かまいたちの饗宴

≪4≫見えない『理由』

(2)

 肩を手を置かれた瞬間、なぜかビリっと電撃のようなものが体中を駆け抜けた。
 そして、間髪いれずに、背後から、しかも耳元で、その声は発せられた。
「上から86、58、88……かな?」
 ビリっとしたものはゾッとしてものへすぐに変わった。
 手を払いのけ、亜理沙は焦って背後を見る。
 射抜くような視線を投げた先は、斜め上の方、随分と高い位置。眼前の男は優に180は背丈があるだろう。
 歩道の真中に立っているその男は、亜理沙があまりお目にかからないタイプの男だった。サラサラの前髪をかきあげて、にっこりと微笑む姿は何とも気障《き ざ》だ。気障だが、それが妙に似合っていた。
 着ている服はそれほど派手でもないが、その男の持つ美貌は派手だった。華やかといえば印象はいいかもしれないが、亜理沙の脳裏に浮かんだ言葉は「派手」である。
「こんにちは。お兄さんと遊ばないかい?」
 そんな声のかけられ方は初めてだった。
「遊ばない」
 亜理沙は即答する。
「せっかく出会ったんだからさ、そんなこと言わないで」
 出会ったと思っているのはあんただけだろう。亜理沙は非難の言葉を宿した瞳を真っ直ぐと男へと向ける。
 しかし、反応は考えてもみないものだった。
「ああっ! そんな朝露に濡れたような潤んだ瞳で俺を見つめないで欲しい。君に恋した俺を哀れむくらいなら、そのしなやかな身体で俺の情熱を受け止めてくれ!」
「……一昨日来やがれ」
 ぼそりと外見と不釣合いなものを発音すると、亜理沙は男を放っていくことにした。ときどき、変質者すれすれの男に声をかけられることはある。そういうときは相手にしない方が無難、と彼女は経験から学んでいた。
 付き合ってられない、私のいないところで勝手にやっていろ――言葉を目に込め、口以上に物言ってやると、亜理沙はおもむろに歩き出す。
 が、彼女の足は数歩も行かないうちに歩みを止めてしまった。
「ホテルは反対方向だよ、お嬢さん」
 笑いをかみ殺しながら言う彼を、亜理沙は舌打ちして顧みた。
(気づくべきだった……)
 最初の段階で。
 自分に、この自分に気づかれもせず、背後に立っていたあの段階で。
 自分の迂闊《うかつ》さが呪わしい。
「これは、どういうこと?」
「そーゆーこと」
 聞くまでもないことだったので、そんな答えでも動じない。あえて聞いたのは、相手の出方を探ろうとしたから。
 定休の店が多いだけあって、人通りは確かに少ないが、それにしても、道の真中に佇んでいる彼を誰も見ないのはおかしい。彼のペースにはまってしまい、亜理沙には周囲の反応など目に入らなかったのだ。
 今、2人の周りには、半円を描くように薄い膜が張られている。外界と彼らを隔てる結界だ。以前、<青竜>から聞いていた、東の蛮族の得意とする『結界創出』だ。話のとおりだとすると、このテリトリーの中では、亜理沙は十分に力を発揮できないだろう。厄介、だ。
 緊張しながら、亜理沙は一歩ずつ退き、男との間隔を開けていった。近いと不利な気がして。
 男は唇に指を当て、くすくすと笑う。
「諦めがつかない? 心配しなくてもいいよ、俺は優しいので有名だから。ホテルも女の子向けのだし」
 色香《いろか》のある声が、言外告げる。
 抵抗はするな、と。
 亜理沙は目を細め、髪を縛っている赤いリボンに手をかけた。
「ごめんなさい……私、ラブホって嫌いな、のっ!」
 言葉と共に勢いよくリボンを解くと、亜理沙は男へそれを投げつけた。
 亜理沙の手から離れたリボンは、次の瞬間に音を立てて燃え上がる。そして、姿を鋭い矢に変えると、男めがけて飛んでいく。
 そんな小手先の技でどうにかなるとは思っていなかった亜理沙だが、案の定、彼が右手で、あたかもそこに壁があるかのような動作をしただけで、炎はピタリと動きを止めた。そうして、すっと消えてしまった。
「ホテル嫌いなの? 珍しいね。……じゃあ、アウトドアかな。それともカラオケ? あ、威勢がいいのは嫌いじゃないよ。組み敷く楽しさがあるだろう?」
「ごちゃごちゃ言ってないで、いい加減に本性を現してちょうだい」
「こんなところで!? 困ったな……いくら俺でもね、シャワーを浴びた後じゃないと、恥ずかしいからさ……」
「……勝手に言ってなさい、親父が」
「オ、親父?」
 くらっとよろめくような動作を男が見せたので、亜理沙は指を鳴らすように炎を男へと放った。だが、敵はふざけながらもきちんと防御壁は張っているらしい。炎は男の寸前でまたしてもかき消された。
 目頭を押さえるふりをしながら、男はしばらく涙声で呟いていた。
「親父、親父、親父、親父……」
 ……どうやら、ショックらしかった。
「……あんたやる気あるの?」
 短気な亜理沙はヒステリックに声をかける。すると男は勢いよく顔を上げて、亜理沙に叫んだ。
「ある。あるあるあるある。Hしたい」
「そうじゃなくて!」
「でも、<朱雀>ちゃん、人のことを親父なんて言うんだもん。確かに女子高校生から見れば、23にもなる俺なんて親父ィーかもしれないけれど、お兄さんって呼んで欲しいな」
 男のペーシに苛立ちを覚え、亜理沙の口調が男っぽくなる。今までの転生で男だった影響なのであろう。
「いい加減にしろ……。この<朱雀>を……」
 吐き出すように、亜理沙は言う。
「……なめているのか?」
 そして、力いっぱい腕を振り下ろした。
 亜理沙の手から生み出された半月の炎が3つ、男へ向かう。
「なめてないよ。――食べちゃいたいけど」
 男が手で払うような仕草を見せる。
 にやりと亜理沙が笑った。
「私の炎を甘く見るな!」
 消えかけた炎が、亜理沙の声と共に威力を増す。さらに大きな半月の炎となり、男へと一直線に向かっていく。より獰猛《どうもう》になった炎は、口を開けた鳥のくちばしのようだ。
 それでも、男は笑っていた。余裕の顔つきで亜理沙を見つめている。
「甘く見ていないけれど……今日は、戦うつもりがないんだよ」
 言い終わった刹那、亜理沙は信じられないものを見た。
 男の身体が、霧散した。言葉どおり、霧が引くかのように、形が崩れて拡散した。
 炎はその霧の中を突っ切ると、結界に当たったのだろう、盛大に弾けた。爆風のような大量の熱気が亜理沙に吹き付ける。
「ちっ!」
 左手をかざして、即座に彼女は炎を操った。近くまで戻ってきていた炎か、上げられた手の平に集まって、吸い込まれていく。
「後ろだよ」
 声と同時に、腕を掴まれる。
 やられた。
 痛みに顔を歪《ゆが》め、睨むように亜理沙は振り向いた。
 瞳が深紅に染め上げられる──亜理沙の体全体と赤い光が包みだす。怒りに引きずられ、力がにじみ出ているのだ。
 それを目にして、男は息を飲んだ。見入った。そして、激しく打ち鳴らされる己の心臓の音を聞いた。
 彼女に恐れをなしたからではない。臆したわけでもない。
 強い意志が溢れる眼差しが、記憶の一番底のある部分から、懐かしさと1人の女性の面影を連れ出してきたからだ。
「きさまっ!」
 痛みにこらえながら声を絞り出す様が、
(似ている──)
 挑戦的な目が、
(だからなのか……)
 1人の女性を、思い起こさせる。
(こんなのも惹かれたのは……)
 男が力を緩めたのを見逃さず、亜理沙は男から離れた。
 彼女の感情に引きずられるように、彼女の周囲を取り巻く赤光は炎へと変わる。
「私を愚弄したな、きさまっ!」
 烈火そのものと言っても過言ではない少女は、男を睨みつけると、休む間もなく高らかに呪文を言い放つ。
「地の底で息づく冥《くら》き焔《ほむら》よ、我が掌より出で、愚者に鞭打つがいい!」
 生まれて初めて耳にする、<青竜>以外の攻撃の呪。
 愛らしい声で怒鳴るように少女は叫ぶ。
「我は南の守護者、<朱雀>!」
 音を立てて亜理沙を包んだ炎が瞬時に青へと変わり、螺旋を形の火柱をあげた。
 亜理沙の髪が重力に反して逆立つ。と同時に、とぐろを巻いた蛇を思わせる青い炎が天へと昇り、次いで男に猛然と降りかかってきた。殺気を帯びて。
 男の唇が微かに震える。
 恐怖と共に、また喜びを感じた彼の独白。──「おもしろい」と言ったのだ。
「大気に宿る水の申し子、我が僕《しもべ》よ……」
 歌でも歌うような流れで呟くが、彼の言葉は突然遮られた。
「2人ともおやめなさい」
 それは、彼が反撃の狼煙《のろし》となる呪文を口上し始めたとき。
 止める声が2人の間に響いたのである。突然に、あまりにも突然に。
 すると、男に襲い掛かるはずだった亜理沙の炎が、歪み、ねじれ、折りたたまれるようになくなっていった。
「誰だ?」
 創出された結界の中、自由に力を割り込ませられる人間などいるわけがない。
 結界を作った張本人、もしくは、それよりも強力な能力を持った者以外は……。
 亜理沙の誰何《すいか》の言葉に答えるように、眼前の男の横に影が現れた。それは次第に実体化していき、ものの数秒で、身なりのいい優しげな青年へと変わっていった。
「<朧滴《ろうてき》>……」
 実体化した影は、先ほどから亜理沙が相手をしていた男を、そう呼んだ。呼ばれたほうの<朧滴>という男は、バツが悪そうにしている。
「は、<春夢>……」
 一度も耳にしなかった、弱々しい声だった。
「<朧滴>、あなたって人は……『<朱雀>とは争わない』という言葉は嘘だったんですか? 見てくるとおっしゃった割には長いと思いましたが……」
「これは、そのぅ……成り行きというやつで……俺は争うつもりもなかったし、そう言ったんだぞ」
 完全に肩の力を抜き、身振り手振りで<朧雫>は<春夢>へ説明を始める。
 信じがたい表情で見つめていた<春夢>は、ため息を1つついて続けて言った。
「では、彼女が勝手に敵愾心に煽《あお》られて、このような事態になったとでも?」
「そのとおりだ。……といったところで、説得力なんてないんだろうな、やっぱり」
「説得力? あるものですか、そんなものが。<朧滴>、事実と虚偽とで織り込んだヴェールでもって私の目を欺くにしては、あなたの言い分は少し稚拙な出来でしたね。あなたが彼女にちょっかいをだして煽ったことは、明白です」
 咎《とが》める口調で言われて、<朧滴>は子供のように拗ねて黙り込む。
 <春夢>の方は、「困ったものです」と呟いた。
 その緊張感の欠けたやりとりを見ていて、亜理沙もやっと肩の力を抜いた。
 彼らに攻撃してくる意思はないように見受けられる。それを証明するかのように、<春夢>が亜理沙へ向き直り、眼鏡の奥から穏やかに亜理沙を見つめてきたのだ。
「失礼いたしました、<朱雀>殿。私は、<東夷>様の配下で<春夢>と申します」
「そちらの男とは違って、淑《しと》やかに自己紹介か?」
「名を名乗ることは礼儀でしょう。第一、争いは私の好むところではございません。私は名のとおり、春の静かな夢を好みます。荒ぶることは嫌いです」
「おい、2人そろって俺を野蛮人扱いしないでくれないか? 俺は平和を愛する<朧滴>くんだぞ」
「<朧滴>……」
 名を口の中で発する亜理沙に、<朧滴>は白い歯をこぼして頷いた。
 その横で、<春夢>が亜理沙に言う。
「美形の玲《れい》ちゃんと呼んであげてください。女好きなので、喜びますから」
「――そういうこと言うか、お前……」
「さて、帰りましょう、<朧滴>。約束の時間は過ぎています」
「待て、貴様ら、このまま帰るのか?」
 尋ねたのは亜理沙だった。
 <春夢>が困ったように亜理沙に笑いかける。
「だめでしょうか? さきほども申し上げましたが……私たちに争う意思はありません」
 争うつもりがないという彼は、雰囲気から言って嘘を言っているような気がしない。
 だが、眼前にいるのは敵だ。
 このままみすみすと、帰すわけにはいかない――。
 亜理沙にとって、いや、<朱雀>にとって、蛮族とは“滅亡させる相手”である。もうずっとずっと、自我を感じ取った頃から「蛮族」は相容れない者たちのことなのだ。
 相手に敵愾心があるかないかなど関係ない。
「敵を無傷で帰すわけにはいかない」
「なぜ争おうとするのですか? 私たちは、本来は争う必要などないというのに……」
 訝しげに亜理沙は<春夢>を見る。
 争う必要などない……そんなことを言う蛮族は初めてだった。
 <東夷>の配下にどんな者がいるか、それは知らないが、少なくとも今まで千年以上、攻防を繰り返した“蛮族”は、そんな意味不明なことなど言わなかった。
 <春夢>は亜理沙を見つめたまま、ゆっくりと首を左右に振る。
「あなたたちが知らないだけなのです。私たちがぶつからなければならない理由など、ないのだから」
「おかしなことを……」
「なぜ、おかしなことと決め付けます? あなたは――あなたたちは、自分たちがなぜ<皇帝>を守っているのか、わからないのに」
 亜理沙の心臓が、貫かれた。
 なぜ、そんなことまで知っている?
 心の奥底で<朱雀>が震える。
 動揺させようとしているのか?
「……<春夢>とやら。では、聞こう。なぜ、貴様たちは力を使うのだ? 争う必要がないという我々に、力でもって対抗するのだ?」
「それは……」
 口を開いた<春夢>は、しかし、硬直してしまった。
 何が起こったのかと亜理沙が警戒しているなか、<春夢>の姿が揺らめき始めた。
 呼応するかのように、横にいた<朧滴>も同じようになっていた。
「待て、答えを聞いていないぞ、私は!」
 怒声に近い叫び声は、何の変化も起こさなかった。
 2人の人間は2つの影へと変わり、そして、陽炎のようになって亜理沙の前から消失してしまった……。
「どういうことだ……どういう意味なんだ……」
 ガラスが割れるように亜理沙を覆っていた結界が壊れ、今まで感じることのなかった風が亜理沙の頬を掠めるように撫でていく。
 その風に身を委ねるように、彼女は微動だにせず何かをずっと考えているのだった。

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