かまいたちの饗宴

≪4≫見えない『理由』

(1)

 午前8時30分。正守は久しぶりに朝早くから榊の家を訪ねた。
 髪はオールバックに固め、スーツをきっちりと着こんでやってきた彼は、榊が朝食をとっているのを発見し、驚きを隠せずにリビングの入り口で思わず立ち止まってしまった。
「今日はまた……えらく早起きだな」
「そっちこそ。随分とめかしこんでいるじゃないか」
「父親の仕事の手伝いさ」
「月曜日っから大変なことで」
「まったくだ」
 大仰に頷いて、正守はリビングに入ってきた。
 榊は正守を見ずに、だが、行動を予測して先に言う。
「コーヒーを飲むなら自分で入れろよ」
「いや、いい。ポカリをもらう」
 杏ジャムを塗ったトーストを小さく切りながら食べている榊を横目に、正守はまっすぐ冷蔵庫へ向かった。
 そして、ペットボトルを出すと行儀悪くそれに口をつける。
 トーストを口に運ぶのをやめて、榊が諌《いさ》めた。
「コップを使え、正守」
「気にするな」
 そう言ってから、榊の注意を守らずに正守はもう一回ペットボトルのラッパ飲みをする。
 音を立てて飲んだ後、元のとおりボトルを冷蔵庫にしまってから、彼はふと、水道を見る。そして、変化にやっと気が付いた。
「早いな。もう修理に来たのか」
 コーヒーを口につけながら、榊は正守を上目遣いに見る。その大きな目が、何かを物語っている気がして、正守は口を開かずにはおれなかった。
「なんだ?」
「……いや。いろいろあったもんでね。その修理にまつわる話が。──3日ほど前だったかな、修理が来たのは」
「3日前、か」
 正守の脳裏によぎる女の影。
 3日前といえば<東夷《とうい》>の配下であるあの女にあった日だ。
「そう、3日前、だ」
「ずいぶん日にちにこだわるな、榊」
 言い方に含みを持たせていたのが気になったらしく、正守がテーブルに手をついて榊の目を上から覗き込む。
 明らかに何か言いたそうな榊は、正守の双眸《そうぼう》を注視した。漆黒の瞳がことのほか真剣な色を帯びていた。
 榊は、椅子を引き、体ごと正守に向き直る。そして、視線を外さず、静かに言葉を発し始めた。
「奇妙な噂を耳にした。3日前、お前はうちの大学に来たらしいな、正守」
「それが何か?」
「帰るときに駐車場で美女と遭遇したらしいじゃないか」
 何を榊が言いたいのかがわからず、また、否定することでもないので正守は黙って聞いていた。
「その女性がふつうの人間ではないようだ、というのを俺は聞いた。この世のものとは思えない、まるで、作られたかのように完璧な美女だった、とも、聞いた。単刀直入に聞こう。正守……誰に会っていた? こちらの側の者か、それとも……」
 正守は開きかけた口をいったん閉じる。
 誰がどこで見ていたのかはわからないが、あのときの出来事を榊が知っているのは意外だった。敵である東条かぐやとの情事は、正守の心の中だけに留めておこうと思っていたので、舌打ちしたい気分でもあった。
「四聖獣《しせいじゅう》を束ねる<青竜>として尋ねる。誰と会っていた? なぜ報告しない?」
 有無を言わせぬ口調で榊が問い詰める。
 正守は思わずプイと横を向いた。視線に耐えられなくなったのだ。
 それでも、榊は引かなかった。正守が答えるまでじっと待っていた。
 どのくらいの時間がたっただろうか。たった数秒の沈黙を2人とも長く感じていた。それを破ったのは、詰問されていた正守の方だった。
「<東夷>配下の<蒼睡《そうすい》>という女性だ……。東の守護者であるお前なら知っている名前だろうな……」
「<蒼睡>!」
 思い切りテーブルを叩いて、榊は勢いよく立ち上がる。
 マグカップの中のコーヒーが飛び散り、榊の服にも染みを作ったが、そんなことなど気にしない。
 彼は、威圧するように正守に言い放つ。
「知らないはずがない! 貴様からその名を聞くことになろうとは……その忌まわしい名を!」
 ぎり、と奥歯をかみ締める。傍から見てわかるほどの激しい怒りが、榊の身に宿る。
(<蒼睡>……)
 それは、<青竜>にとって忌むべき者の名。
 裏切り者を導く魔女の名。
(あの女だっ……!)
 かつて、四聖獣が別々の地に転生していたころ、四聖獣にはそれぞれ一族と呼ぶ配下がいた。かつて四神が血の契約によって結びつけた人間たちは、何代にもわたり四神の正当な後継者たる四聖獣を補佐してきた。
 <青竜>も当然、配下に従えていた頃があった。自分たちを<青竜>一族と呼んだいたため、四聖獣の<青竜>は便宜上、<青竜>王と呼ばれていた。
 千年前、日本に転生し、東を守護していた<青竜>にとって配下は一人だった。他の者たちは死に、<青竜>一族を名乗る者は、自分と、もう一人の男だけになっていた。その最後の部下である男を<東夷>側に寝返らせた女──それが<蒼睡>。
 愛していた人に裏切られて、人を信じることなんて二度とできないだろうというくらい人間不信に陥っていた自分を優しく包み、「私があなたを守る」と誓った最後の配下。彼の叛心《はんしん》は、自分に大きなダメージを与えた。あの頃自分は、髪を振り乱し、泣くことをやめず、そうして幾度も呪いの言葉を叫んでいた。
 彼に対して。
 <東夷>に対して。
 そして、その女<蒼睡>に対して……。
「正守……<蒼睡>と接触した目的は何だ? 事情によっては……許してやる」
 許すことなどできるはずがない。
 だが、榊の中のかろうじて残っていた理性がそんな言葉を紡ぐ。
 対して答えた正守の声は――
「言えない」
……固かった。
「なぜ!」
「……言えない」
 ただ興味をもっただけ。
 そんな理由だったら、お前の怒りはどうにもならないだろう?
 胸中で正守は呟く。
「言えない、だと? ふざけるな! ……お前が敵をかばうとは珍しいこともあるじゃないか、<白虎>。いつでも、<皇帝>、<皇帝>と言っているお前が真っ先に裏切るとは、な……」
 榊が怒りに我を忘れているのは明白だった。
 それでも、正守は怒りを、黙ってぶつけられるままでいる。
 榊の一言が彼の心を揺さぶるまでは。
「貴様も地におちたものだな。それとも――本当はお前が裏切り者なんじゃないか、<白虎>」
 それは一瞬の炎。
 正守は感じた。自分の中の<白虎>が激しく牙を剥いたのを。
 意思で押さえることも適わないほどの怒りが口をついて出る。
「俺を詰《なじ》るお前はどうなんだ、<青竜>。俺は知っているぞ、お前が俺に隠し事をしていることを」
「隠し事?」
 言うつもりなどなかった。
 なのに、うっかり言ってしまった。
 だが、もう遅い。発した言葉は取り消せない。
 彼は動揺を見せずに続けた。
「俺たちを攻撃した、<朱雀>と会っていたらしいな。いつだか知らんが。それを隠しているお前が1番裏切り者に近いんじゃないか?」
 榊は言葉に詰まった。
「なぜ知っている?」
「ニュース・ソースは明かせない。それより──認めるわけだ」
「違う! 隠すつもりは……」
「聞き苦しいぞ、<青竜>。――はん、面白いな。誰もかれもが、裏切り者だ!」
 正守の責めに榊は唇を噛みしめた。
 本当に隠すつもりはなかった。正守に、先日会っていた相手を問いただした後に報告するつもりでいたのだ。話の流れから、言う機会を逸したにすぎなかった。だが、それも今となっては言い訳にしか聞こえないことを榊自身、痛感せざるをえない。
 今度は榊が目を逸らした。俯いて、ただただ唇を噛みしめるしかなかった。
 たった一言、どちらが先でもいいから、謝ればいい。そうすれば、互いにそれなりの説明もできたろうし、変に勘ぐることもしなかっただろう。けれども、「すまない」という言葉は相手の言っている言葉の外の意味も肯定してしまうので、その簡単な一言さえも口に上ってくることはなかった。
 沈黙の中から正守は重いため息が生み、踵を返して部屋を去っていく。何も言わず、振り返ることもせず。
 榊がゆっくりと上げた視線の先で、扉は静かに閉ざされていった……。

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