Deep Desire

【第2章】 行く末を握る者たち

<Vol.3 魔道>

 “我ノ前ニ屈セヨ、愚カナル人間!”
 頭に直接響いてくる声は、十分な威圧感を持つ。テスィカは剣を抜き放ち、異形の者へ向かって構えた。
 大きく息を吐き出して、全身の気を切っ先に集中させる。難しいことではない、『賢者』の力を出すことはいつもやっていることだった。けれども、いつもとは違ったことをこれからやろうとしているからか、少しだけ不安が心の底から湧きあがる。
 テスィカは集めた力を攻撃以外に使ったことがなかった。――それを今、防御のために使おうとしている。
(防御……)
 自分には縁のないと思っていた言葉に、彼女は唇を噛む。
 4年間、1人で、たった1人で戦いつづけてきた。がむしゃらに、剣を振るってきた。
 戦いは常に数の勝負であり、時間の勝負でもあった。
 短時間で倒す、この戦い方を貫き通さないと、多人数相手では体力が持たないのである。そのため、悠長に防御などしたことなど未だかつてない。
 自分が怪我を負った場合、それを上回る怪我を相手に負わせる――引かないで、戦ってきた。
 その自分が、防御。……力の使い方は知っているが、やったことがない分、不安は拭えないのは仕方がないこと。
 それでも、やらねばならないのだ。
 初めて目にする“不和の者”に対抗すべく、何をどうしたらいいのかわからない自分にラグレクトが出した唯一の指示なのだから。
(……我が血脈に眠る力よ……)
 心の中で、高めた自分の力に命じる。
(我らに加護を。決して傷つくことのない、安らぎの光を!)
 次の瞬間、彼女の剣の先から薄い黄色の光が発せられた。それは音もなく、素早くテスィカとラグレクトを包み込む。
「で……きた?」
 自己に問う。彼女は剣を構えたまま、周囲をぐるりと見渡した。
 確かに光が自分を、ラグレクトを、囲んでいる。初めて発動させたため、小さい。だが、立派な防御壁《ホールド》、だ。
 テスィカはラグレクトを見つめる。
 その横顔は今まで見ていた彼とは別人のもので、怖さを感じるくらいに厳しい顔つきになっていた。
 彼は、少し俯いて、左手で髪をそっと撫でつける。けれども、視線は“不和の者”から外さない。余裕があるように見えるのに、張り詰めた雰囲気も発している。タイミングを計っている、そんな感じだ。
 大丈夫なのだろうか?
 心配するテスィカに気づいたのか、ラグレクトは、
「俺の分の防御壁はいいのに……ありがとう」と簡単に礼を言った。
 言い終わるや否や、右手の人差し指、中指を額に当て、左の手のひらを“不和の者”にかざす。
 初めて見る姿なのだが、詠唱を始めるのだとテスィカは直感的に悟った。
(詠唱……)
 思えばテスィカは、自分以外の3族――『剣技』『魔道』――の戦いを見たことがなかった。
 “不和の者”を前にしているのとは別の緊張感が体を包み込む。
 何が始まるのだろうか?
 我知らずにテスィカは唾を飲み込んだ。
“分ヲワキマエロ”
 ラグレクトの姿を見て、“不和の者”がひときわ高い咆哮《ほうこう》を上げる。獣のものとは少し違う、生理的に嫌悪感を抱かざるを得ない雄叫び。
 顔をしかめて“不和の者”を見ていると、テスィカの目の前で“不和の者”は広げた翼を大きく羽ばたかせた。
 巨大な、真っ黒な羽……1枚1枚が薄く、太い骨に皮が張り付いているような羽だ。
 2枚の羽をテスィカは凝視する。と、何かその羽がぼんやりと黒光りしているような気がした。
 何かが来る。
 それは、不吉な、けれども確実な、予感。
 テスィカの足元がぐわりと傾いたのは、直後。
「なっ……」
 地震。
 バランスを崩しそうになるが、彼女は懸命にこらえた。剣を構えたまま、1度は逸らした気配を再び集中させる。
 間一髪の建て直し。大地が躍動感を示すや否や、今度は天上から大きな雨粒が降ってきたのだ。
 じゅっ、という音を立てて、テスィカやラグレクトの周囲の草が焼けとけた。
「血……?」
 よく見ると、降ってきたのは血のように赤い雫。
 剣の柄を強く握り締めて、彼女は呟く。
「これが、“不和の者”の力?」
 『賢者』の宙城《ちゅうじょう》で書物を読んだ際、異形の者は未知なる力を使うと記されていた。
 力の源が何なのかわからない、不気味な力を使うと……。
 その存在さえ曖昧なのだ、能力が曖昧に記されていることに疑問を抱くものなどいないだろう。テスィカとてそうだった。化け物が不可思議な力を使っても、それが創生神話の中のことと信じている限り、「そんなものか」と受け入れてしまうものだ。
 けれども、実際に見せ付けられると考え込まずにはおれない。
 この力は何なのだ、と。
 この力を使うこの化け物に、どう対処していけばいいのだ、と。
「心配しないで」
 またもや彼女の心のうちを察し、ラグレクトが言葉をかけた。
 驚いて彼を見ると、いつのまにかラグレクトは……笑っていた。
「俺が、守る」
「ラグレクト……」
「“不和の者”よ!」
 彼は、突如叫ぶ。
 そして、額から指を離すと、ものすごい早さで宙に何か描き始めた。
「我が名はラグレクト・ゼクティ。時の支配者なり。……俺に出会ったことを後悔するがいい……」
“生意気ナ男メ”
「咎《とが》は己が命で負うがよかろう」
 低い一喝の後、彼は早口で詠唱する。
「我が力は理《ことわり》に逆らうものなり
 生まれ出でし時の彼方に 誘う黒き触手なり」
 彼が一言唱えた直後、“不和の者”の翼がおかしな方向へ動き出した。
 本来ならば曲がらないであろう、方向へ。
 “不和の者”が絶叫する。耳朶に嫌悪感を与える声を上げる。
“フザケルナ!”
 背を逸らしながら、それでも“不和の者”は攻撃に転じてきた。
 雄たけびを1つ上げると、“不和の者”の額の真中にある角が鈍く光りだす。輝きを目にしたのもつかの間、そこから発せられた光がラグレクトにまっすぐ伸びていった。
 テスィカが気を集中させる。
 光は、ラグレクトの眼前で屈折し、近くの木を貫いていった。
 テスィカの力がラグレクトを守ったのだ。
「汝 我が前から滅せよ
 久遠《くおん》の時の狭間に帰せよ
 我は 時の支配者なり!」
 唱えた言葉の余韻は、“不和の者”の悲鳴で打ち消される。
 翼は、いやな音を立てて折られた。
 力尽きたようにその場に崩れ落ちる“不和の者”は、テスィカの前で静かに消えていく。
 何が起こっているのか、すぐにわかった。
 “不和の者”は、自分の影に飲み込まれているのだった。
 影の中に、ずぶずぶと沈んでいっているのだ……。
 目を見張っているテスィカの横で、ラグレクトはその光景を冷ややかに見下ろしていた。
「愚か者はどちらだと思う?」
 返答がないことを確かめ、ラグレクトは唇に微笑を飾る。
「相手を選べということだ」
 最後に付け加えるように言った台詞にテスィカは寒気を感じてしまう。
 初めて目にした『魔道』の力よりも、彼の違う一面が恐ろしいと思わせているのだ。
 けれども、次に振り返ったラグレクトの表情はいつもとなんら変わらなかった。
「もう終わったよ」
 彼は、固まってしまったテスィカの肩をポンと叩き、剣を構えたままの手に自分の手を重ねる。
 そして、屈みこむようにして彼女にキスをした。
「――なっ!」
 ビックリして彼女はラグレクトを振り払う。
 その様にますます笑顔を光らせて、ラグレクトは白い歯を見せた。
「ごちそうさまっ」
「ラグレクト!」
「怒らない怒らない。これで俺も、決心をつけたからさ」
「決心?」
 彼は両手をあげ、それを素早く交差させた。
 それが“合図”であったのか。
 テスィカの身体が広がるような感覚を覚える。四方へ、引っ張られる感覚。
(な、んだ、これは……)
 視界の中の森が静かに溶けていく。目が回る。彼女は思わず堅く目をつぶり、襲い掛かる不可視の力に必死で耐えた。
 ……それは、唐突に消えた。
 テスィカはハッとして瞼を上げる。
 眼球が捉える光景に、しばらくの間、『賢者』の少女は何も言えずに立ち尽くす。
 森の中にいたはずなのに、木はすべて消失していた。青い空が頭上に広がっている。
「今、戦っている最中に時空の狭間をもう1つ見つけてね。転移先は……まぁ、いいところとは言いがたいし、できれば近づきたくなかったけどね。ただ、あの森で迷いながら“不和の者”と戦うよりはこっちの方がマシだろう。君もかなり疲れていることだし」
「ここは、どこだ?」
「……どこだと思う?」
 彼女は周囲をぐるっと見てから、息を飲んだ。
 無言で振り向いてラグレクトを凝視すると、彼はニコリとしたまま礼儀正しくお辞儀をした。
「……『魔道』の宙城さ」


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