Deep Desire

【第1章】 全ての出会い、全ての始まり

<Vol.4 対峙>

 ジェフェライトとファラリスが駆けつけたとき、テスィカは剣を抜き去っていた。
 2人の争いはつい先ほど始まったばかりのはずなのに、だいぶ前から続いているように彼らには見えた。
 火花を散らす斬り合いが、剣の型の訓練に見えるのは2人の力が互角だから。
 そのため、彼女たちの戦いは始まったばかりの雰囲気を完全に払拭している。
 剣がぶつかる金属音。短く発せられる掛け声。
 それらが、街を覆う人々の歓声や海から聞こえてくる汽笛をかき消す。
 激しい一時が、彼らを平穏な世界から連れ去っていくようだった。
「ジェフェライト様……」
 息を切らしてジェフェライトの袖を引っ張るフェラリス。
 震えてなどいない。
 だが、彼女の顔は先ほどまでの青さを通り越し、今や土色である。
 彼女は戦いとは無関係な聖地の人間であり、テスィカたちの強い殺気は強すぎて毒と思えるものでしかない。
「『賢者』の王女にご加勢は……」
 言葉と共に、嘆願の視線をジェフェライトに向けるのだが。
「それは無理です」
 ジェフェライトは跳ね除けるようにきつい語調で拒否をした。
「ここは狭い。私が彼女らの戦いに入ることなど不可能です。かえってテスィリス殿が自由に動けなくなってしまう」
「そんな……」
 ジェフェライトは悔しそうに顔を歪め、右肩の傷を抑えて黙る。 
 安穏と会話を楽しんでいたわけではないが、テスィカとティヴィアのぶつかり合いは単調な繰り返しを続けていた。彼女たちの剣術は相当なものだが互いに決定打に欠けている。
 だが、戦いに完全な均衡はありえない。
 その要因は、力だった。
 それを示すように、一瞬の隙を突いてティヴィアがテスィカに力任せにぶつかってきた。ティヴィアの結った髪の切っ先が、微かにテスィカの目を掠める。
 剣の刃と刃をぶつけ、全体重をかけてくるティヴィアに、戦いが始まってはじめて、2人の立場がはっきりと決められた。
 優勢に立つ者と、劣勢に立たされている者が生まれたのだ。
(力勝負では分が悪い)
 テスィカは柄に込めていた力を抜く。力に力で対抗しても自分の負けは目に見えているから。
 その潔い計算が功を奏し、立場は一瞬で逆転した。バランスを失ったティヴィアが前のめりになったのだ。
(今、だ)
 素早く、テスィカは柄でもってティヴィアの頭を殴ろうとした。
 しかし、それよりも早くティヴィアは反応する。
 右手で持った剣を石畳の上の溝に突き立て、身体が崩れ落ちるのを防いだのだ。それだけではなく、空いた左腕の肘でテスィカの胸元を狙ってきた。
 鋭い襲撃。
 舌打ちをし、テスィカはティヴィアから離れる。2人の距離は、戦いを始める前、互いの姿を確認したときと同じほど離れた。
 妙なタイミングで生まれた、束の間の休息。
 意識的に呼吸を整え、冷静さを装う。表面上は。
(さすがに手ごわい……)
 戦乙女と呼ばれるルキスの片腕、ティヴィア。彼女の戦闘能力は経験から来るものではない。潜在的なものである。
 ラリフ帝国は、ここ数年、戦を行っていない。内乱も発生していない。数十年前ならともかく、現在の聖都軍には実戦経験者がほとんどいない。
 4年前に剣を交えたときに、テスィカは感じていた。そのとき、知った。ティヴィアが並みの使い手ではないということを。知ったはずだ。
 なのに、彼女は今また、驚愕を、畏怖を、感じている。ティヴィアから。
(こんなはずじゃなかったのにな……)
 この4年間、自分は聖都軍の追っ手から逃げ続けていた。逃げながら戦っていた。ティヴィアにはない実戦経験を積んでいた。それなのに、力関係は同じ。互角。
(こんなはずじゃなかった……これじゃあ、ルキスの足元にも及ばないじゃないか)
 悔しくて、感情を詰め込んだ瞳で相手を凝視した。
「強くなったものね」
 だいぶ時間が空いたのだが、その間に考えていたことはさほど違わなかったようだ。
 テスィカの2倍はあると思われる剣を軽く一振りし、ティヴィアは背筋を伸ばす。
 均整のとれた肉付きのよい体がほんの少しだけ緊張を解いた。
「あのときの、怯えながら剣を握っていた少女とは思えない成長ぶりだわ」
「お褒めに預かって、いたく光栄だ」
「久々に真剣な打ち合いができた。それに対する小さなお礼よ。……さて、余興はここまで。後ろに隠れている方々を引き渡していただきたい。それが私の任務、あなたの相手は、また後でして差し上げよう」
 すっ、と剣の切っ先をテスィカに向けて彼女は艶然と微笑んだ。
 どれほどの自信があるのかはわからない。けれども、言葉にした以上、彼女は確実にそれを実行させるだろう。
 気迫が、そう、物語る。
(魔道を使うしかないか……)
 好き嫌いや確率などは度外視しなければ、きっと勝てない――本能が語りかけてくる言葉。
 それは多分、真実のもの。
 ティヴィアは、テスィカの想像以上、いや、それよりも手ごわい相手だ。
「──傷ついた『剣技』の王子と、可憐な“御使《みつか》い”を追い詰めるのが趣味なのか? 残虐非道なルキスらしい」
 息を大きく吐き出して、彼女は密かに準備を始めた。
 大きな魔道を使うのは久しぶりだ。それに、経験も浅い。
 緊張が身を覆う。
「傷付いて震えていた『賢者』の王女を見逃す優しさもある方だ」
 ティヴィアが話に乗ってくる。何かしらの策があってのことだろう。だが、テスィカはそれに乗った。乗ったふりをして、機会をうかがうことにした。
「見逃してもらった覚えはない。ルキスは随分と都合のいい解釈をしているようだ」
「都合のいい解釈をしているのはどちら?」
「それは……」
「まぁ、いい。ルキス様に直接聞いてみれば済むことだ」
 ティヴィアが剣を構えたまま、目を細めて言った。
 それがテスィカの行動を早めた。策が、読めた!
「ジェフェライト殿!」
「何でしょう?」
 不審そうな声音でジェフェライトが尋ねる。
「“御使い”を連れてこの場を去れ」
「……何を仰るかと思えば……」
「ルキスがこの近くまで来てるんだ! こいつはそれを待ってる!」
「な……」
 ジェフェライトが息を飲むと、くつくつとティヴィアが笑った。
「おやおや。4年前より賢くなったらしいな。だが、気づいたからといって──私がお前たちを逃すと思うか?」
「この狭い通路では無理です、テスィリス殿」
「『剣技』の王子よ、通路の幅など関係ない……私から逃れられるとお思いなら、試してみるがいいだろう!」
 左手を剣から離し、胸元をさぐる。聖都兵特有の服は、その胸元に物を隠し持てるようになっている。彼女がそこから取り出したのは、ナイフ。
 数は4本。
「さすがの王女殿でも、この全てを叩き落せるかな?」
 無茶だ。
 ナイフに構っていたら、その後に来るであろう剣での攻撃を防げなくなる。
 怪我をしているジェフェライトには無理であろうし、フェラリスにはさらに不可能だろう。
(今、しかないか!)
 剣を右手で持ち、すっと掲げるとテスィカは目を細めた。
「ジェフェライト──合図と共に、私を置いて逃げろ」
「テスィリス殿、そんなことは……」
「くどいぞ、王子。何度も言わせるな。私の名は、テスィカだ」
 寂しさを感じさせる冷めた口調で言うと、テスィカは左の手の平を剣の刃に触れるようにかざした。
 何があるのか、ティヴィアは不審げにテスィカを見つめる。
「ティヴィア」
 警戒心を前面に出してナイフを構えはじめると、彼女の背後から複数の声がやってきた。
 自分の部下たち、聖都の兵、だ。
 一瞬だけ視線をそらしたティヴィアに対して、テスィカが最初に呟いた言葉は。
「逃げられるかどうか、試してみようか、ティヴィア」
 言葉と、剣から“それ”が発せられるのと……ティヴィアには同時に見えた。
 街の市で奇術師たちが行う火の芸を思わせるような、大きな火の玉。それが、ティヴィアめがけて飛んできたのだ。
 1つ目は、咄嗟に体が動いたので避ける。
 壁に肩をぶつけたが、寸でのところで避けられた。そのため、彼女ははっきりと見てしまったのである。やってきたばかりの部下1人、火に包まれた瞬間を。
「うがぁぁぁぁぁっ──!」
「ひ、ひぃ──」
 もう1人の部下が、悲鳴を上げようとして声を飲んでしまった。
 腰を抜かし、その場に落ちていく。
 そんな彼に救いを求めるように、炎に包まれた男が手を伸ばすように──座り込んだ男に倒れかかった。
「がぁぁ!」
 気丈なティヴィアは目を逸らさなかったが、それ以上男たちを正視しようとは思わなかった。
 眼前の光景を目にし、駆けつけた兵士たちが一目散に逃げていく。
「……焼け死ぬのよりは切り裂かれる方が好みか?」
 悠然と、テスィカはティヴィアを見つめていた。剣を構え、手の平を剣にかざして。
 通路で暴れる炎が身に迫っている。
 前は敵。後ろは炎。
(成長したなんてほどじゃない。魔道をここまで操れるようになったのか!)
 3部族の力を侮っていたわけではないが、ここまでの力を彼女が扱えるとは……。
(しかし、私は立ち止まれない。これ以上、ルキス様を失望などさせられない!)
 剣に力を込めて、彼女は前進を決意する。
 テスィカの、賢者の放つ炎に焼かれるとしても──黙って、ルキスを待っているわけにはいかない。
 そんなこと、ルキスは望まない。
 許さない。
「行くぞ!」
「ティヴィア、やめとけ。無駄に命を捨てることもあるまい」
 冷徹に、厳しく、その場にもたらされた声は、彼女が待っていた人の声。
 テスィカが驚き、振り返る。
 ジェフェライトが慌ててファラリスと場所を代わる。
 彼は自分とテスィカの間にファラリスを置くと、傷を抑えながら剣を構えた。
 彼らに近づいてくる人物は、ティヴィアの方からではなく、テスィカたちの背後から現れた。この薄暗い路地でも輝くような金髪が身を引く。どちらかというと痩せ型な身体から発せられる気は、表面的には穏やかだ。
 穏やかだが……内包している気は、とてつもない。
 とてつもなく、得体が知れない。
 背後のティヴィアの気配を探りつつ、テスィカはルキスから注意を逸らさなかった。
「聖都の外に出るたびに、思わぬ探し物を拾うな」
 ジェフェライトから数歩ほどのところでルキスは立ち止まる。
 ルキスは変わっていなかった。4年前、燃え盛る『賢者』の宙城で見たあのときと、何一つ変わっていない。将軍と呼ばれるには若々しい外見に変化があるとしたら、両耳が隠れ、襟足が首の根本につくほどまで髪が伸びたことくらいだ。
 他は何一つ変わっていない。自分を見つめ、不敵に微笑んでいるところも変わっていない……。
(ティヴィアは追い詰めたが……ルキスに追い詰められたか)
 前にはティヴィアと自分の放った炎。
 後ろにはルキス。
 ティヴィアを倒したとしても猛り狂う炎の勢いはすさまじい。もう自分の未熟な力では、炎を鎮めることはできない。退路はルキスの方のみ。だが、ルキスがいるのでは、それは退路とは呼べない。必死の覚悟どころか、死と引き換えに手に入れるものなのだから。
(どうする……)
 おそらく、ジェフェライトも考えているはずだ。
 どう行動したらいいのかを。
「……あまり時間をとっても、結論は出ないさ」
 それを手に取るように、ルキスの声が響く。
「ティヴィア! この失態は聖都に戻ってからだな。戻るぞ」
「ルキス、貴様……」
 言いかけたまま、テスィカは口を閉じた。
 何かがおかしい。
 感覚的な危機感。
 どう言ったらいいのだろう、それは突然自分に襲い掛かってきた。
 次いで、激しい眩暈。歪曲する視界。
 ファラリスが、ジェフェライトが、崩れ落ちていく。
「そんな……」
「私は時間がないんだ。君らと話すのは、飛船の中で、でいいだろう?」
 消えていく声。
 違う。消えていくのは、私の意識だ……。
「これ……は……」
 言葉は彼女の意識もろともに闇に連れ攫われる。
 それでも必至に抵抗していたのだが、嘲笑うような闇が姿を現しては消え、現しては消え……。
 力が抜けていく中、ルキスが自分の身体を抱き起こしたのをテスィカは感じた。
 なぜ、と問う間などない。
 そうして最後に見たのは、ルキスの真っ青な瞳と──
 彼の、どこまでも優しい微笑みだった。


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