Deep Desire

【第2章】 行く末を握る者たち

<Vol.1 秘奥>

 ラリフ帝国の支配者にして守護者、“聖女”がいるのは、聖都《せいと》と呼ばれる城である。
 城自体はさほど大きくない。ラリフ国内に点在する都市城と同じくらいの大きさだ。
 ただし、聖都はそこらの城とは比べられない、不可思議な城である。特殊な水晶の大木を土台とし、地上から離れた上空に位置しているのだ。
 いや、水晶でできているのは大木だけではない。
 聖都自体が全て、水晶でできている。そのため、太陽光が当たる角度や時間によって、完全に浮上しているように見え、また、聖都そのものが輝いているように見えるのだった。
 天井も床も水晶でできた城の一角、硬質的な響きの靴音を辺りに撒き散らしながらルキスは廊下を歩いていく。
 すれ違う者は誰一人おらず、静けさが神秘性を強調している。その中を、彼は真正面を見据えたまま歩いていく。
 もともと聖都にはあまり人がいない。城の主、“聖女”と彼女を守る聖都軍の将軍・兵士、百人余りがいるだけなのだ。
 聖都へ入るには転移門《テレポートゲート》を潜《くぐ》り、転移してくるしか方法はない。転移門は地上に数箇所、あとは各都市上と3族の宙城《ちゅうじょう》に1つずつ。ラリフの広大な面積に比べればその数は圧倒的に少なかった。
 また、特別な力が施してあるのか、転移門を利用できる人間は限られている。聖都へ入ることができない人間は転移門を触れようが潜ろうが力が発動しないため、転移することはできないのである。聖都に入ることができない者にとって、転移門は遺跡のようなものでしかないのであった。
 聖都に入ることができる者のうち、“聖女”のいる部屋へ入れる者はさらに少ない。3族の族長と大都市を治めている者だけなので、たとえ聖都兵と言えども“聖女”がいる部屋の廊下さえ歩くことができない決まりだ。賊の侵入を防ぐためにそれは徹底されていた。
 ルキスは、聖都軍の将軍であるが、その廊下を歩く権利などない。彼は聖都兵のみならず、各都市に駐留している兵士の頂点に立つ存在であるが、軍最高司令官は3族の長となっている。実質的なものはさておき、与えられている権力はさほど大きくない。当然、“聖女”のいる部屋へ入ることはできないのだが、彼は、何のの不自然さも無く廊下を歩き、そして、“聖女”のいる部屋の前に佇んだ。
 片手をかざすと、取っ手のない扉はゆっくりと押し開かれていく。
「失礼致します」
 艶のある声で言い放つと、彼は部屋に入って行った。
「報告に参りました」
 歩きながら部屋の中央に位置する玉座へと向かう彼の背後、扉が音を立てて勝手に閉ざされた。途端、部屋の壁が仄《ほの》かに光る。全てが水晶でできていると思い出さずにはおれない光景がいつものようにルキスを迎える。
 彼の進む先、玉座には1人の女性が座っていた。
 片手を膝の上に乗せ、もう片手で長い杖を持っている。人の背丈以上ある杖は、途中で3つに枝分かれし、蔦《つた》のように絡み合いながら、先端でまた1つになっている。城同様に、不可思議な杖。
 不可思議といえば、その杖を持つ女性もまた不可思議そのものだった。垂らされた長い髪は彼女の肌同様、よく手入れされている。しかし、彼女を一目見た者は、それが当然のように思うことだろう。
 なぜなら、彼女の目は虚ろで、人形にしか見えないのだから。
「逃げ出した“御使《みつか》い”を連れ戻しました。『剣技』の王子も共に連れてくることができました。それだけではございません」
 ルキスはそこで一旦言葉を切る。同時に、立ち止まった。
 玉座のすぐ前に来ていたからだ。
 彼は舌を湿らせると、顔を上げ、玉座の女性をじっと見つめた。
「……『賢者』の王女を見つけました」
 彼の言葉が口から全て発せられるのと、玉座の女性が握る杖が発光するのと、一体どちらが早かっただろうか?
 女性は無表情のままなのだが、杖は光りつづけていた。彼女に代わって何か言葉を発するかのように。
 その様子を眺めながら、ルキスは口を開く。
「残念ながら、連れ去られてしまいましたが。『魔道』の王子に……」
 杖の発光がより強いものになる。
 数秒間見つめつつ、しばらくしてからルキスは玉座への階段を昇りはじめた。
 ルキスが一歩一歩踏み出すたびに、階段には薄い壁が出現するのだが、それに遮られること無く上っていく。肩から流した長い布が静電気に似た火花を数回散らした。
「気になりますか? “聖女”さま」
 瞬きしない女性へ尋ね、彼は玉座へ辿り着く一歩手前で歩みを止める。
 長い睫を伏せるようにして目を細め、ルキスはすっと手を伸ばす。
「お気持ちはわかりますが……すべては過去のこと」
 膝の上に添えられた指の先、爪を人差し指でなで上げながら、そのまま彼は“聖女”の手を握り締めた。
「過去には戻れません」
 握り締めた手の甲に彼は厳かに口付けを交わす。
 次いで、軽く触れる程度の口付けを、“聖女”の唇に、する。
「過去は、捨ててください。この帝国の未来と共に」
 女性は相変わらず身動き1つせず、変化はない。杖の光の強弱がルキスの金の髪を照らす、ただそれだけしか起こらなかったのである。



 毅然《きぜん》とした態度でファラリスは聖都兵の手を振り払った。
「私《わたくし》を誰だと思っているのですか? 下がりなさい」
 細い声だが、聖都の外にはなかった強さが感じられる。
 やはり“御使い”なのだ、とジェフェライトは感じてずにはおれなかった。皮肉にも、とらわれて、聖都に連れてこられたことによって。
「……下がりなさい」
 念を押すと、部屋にいる兵たちが顔を見合わせて順々に出て行く。ジェフェライトの背後にいた兵が無言のまま退出すると、広い部屋はファラリスとジェフェライトだけになった。
 その段になって、ファラリスは初めて大きく息を吐き、肩の力を抜いたのである。
「どうぞ、椅子にお座りになってください。立っていては怪我に触ります」
「では、お言葉に甘えて」
 ジェフェライトは肩口の傷を押さえたまま、手近の椅子に座る。全体重をかけるように、重い音を立てて。
 椅子は座りごこちが良かった。華美ではないが気品のある調度品が気持ちを楽にさせる。部屋の主がファラリスだというのがそんなことからも十分に頷けた。
「それにしても……ここは本当に、水晶の城ですね」
 ジェフェライトは感心して言うと、部屋のあちこちを改めて見回す。
 壁という壁、床という床、全てが水晶でできている。驚くほどに徹底されていた。
 次期『剣技』の長として聖都に関する知識は持っている。しかし、それは知識だけだ。こうして聖都の中に入ってみると、本気で驚かずにはおれない。そして、感じずにはおれない。
 ここは特別な場所なのだと……。
「できるなら、こういう形で訪れたくはなかったのですが」
 今ごろ、『剣技』一族に“王子拉致”の知らせが入っているだろう。ルキスの脅迫──聖都軍に跪《ひざまず》けという言葉と共に。
(拒否してくれればいいのだが……)
 “聖女”からの伝令を伝えに来たという聖都兵を安易に信じた自分が恥ずかしくなる。
 肩口の傷を意識し、奥歯を噛みしめる。
 軽率にも一族の主たる者たちの意見を無視して地上に降りた結果が、この怪我と、この事態を生んだ。みっともないとしか言えない。
 おそらく、一族はジェフェライトがどんなに願ったとしてもルキスの脅迫に応じるだろう。一族の命運を握る宙城、それを操る長たる証、『剣技』の剣を彼は手中に収めたのだ。逆らうことなどできるわけがない。
 誰も4年前の『賢者』の最期を忘れていないのだ。
(死にたがる者など、いない)
 聖都軍の下に収まるのは、3族の自尊心をいたく傷つける。けれども、生きることと傷付くこと、それらを比べたときに選び取るのがどちらかというのは明確だった。
 所詮は、人、なのだ。どんな力があったとしても。
(せめて王子がもう1人いれば、な)
 『剣技』一族の族長候補は、ジェフェライトだけだった。3族には必ず2人以上の直系候補者がいるのだが、『剣技』一族の第2王子、ジェフェライトの弟は彼が幼い頃に事故で亡くなっていた。そのため、彼は一族で1番──現在の族長よりも──貴重な、必要な存在なのである。
 それがわかっているからこそ、一族の枷《かせ》になるとわかっている今でも自害などできないのだった。
 このまま一生、幽閉されるのが目に見えていても……。
「ジェフェライト様、何をお考えですか?」
 それほど考えに耽《ふけ》っていたわけではないが、ファラリスの言葉に彼は慌てて自我を取り戻した。
 心配性なのだろう、彼女は眉尻を下げてジェフェライトを見つめてきている。
「いえ、大したことではありません。……テスィリス殿のことを思い出してました」
 彼は咄嗟に『賢者』の王女の名を口にする。それはファラリスを安心させるためだったのだが、言った直後に王女のことを思い浮かべたのだった。
 テスィリス・フォルティ……自分の婚約者である『賢者』の王女。
 王族は名の語尾を“高貴なる”という意味に変化させる。男性なら“ト”、女性なら“リス”または“ス”。
 ジェフェライトはそれが押し付けがましくて嫌だったが、彼女の名を聞いたときに、その響きにうっとりとし、初めて語尾変化の価値を認めた。そのくらい、彼女のことを気にかけていた。顔を合わせる前から。
 ジェフェライトには一族内に決まった相手が存在している。『剣技』では同族間で子を成すからだ。しかし、『賢者』は異なる。『賢者』の力が剣技と魔道をあわせ持ったものだからか、『賢者』では『剣技』『魔道』のどちらかの王子との間に子を成し、力を継承させていくのである。
 彼の父は『賢者』の族長と婚儀を結ばなかった。しかし、宙城で会う度にその見事な漆黒の髪には見惚れてしまった、と言っていた。それを聞いていたからか、彼は『賢者』の王女との婚約話を聞いたときに心躍ったものだった。
 『賢者』一族が滅亡の末路を辿り、テスィリス王女も生死不明だと耳にして以来、彼はその存在を心の中から抹消させていた。憧れを抱きながら会うことを切望してた分、胸に積もる悲哀を少しでも感じたくなくて、全てを忘れようと努めていた。
 顔を見た瞬間に胸の奥から湧き上がってきたのは、彼女が生きていたことに対する喜び。
 出会えたことに感謝した。
 そんな彼も、心の奥底で、何か淡い、目にははっきりと見えないものが小さく弾けたそれがなんと呼ばれるものか、まだ気づいてはいないのだが。
「テスィリス様は、無事でしょうか……」
 彼女を思い出したファラリスが窓の外へ視線を外して独り言のように呟いた。
 テスィカ(テスィリス)が飛船から逃亡したのは既に数日前のこと。どのようにして逃げたのかはわからないが、彼女を追っていったティヴィアがテスィカを捕らえていればルキスに連絡が入っているはずだ。しかし、テスィカがティヴィアに捕まったという報は、聖都兵の雰囲気を見るに、届く気配はまるでない。
「無事だと願いましょう。ところで、ファラリス殿。……飛船が辿ってきルートを考えると、どのくらいの時間がかかりますか?」
「……はい?」
「いえ、その──もしも、テスィリス殿がルキスを追ってきたとして、ここに辿り着くまでにどのくらいの時間がかかるのかな、と」
 自分を助けに来てくれるとしたら、という言葉をジェフェライトは飲み込んだ。
 手配中のテスィカが聖都に近づくわけがないのは明白なのである。
 ジェフェライトの疑問に、ファラリスは目を細めた。計算をしているようだ。
「……始点によってかなり変化はしますが、そうですね……1月《ひとつき》程度はかかるのではないか、と」
「そんなにかかるのですか!」
「レーレから真っ直ぐに街道を辿れば1番近い転移門までは3週間ほど到達できます。ですが、飛船の通過ルートは国境沿いの森の上空。テスィカ様が逃げるために森へ入ったのであれば、1月《ひとつき》程度はかかると思われます」
 ジェフェライトは国境沿いに帯のように広がる森を思い起こす。宙城で上空を通ったときにいつも見るのだが、それほど複雑な森には見えない。それに、4年前の『賢者』宙城炎上事件より、森の面積はだいぶ減っている。1ヶ月はかかったとしても、2ヶ月は大げさではないだろうか、と彼は思った。
 それを察したのだろう、ファラリスは続けて言った。
「あの森は特殊なのです」
「……特殊、と言いますと?」
「……ジェフェライト様は、“不和の者”の存在を信じていますか?」
 突然の質問にジェフェライトは目を瞬かせる。
 質問の内容もそうだが、なぜ、そのようなことを聞いてくるのかがわからなかった。
「……“不和の者”というと、あの、“不和の者”?」
「そうです、その“不和の者”です」
 フェラリスは真剣な眼差しで頷いた。
 “不和の者”とは、大きな角と翼を持った異形の怪物のことである。
 『剣技』に伝わる歴史書によれば、それは――

 世界の“和”に従わざる者、その名を“不和”。
 堅き角を額に生やし、強大な黒き翼を有した“不和”は、理《ことわり》を知らぬ異形の妖《あやかし》。


 つまり、人ではない生き物。人に害を成すため、“聖女”が封印したといわれる化け物。
「あの森には“不和の者”がいるのです」
 ファラリスの語調はいつもと変わらなかった。そのため、ジェフェライトは意味を理解するのに長い時間が必要だった。
「……まさか……」
 本来、3族は帝国ラリフへ向かう人間の軍隊を討つために存在しているのではない。異形の者である“不和の者”から“聖女”を守るために存在しているのだ。
 だが、それは書物の上の話でしかなく、“不和の者”を見たことがある者はおろか、3族の者がかろうじて名前を知っている程度であった。
 その“不和の者”が実際にいるというのだ──そう簡単に信じられるわけがない。
「森の北側、聖都の近くに出現するという報告は受けています」
 “御使い”らしく威厳に満ち満ちた風に言う彼女だったが、ジェフェライトはやはり信じられずにいる。
「“不和の者”は翼を持っているはずですよね、確か。けれど、宙城からそういった類の飛行物を目撃したことはありません」
「飛べないのです、“不和の者”は」
「それは本当に“不和の者”なのですか?」
 真摯な眼差しを向けながら、ファラリスは頷く。
「はい」
「……その確信はどこから……」
「言えません」
 何とも歯切れが悪いのだが、ファラリスに嘘を言っている様子はない。
 ジェフェライトは、外を眺めたまま無言でいるファラリスに初めて不信感を抱く。
 何かを隠している。
(何を?)
 自問しても得られる答えは当然無い。
 仕方なく、彼女の視線を追っていっていったのだった。
 しかしながら、当然のように答えは得られないままであった。


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