かまいたちの饗宴
≪2≫深紅の祈りの果てに
(2)
信号が青に変わる。
髪を高く結った少女は、ゆっくりと横断歩道を渡っていった。その姿をすれ違う人々は、異世界のモノでも見るかのように目で追っていく。
美少女と言われる女の子は多いが、彼女はその中でも際立っている部類に属すだろう。すらりとした姿態に彫刻像のような整った顔立ち、勝気な性格をよく反映している目元が印象的である。
彼女を表す言葉は見当たらない。俗っぽいが、神々しいというのが一番当てはまるような雰囲気である。たしかに、街の看板や壁にしつこく貼られた薄っぺらい笑顔の少女たちとは一線を画しているのが、一見してわかる、そんな少女だ。
事実、彼女は他の人間とは異なった種の人間である。そのように完成された美は特別な存在にだけ与えられるものであり、少女は特別な存在であった。だが、彼女はそれを嬉しいと思ったことはなかった。特に、自分が重い宿命を背負っていることを知ってから、そのような美しさなど目に見える枷《かせ》と同じでしかなかった。
人々の視線を奪いながら横断歩道を渡り終わると、彼女はそこで立ち止まる。穏やかな風に身を委ねるように腰まで届く漆黒の髪をなびかせて、ゆっくりと少女は振り返った。
視線の先には、外観の良いマンションが建っている。その最上階へ目を向けて、彼女は唇を動かした。
「わかっているわよ、<青竜>。私だって、馬鹿じゃない……」
聞こえていないことがわかっている。だからこその独白。
火の属性である<朱雀>が水の属性である<青竜>に戦いを挑むのがどれだけ馬鹿げているかなど、言われなくてもわかっている。――いや、属性がどうのこうのではない。
四聖獣のリーダー格である<青竜>と自分との間には、歴然とした力の差がある……勝てるわけがない。幾度も転生を重ねて、自分は思い知らされている。<青竜>よりも強力な力を持ってなどいないということを。
だから、本気で歯向かうつもりは毛頭ない。
今のは『警告』なのだ。
今までとは少し違う<朱雀>であることを示し、場合によっては刃を交えてもいいという覚悟を表したものなのだ。
「すまない、<青竜>……。私は、どうしても確かめたいことがあるんだ」
そのためには、脅してでもお前を味方に入れる。
「もう、終わりにしたいから、こんなこと……」
言いながら、彼女は心臓の上に両手をかざし、そこではためく制服のリボンをぎゅっと掴んだ。
転生以前の心の傷は、ゆっくりと、だが確実に、血を流しながら拡がっている。今、この瞬間《と き》でさえも。
癒す方法があるとは思えない。だが、このままでいるのは違うと思う。
(<皇帝>……あなたは何がしたい? 私たちが傷つきながらも懸命に守っているあなたは、一体何をしている?)
問い詰めることで何かが変わる。そんななんてことは期待していない。
ただ、気持ちに区切りをつけたかった。
自分の運命から逃れられないとしても、納得のいく答えを見つけたかった。
(<青竜>……お前なら、私の痛みをわかってくれるはず……)
<白虎>のように簡単に切り捨てたりはしないはずだ。きっと、手を差し伸べてくれる……そういう優しさを持っているから。
両手を開いて、彼女はじっと見つめた。
覚えているはずのない、愛しい人の事切れる瞬間の重みが、そこにある。
失った温もりと失えない記憶。
抑えられない感情と、抑制された己の能力。
抱えて生きていくには、辛すぎて。自己欺瞞《ぎまん》は切なくて。
もう、終止符を打ってしまいたい。
(過去は消せない。だから、今、つけられなかったケリをつける)
両手でしっかりと拳を形作り、少女は瞼を閉じた。
(私はこの宿命の意義を見出してみせるぞ、<青竜>)
唇を堅く結んで、少女は顔を上げた。
そして少女は、再び歩き出す。
彼女の背後で信号が、瞬きを繰り返し、今やっと、静かに赤に変わっていった……。
水浸しになった床を見下ろした正守はため息をつく。
それから冷ややかに言った。
「早くも造反者か」
ガスコンロの元栓を閉じ、榊が背中を向けたままで答えた。
「……まだ、そうとは限らない」
髪を伝って雫が落ちる。
自分の言っている言葉が何の説得力もないことを彼は十分知っていた。
だが、少しずつ冷静さを取り戻した榊は、<朱雀>の行動が何を意味しているのか、懸命に答えを見つけている。そのため、すぐに「裏切り者」と決め付けたくはなかった。
(あいつは、裏切らない)
信じている、というのとは少し違う。これは、純粋な計算。
(あいつは、裏切れない)
自分との力量を考えれば、<朱雀>は馬鹿ではない、敵に回るなどほぼありえないことだ。
「随分と余裕な発言だな、ええ」
ぐい、と榊の肩に手をかけて、振り向かせてから正守は続けた。
「……こんな仕打ちをする者を、味方、だと? お前は甘すぎる……」
数センチ上から高圧的に見下ろしてくる2つの目。榊は見つめ返した。
本来ならば鳶色であるはずの瞳は、色付きコンタクトを入れたかのように白くなっていた。表情は笑っているのだが、その2つの目だけは笑っていない。身が竦《すく》むほどの真摯さで榊に語りかけてくる。
正守は今、<白虎>なのだ。荒々しく攻撃的な、誰よりも<皇帝>に忠誠を誓っている<白虎>そのものなのだ。
白い瞳は彼が<白虎>となっていること、力を解放していることの証明である。
普段の軽快な波長を微塵《みじん》も感じさせず、正守は榊に敵意に近い眼差しを向けた。
置かれた手をそっと外して、榊は正守に負けない真面目な面持ちで言う。
「<朱雀>は俺たちにとって味方だ。甘いとか、そんなのは関係ない」
「──笑止な。その甘さがいつか命取りになるんじゃないか、<青竜>」
「<白虎>」
榊、ではなく、<青竜>と呼ばれたから、榊もあえて彼を<白虎>と呼んだ。
「俺は慎重なだけだ。甘いと言われるのは心外だ……。貴様の即物的なものの決め方は時として賞賛に値するが、寝ている虎を起こす危険性と背中合わせだということを忘れるな」
「何事も、安全に行えるものなんてないと俺は思うけれどな」
小馬鹿にしたように鼻で笑い、正守は榊から視線を外した。
「虎は、寝ていようが起きていようが虎であることに変わりはない」
背を向け、部屋を出て行こうとする。
正守の背を見て、榊は唐突に思い出した。彼が自分をかばい、傷を負ったことを。
「どこへ行く?」
手のひらを振りながら、正守は背を向けたまま答える。
「着替えに行くだけだよ。心配するな、手当てするほどの傷じゃない。それよりも、このままじゃ風邪を引くからな」
服を勝手に借りるぞと言い残すと、正守はリビングを出て行った。
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