かまいたちの饗宴

≪1≫予兆…

(3)

(あれから2年……か)
 少しは男らしくなったものの、相変わらず美少女の延長線上を行く青年の濡れた髪を見つめながら、正守は過ぎた月日を思い返す。
 敵が誰だかわからず、それどころか味方がどこにいるのかさえわからなかった、無意味な月日を。
 しかし、その日々にも区切がつけられるだろう。これは、その始まりだ……そう思いながら、榊専用のマグカップにコーヒーを注ぎ、正守は口を開いた。
「榊、桜井グループ、わかるか?」
 フォークで目玉焼きを突付いていた榊の手が、ピタリと止まる。
「最近躍進してるソフトウェアの会社、桜井グループだったはずよな?」
 確認するかのように、彼は正守を仰ぐ。正守は彼を見つめ、首を縦に1つ振った。
 桜井グループ――桜花証券、桜花生命を中心とした中堅グループだ。有名な芸能人をCMに起用しているため、知名度もそこそこある。
 正守の父親が経営する会社と提携を結んでいる関係もあり、電車の中吊りを目にしたときの話題になったこともあった。
「桜井グループがどうかしたのか? とうとうお前の父親、ぶつかったのか?」
「さてな。もしそうだとしても、ぶつかったかどうかは俺には関係ないことだ」
「冷たい奴だな」
「お前に人のことが言えるのか、放蕩息子」
 マグカップを榊に差し出し、正守は悪びれもせず言い返した。
 切り返しがくるとさすがに話が進まないので、彼は息つく暇も無く口を開く。
「桜井グループに関して、面白い情報が入ってきた」
「面白い? ……俺たちに関わっていると?」
「話の流れでいけばそうだろう?」
 愚問、とばかりに言ってから、彼は榊の様子を見る。
 出されたブラックのままのコーヒーに口をつけ、少し飲んでから榊は別の疑問を投げてきた。
「……<東夷《とうい》>本人がいるのか?」
 口調が少し、強張る。
 おそらく、榊本人もわかっただろう。
 <東夷>……その名は榊にとって切っても切れない縁《えにし》を持った名前である。<青竜>と対峙する東の蛮族の呼称であり、今生では日本という東の領域に転生を果たした四聖獣にとって、敵を表す言葉でもある。
(やっと会えるのか……)
 榊は、思考を気取られないよう少しだけ目を伏せる。
 <皇帝>以上に、彼は<東夷>を捜し求めていた。
 もう、ずっと以前から。<東夷>と呼ばれる者を捜し求めていたのだ。
「残念ながら、本人じゃない。だが、<東夷>に近い者がそこにいるようだ……」
 榊はフォークを置いて、肘《ひじ》をつくと、黙って爪を噛んだ。
 <青竜>が東の地から離れたのは優に千年も昔の話。この千年以上もの間、彼は他の四聖獣が統括する地へ次々に転生していた。千年前に戦った<東夷>の行方、<東夷>一族の動向は何一つ掴めていない。
 もちろん、榊自身も情報を収集しているが、思ったようには集まらなかった。<東夷>はおろか、残る<朱雀>と<玄武>のことさえわからずじまいだ。
 いつも正守が持ってくる情報は正確で、信憑性もあり、どうやって知ったのか疑問に思うほどであった。が、考えても答えの出ない問いはせず、彼は与えられた情報から最善の方法を選び取っていった。それしか自分が役目を果たせないと思っているために。
 もどかしい気持ちを抑え、彼は爪をさらに強く噛んだ。
 <東夷>もおそらく、こちら側の動きは把握できてないだろう。先に尻尾を掴んだ方が優位に立てるに決まっている。
 ただ、正守と再会して2年、<東夷>の姿はまだ見えてこない。こういうときは、自分が東の守護者であることから、悔しく、苛立たしい気持ちになった。
(焦っても仕方ない……わかっているはずだ)
 一朝一夕でどうにかなる話ではなく、長期戦になることは覚悟していたはずなのに。
 過去の過《あやま》ちから負った傷が、記憶の中で「早く早く」と急き立てる。
 「早く早くケリをつけろ」と。
 新たな傷が増える前に……。
「おそらく、側近中の側近と思われるが――会ってみるか?」
 無言でいた榊を訝(いぶか)り、正守が話を進める。
 弾かれたように榊が顔を上げた。
「可能なのか?」
「場合によっては。こう見えても俺は御曹司……」
 不意に正守が口を閉ざす。
 湯気の上がるマグカップをテーブルの上へ置き、彼はベランダへ歩いていった。
 榊の部屋は最上階にあるためか、窓の外に見えるのは、いくつかの高いマンションだけである。その風景は、普段と変わらない。
 それでも、榊の隣に佇み、外へ向かって鋭い視線を投げかける正守は、さきほどまでの空気からは想像できない緊張感をみなぎらせていた。
「正守……?」
 正守は榊の方をちらとも見ずに、堅い声で返してくる。
「……誰かが来たぞ」
「……?」
「来たぞ、榊」
 誰が?
 問う前に、遮るような早さで正守が言葉を発した。
「敵か味方かはわからない。だが、このマンションの近くにいる。間違いない。風が、伝えてきた」
「そんな……俺は、何も感じないぞ」
 条件反射的に、榊は腰を浮かす。
 彼の住んでいるマンションの地下では、マンションを大きく囲むように下水道管が通っており、榊はそれに沿って水の結界を施していた。結界は、侵入者を排除することはできないが、それを榊に知らせることはできる。
 しかし、今、現実に、榊は侵入者の存在など感じていないのだ。
「間違いじゃないか?」
 言うと、正守の涼しげな眼差しが苛烈な光を発し、射抜くように榊へ向けられる。
「誰に言っているんだ? 俺が、風読みを間違えるとでも?」
 そんなはずがないことは、榊にもわかっている。
 では、どうしたことだろう。
 <青竜>である榊にとって敵とは認識されない、だが、<白虎>である正守にとって敵と認識される存在が来た――とでも言うのか?
「じゃあ、どういうことだ……」
「さぁ、な。……さすがに俺でも、それ……」
 はっとして、正守が口を噤(つぐ)む。
 眉間に皺をつくった榊に、次の瞬間、正守が怒鳴った。
「榊!」
 言うよりも先に、彼の体は動いていた。
 正守は、傍らの榊をかばうように、中腰の榊の上に覆い被さった。突然のことで、正守に押し倒され、榊は背中から床に倒れ、したたかな痛みを覚えた。
 驚く間もなく、派手な音をたてて窓ガラスが砕け散り、まるで、爆風にあおられているみたいに榊と正守めがけて飛んできた。
「正守!」
「くっ……」
 短いうめき声。
 ガラスが肉に突き刺さる醜悪な効果音。
 それらを耳にした榊は、自らが怪我でもしたかのように、顔をしかめた。

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