を飲み、剣に込めた力を、いや、体全体から力を抜いた。
 兄だ。紛れもなく、眼前の青年はラグレクト・ゼクティだ。
 彼をオルドと呼ぶ者は、亡き母と兄ラグレクトだけ……。
「兄上、今まで、今までどこに行かれていたのですか!」
 喜びのあまり興奮して涙を浮かべる。
 頭をかくラグレクトは、いなくなったあの日より少し背が伸び、大人びて、日に焼けていた。今まで感じたことのない、どことなく野性味を帯びた雰囲気が、なぜかとても彼らしかった。
 ラグレクトが困ったような顔をしたのだが、オルドレットは気づかない。気づく余裕がなかったのである。
 見とれていたために。
「兄上、このオルドレット、兄上の帰りをずっとお待ちしておりました」
 涙声で言うオルドレットに何も言い返さず、ラグレクトが話しかけたのは別の人間。
「悪い、計算が狂った」
 オルドレットは、このときになってようやくラグレクトが1人ではないことに気づく。
 彼は兄の傍らに佇む少女に目をやった。
 次第に、驚きに支配される。
「兄上……その女性は……」
 聞く必要はない。
 黒い瞳に黒い目の女性は、この世にたった1人のはず。
 4年前、兄が城を出て後に起こったあの事件以来。
「ちょっと迂闊だった……」
 ラグレクトの呟きに、少女が眉根を下げて聞き返した。
「仕方ない?」
「実はね、テスィカ。俺、今、家出中なんだよ」
 絶句している少女に笑んで、それからラグレクトはオルドレットへ向き直った。
「オルド、彼女は俺の想い人、テスィカ。テスィリス姫って言えばわかるか? テスィカ、こいつが俺の弟、オルドレットだ」
 双方へ紹介を済ませると、ラグレクトは昔と同じように、子供っぽい笑顔を向ける。
 オルドレットはテスィカと呼ばれた少女を眺めやった。
 『賢者』の王女……。
 戸惑った瞳にぶつかり、彼はどう反応したらよいのかわからずに少女を見つめる。
 同じように戸惑いを浮かべて。


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