かまいたちの饗宴

≪3≫それぞれの邂逅

(1)

 <朱雀>の襲撃により緊迫した週末は、瞬く間に過ぎていった。そうして迎えた月曜日、榊がいつもより早く起きたのには理由がある。水道の修理工が来るからだ。
 その修理工は、工具を順番にしまいながらニコニコと話し掛けてきた。大変な仕事だったかどうかはわからないが、額には幾つもの汗が輝いている。
「宮前さん、また何かありましたらお呼びください」
(呼んで欲しくなんかないくせに)
 嘘つきという言葉を榊は飲み込む。言うのはどうにも大人気ないから。
(……なにイラついてんだ、俺は)
 自問なんて必要ない。わかっている、どうしてイライラしているのか。
 榊はため息をついて、キッチンを見渡した。
 仲間であるはずの<朱雀>から受けた攻撃により壊れたものは、これで全て修復がすんだ。といっても、実際に<朱雀>によって壊されたのは窓ガラスとガスコンロくらいで、水道管は榊自身が<青竜>の力を行使した際に壊したものであるが。
(<朱雀>……どこにいる? なぜ、連絡をよこさない)
 あれほど派手な行動を起こして、正守に猜疑心を植え付けて、こちらの問いには沈黙をし――お前はどこにいる、<朱雀>。
(本当に裏切ったとでもいうのか?)
 榊の記憶の奥底に、浮かび上がる1人の男。
 長い金髪を緩く編んだ、女性のような美貌の男――<朱雀>。自分を時には兄のように慕いながら、悩みをぶつけてきた彼の声は、転生した今でも耳に残っている。
「いなくなってしまえばいい……」
 そう言ったのは、確か、自分の背中に頭をコツンとぶつけて寄りかかった時だった。
「<朱雀>!」
 たしなめて振り返ろうとした自分に、彼は消え入りそうな声で言った。
「いなくなってしまえばいいんだ……こんな俺なんて……大切な人を誰ひとりとして守ることのできない、こんな俺なんて……」
(最後にお前は言っていた。何もかも消えてしまえばいいのに、と。……今でもそう思っているのか? だから、裏切ったのか?)
「宮前さん……」
 気づけば、工具を片付け終えた男が床に膝をついたまま、下から榊を見上げている。
 榊は我に返り、大慌てで男に目を向ける。
「……えっと、すみません。……何ですか?」
「え……あ、いえいえ……」
 大きな漆黒の双眸《そうぼう》が急に自分の方へ向けられたことに男も慌て、しどろもどろに答える。
「その、ですね……随分と派手に壊したなぁ……なんてね……」
 痛いところを突かれ、榊は曖昧《あいまい》な笑みで誤魔化した。
 四神の末裔、四聖獣《しせいじゅう》。それぞれの属性に応じた不思議な力を操る彼らは、しかし、所詮は人間であった。生活に困ったときにそれを解消するような便利この上ない能力は備えてなどいない。
 彼らの使える力は<皇帝>を蛮族から守るためのものであり、あくまで戦いに関しての力だけだった。よくテレビや漫画で出てくるような、やれ記憶操作だの治癒能力だのといったものは誰一人備えていない。傷の回復などは世間一般の人に比べれば早いのだが、自分たちの意志で早く回復するといったことはできない。ご都合主義を推進させる能力を兼ね備えていたら楽だったろうにと四聖獣同士で話したこともあった。
 そんな彼らに天も少しは気を使っているらしい。彼らが一同に会するように転生するようになってから、その都度、4人のうちの誰か1人はそれなりの社会的地位を得て転生を果たしていた。必ず誰かに権力や財力を付与させて、生きやすいようにしているのである。今回の場合、それは榊であった。
(週刊誌あたりに変なことを書かれないように、電話を入れておくか……)
「すみません、ちょっと電話をかけてきたんですが……」
「……修理は終わったので結構ですよ。……すみません、あの……洗面所をお借りしてもよろしいですか?」
 榊は修理員の申し出を快諾する。好都合だ。
 急ぎでもないから携帯ではなく実家に連絡を入れることを決めたので、電話をしているところはできるならば誰にも聞かれたくない。榊の両親はそろって議員であるため、スキャンダラスな出来事は外部に漏れないようにしたいのだ。
 彼の両親は共に議員ではあるが、正確に言えば、父は参議院議員、母は衆議院議員である。地方へ出かけることも多く、家に電話してつかまえることは困難な人たちだ。ちなみに、祖父もかつて議員を務めており、今でも政財界に強大な影響力を持っているため、榊の家はかなり名の知れた家なのだった。
 正守の家もかなりの資産があるが、それは正守が生まれた後の結果──正守の父、神楽坂吉守の事業手腕によって築かれたもの──である。生まれたときに社会的な地位が保証されるように転生したのは、今回は榊であったことになる。
 榊は次男ということもあって、両親の支持基盤を継いで議員にならなければならないということはなかった。両親の跡を継ぐのは7つ上の長男だと、両親も長男も、そして榊自身にもわかっていた。
 職業上、家にあまりいない両親や兄は決り文句のように榊に言ったものだ。「宮前の姓に泥を塗らなければ、好き勝手やっていい」と。兄はともかくとして、おそらく両親は、榊に常に自由奔放でいて欲しいと願いそう言っていたのだろう。だが、榊はその言葉を子供心に、自分はこの家のお荷物だから、干渉されずに放って置かれているという意味でとってしまった。それほどの美人でもない母親に対して、榊は四聖獣の証ともいえる、人が決して授かることのない独特の美貌を有してしまったことから、自分はこの家の本当の子供ではないのかもしれないと思ったのも影響しているかもしれない。
 彼にとって、家は居心地の悪い場所だった。誰がそうしたわけでもなく、榊自身がそう思い込んでいた。
 それを変えたのは、一人の男だった。須賀という名の、父の秘書だ。
 まだ30代くらいだっただろう。精悍《せいかん》な顔立ちをした須賀はほとんど笑わない男だった。実際に彼がどんな人物か、榊は知らない。交わした言葉も決して多いとは言えなかった。だが、会話の量と関係の密度がイコールでつながれるわけではない。
 言葉の嘘で築かれた山に座る両親たちを見て育ったから、寡黙な須賀を近くに置いておくのに抵抗がなかったのか? それとも、年の離れた、あまり仲良くなかった兄に本来なら向けられるべき兄弟愛が須賀に対して向けられていたのか? ……そんな、とってつけたような理由はどうでもいいのだ。大事なことは、須賀が誰の命令でもなく自分の意志で榊の傍にいてくれたことなのだ。榊に対して、寂しいなら自分が傍にいてあげますといってくれたことなのだ。
 榊にとって、須賀はずっと、信頼し、甘えることのできる唯一の存在だった。
 あの日──あの瞬間までは。
(忘れられないな、まだ……)
 須賀が脳裏に浮かび、榊は手に取った受話器を静かに置いた。電話をかけると、須賀が出るような気がする。須賀の声が聞こえてくるような気がする。
 過去に味わった衝撃は、彼の記憶に暗く大きな影を落として、今なお色あせない。膿んだ傷を治す薬はどこにもなかった。あったとしても……その忌まわしい過去に真正面から向き合える勇気が榊にはないのだ、探し出せることは不可能だった。
(くそ……)
 考えただけで簡単に再生されるシーン。
“さかき、さ……ん……”
 悪意がない自意識が生み出す悪夢。
(どうして……忘れられないんだ……)
 途切れた台詞《せりふ》。怒声と静寂が交じり合う空間。額に落ちてきた生暖かい暗褐色の血……まるで雪原に垂らした墨汁のように、真っ白な榊の心に落ちてきた、血。
 救急車の赤いランプと、けたたましいサイレン音が榊の周囲をぐるぐると取り巻いて、はやし立てていた。救急隊員の忙しない会話を聞きながら、榊は場違いな冷静さで須賀を眺めていたのだ。
 寄りかかるように自分をかばった須賀が、ゆっくりと横にされる。担架に乗せられた姿を見ながら毛布をかけられ、救急車に乗り込みながらも榊は取り乱さずにいた。取り乱せずにいた。
 死ぬはずがない……この男が自分を放って、1人で死の淵へ赴くはずがない。何を皆焦っているのだろう。そんなことを考えながら、彼は須賀を見下ろしていた。
 須賀の瞼が開いたのは、病院のすぐ近くになってからだった。
 泣きそうな表情で、こわばった唇を動かして、彼は榊に言った。
“……ぶ……じ……で……”
 隣の救急隊員が息を飲んだのを、榊は忘れていない。
 力なく目を閉じた須賀に隊員が処置をはじめた。
 2、3人の人間が須賀を取り囲んで必死に救護をしている様よりも、榊に衝撃的だったのは、言葉が途切れてから動かなくなってしまった瞬間を目にしてしまったことだった。
 そこではじめて自覚した。
 須賀が死に瀕していたことを。そして、最悪の事態になってしまったことを……。
“あ……あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ──────!”
 自分はそこで奇声を発した。横たわる須賀以外は何も目に入らず、何も聞こえず、自分は狂ったように叫んだ。
 狂いたかったのかもしれない。だが、そんな楽になることは許さないというように、須賀との思い出を通り越して、自分の中から湧き出してくるものがあった。遥か過去の記憶が、風によってめくられる本のページのように、次から次へと目の前に蘇った。
 ナイフを手にした男から自分を守った須賀の死。
 記憶の逆流と意識の混濁と……そして、<青竜>としての覚醒……。
“俺たちは……俺たちは、愛しい人の命さえ守れず、なぜ、こんなにも必死になって、<皇帝>陛下を守ろうとしているんだ……”
 <朱雀>の言葉が、榊の胸に突き刺さる。
 大切な人を守れず、逆に、その人の死に際して初めて得た力に、一体何の意味があるのだろうか。
 それでも必死になって<皇帝>を守っている自分たち……。
 蛮族が<皇帝>を害するという。それによって、世界は崩壊の危機に瀕するという。その事態を防ぐために四聖獣は転生を繰り返す。だが、自分たちは何も知らないのだ。
 蛮族がなぜ<皇帝>を害しようとしているのか。<皇帝>はなぜ世界の礎であるのか。<皇帝>とは何者なのか……。
 榊は電話を見下ろしたまま、目を閉じる。それらの答えは記憶のどこにもない。膨大な記憶は、再生する際に常にスキップを伴う。謎を解く鍵が隠されていたとしても、その記憶を探し出すのは一苦労だった。
 四聖獣のうちの誰かに尋ねていけば比較的簡単に答えは出てくるのかもしれない。ただ、それをすることを榊は由としなかった。四聖獣のリーダー<青竜>である自分が、四聖獣の負った役目に関して疑問を抱いたり、<皇帝>に対して不信感を持っていることを露わにすることに抵抗を感じていたからだ。
 榊は、毅然として他の3人を引っ張っていくのが己の役割だと感じているのだ。
(……そして、今生でも俺はわけのわからぬまま<青竜>という役をこなしていくのか……)
「……み、宮前さん……」
 考え込んでいたところに声をかけられ、榊は慌てて振り返った。
 背後に、いつ洗面所から戻ってきたのか、修理員が佇んでいる。
 榊のことをじいっと見ていた。
 また。また、近くに人がいるのを忘れてしまった。
 羞恥心から、彼は男の視線を逃れるように周囲を見渡し始めた。
「ああ、すみません。考え事してて……代金、いくらですか?」
 取り繕うように早口で言い、彼は財布を探しだす。幸いにも、手の届く範囲にそれは見つかった。
 修理員の背後にあるテーブルの上に無造作に財布は置かれていた。財布を取ろうと彼は手を伸ばす。その手首を修理員が掴んだので、ぎょっとして榊は男を見た。
「え……?」
 それ以上、言葉を紡ぐ時間はなかった。男は榊の腕を引っ張り、榊を自分の方に引き寄せた。それから、勢いでもってテーブルに榊の体を仰向けに押し付けた。
「す、少しですから……」
 荒れた息を耳に吹きかけられて、榊は眉根を寄せる。
 唖然として、呆れていた。
 少しですから、って、何がだよ、と心の中で呟く。修理中からことあるごとにこちらを見ていた、どことなく落ち着きのない視線の正体を知ったのだ。
 右手でまどろっこしそうに男は榊のベルトを外しにかかった。押し付けられた股間に吐き気をもよおしながら、榊は対処を考える。冗談ではない。冗談であったとしたも、性質《たち》が悪い。
(一般人にはあまり使いたくないが……)
 体ごと押さえ込まれているため、身動きが取れない。選択の余地はないようだった。
 <青竜>としての力を使って男を退けようと思ったそのとき……。
「あ、あちぃ!」
 体重を乗せて榊を押さえていた男の体が、ものすごい勢いで榊から離れた。榊を押し退けるようにして。
 肋骨の上を強く押されたのと、ハウリングのように耳元で大声を出されたのとで、榊は目を細める。何が起こったのか、まるでわからない。
 右手首を必死に抑えながら水道へ走っていく男が視界の隅に映る。同時に、凛とした女性の声が耳に入ってきた。
「見るに耐えないわ」
 驚愕し、榊は声の主を探した。
 第3者が部屋の中に入ってきたことに彼は気づかなかったのだ。
 扉の近くに、1人の少女が立っていた。紺色のブレザーに赤いリボン……女子高校生のようだ。胸のと同じ色のリボンで高い位置に髪を結っている。黒い目は大きく見開かれ、そこには軽蔑の色が満ち満ちていた。
 榊の知らない少女。
 だが榊は、一見して、少女の正体よりも、少女がかなりの美少女だということに目が行ってしまった。
「まさか、自分から誘ったわけじゃないでしょうね、<青竜>。そうだとしたら……完璧に軽蔑する」
「そんなわけは──君は誰だ?」
 榊は少女をまじまじと見つめた。
 腰に手を当て、偉そうにしている少女は、彼の問いに答えなかった。
「私が誰か、ですって? 聞く前に少しは考えてちょうだい。脳みそあるんでしょ、ノ・ウ・ミ・ソっ!」
 榊は唇を一文字に結んで少女を見た。それから、必死になって水を出して手を冷やしている男を見る。
 やがて、榊は戸惑いながら言葉を発した。
「<朱雀>か?」
 正守の時のような直接的な接触がないので、弱々しい声になってしまったが、確信はあった。
 人をからかうような物言い。――自分を<青竜>と呼んだこと。
 少女は、唇の端を微かに吊り上げる。勝気な顔に浮かんだ笑みは、少女を生き生きとさせている。
「ハズレ」
「ハズレ?」
「嘘。アタリ」
 言ってから、少女は人差し指をちっ、ちっ、ちっ、と振って、
「私は<朱雀>なんて名前で呼ばれたくないから、ハズレにしたいんだけどね。今までの転生と同じ、名前の方で呼んでほしいの、宮前榊」
 それは懇願というよりも命令の語調だった。
 この押しの強さは<朱雀>以外の何者でもない。天邪鬼《あまのじゃく》なところも、変わっていない。おそやく、言い出したら聞かないところも直ってはいないのだろう。
 榊はテーブルに手をついて、呆れるように会話の続きを始めた。
「……榊でいい。名前を呼ぼうにも、俺は君の名前を知らない」
「女の子に名前を聞くには野暮な理由ね」
「……」
「ありさ。やしろ、ありさ。神社の社で『やしろ』。『ありさ』は、アジアの『亜』に、理科の『理』、さんずいに少ないと書いて『沙』。……覚えた?」
 薄いピンクのマニュキュアが塗られた人差し指で、空中に順々に漢字を書いていく。
榊の脳裏には、かつての金髪男性だった<朱雀>が住んでいるからだろう、何とも奇妙な面持ちで、彼は女性になった<朱雀>を凝視していた。

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