かまいたちの饗宴

≪1≫予兆…

(2)

 榊がバスルームへ消えていくのを見送って、リビングへやってきた正守は食器棚から自分専用のマグカップを手に取る。
(いくら大人なフリをしてても、まだまだガキだ)
 2つしか違わない榊のことを、正守はそう評した。
 自分が榊の歳には、今のように髪をオールバックに固め、余裕を持って大学へ行っていた。
 と言っても、出ると決めた授業のときだけなのだが。
 どうでもいいと認識すると、彼は徹底して授業を休んだ。無味乾燥と言っても差し支えない授業に費やす時間など、彼にはないのだ。
 学生生活に加え、事業家である父の手伝いもしなければならない。やらなければならないことがたくさんある、家で他人に起こされてシャワーを浴びるなんて行動は、正守には数えるほどしかなかった。
(どうも、出会い方が悪かったな)
 奇しくも、少し前に宮前榊が考えたことと同じ意見を抱いていた正守は、コーヒーに口をつけながら忘れもしない彼との邂逅に思いを馳せようと椅子につく。
 自分と彼の、常人とは違う自分と彼の、邂逅に。



 五行の思想より生まれし架空の動物に、四神《ししん》というものがある。
 東西南北をそれぞれ守護する4匹の聖獣のことで、東を守護する<青竜>、西を守護する<白虎>、南を守護する<朱雀>、北を守護する<玄武>のことを四神と呼ぶ。
 それらが決して架空の動物ではないということを知っている者たちが、ほんの一握り、この世の中には存在していた。
 彼らは四神の末裔で<青竜>は水を、<白虎>は風を、<朱雀>は火を、<玄武>は大地を操る――今日《こんにち》まで伝えられている五行のどの説とも微妙に異なる属性の――力を受け継いでいる。そのため末裔たちは、普通の人間たちとは一線を画し、四神の後継者、四聖獣《しせいじゅう》と呼ばれていた。
 四神の力を受け継ぐ四聖獣はそれぞれ1人ずつ、全部で4人。彼らは、いつの時代も、歴史の裏側から静かに人の世に介入を続けた。人の世を守るために。人間社会の崩壊を狙っているといわれる蛮族たちから、世界の基盤<中華>と、その中心たる<皇帝>を守るために。
 四聖獣は初め、世界各地に散り、その地と自らが守護する方位を元に<皇帝>を守っていた。無論、蛮族たちと戦うのに1人では力不足だったため、人と契約を交わし、自分自身を王とすることによって一族を形成しながら役目を果たしていたのである。
 それがいつしか、彼らは同一の場所に、同時期に転生を繰り返すようになっていたのだ。それまで顔を合わせたことのなかった彼らが、示し合わせたかのように転生の度に顔を合わせるようになっていた。
 理由は、いつの時代もわからぬまま。
 けれども、それぞれが異なる理由で、契約を交わした人間たち……一族の者を失っており、4人で力を合わせることに反対する者はいなかった。
 反対はしなかったが……それでも、誰もが心で問うていた。
 なぜ、と。
 なぜ、自分たちは何かを失ってまで、こうして集まり、<皇帝>を守るのか、と。
 答えを知るのは、鍵を握るのは、彼らが守っている<皇帝>だけ。<皇帝>の継承者を中心に、4人の転生は成されるものだから。
 なのに、不思議なことに、彼らは未だかつて、自分たちの<皇帝>を見たことがなかった。一度として。自分たちが存在している以上、確実にどこかで生きているはずなのに……。
 <皇帝>の真の役割とは何なのか──転生を繰り返しながら、命を懸けてまで守る存在とは何なのか?
 彼らの疑問は、転生という名の螺旋状の迷宮の中で、もがき、彷徨《さまよ》い、苦しみ、そうして消えていく命と共に、自分たちを嘲《あざけ》り蔑む闇へと飲み込まれていくだけなのだ……。
 それでも、彼らは必死になって何かを掴もうとしながら、己の使命を全うしていた。
 そんなある日。 
<青竜>宮前榊と<白虎>神楽坂正守は出会った。
 無意味とも思える日常を過ごしながら、出会うべくして出会ったのだった。



 路地裏から弾丸のごとき速さで飛び出てきた3人の少年に、正守はびっくりした。
 ぶつかりそうになるのを反射的に避けたその刹那、よれよりになったブレザーのネクタイに、微かな血を目ざとく見つける。それだけで、何があったのかすぐに見当がついた。
「若いな……」
 羨望を込めて独白し、彼は少年達が去っていた方へ目を向ける。
 日は、暮れ始めていた。群青色に侵食されている夕焼け空の下、色とりどりのネオンサインがそこかしこで灯りだした。人が増えてきたが、本来の賑わいには到底追いつかないくらいの量しかいない。こういう時間は、ケンカにはうってつけなのだと、何度も一方的に売られてきた彼は知っていた。
 去っていった少年たちは、高校生だった。濃い緑のジャケットが記憶のどこかにひっかかっているので、意外と近くの学校なのかもしれない。通り過がりの好奇心で、正守は路地を覗いた。
 暗がりの中で人が動いたのを見たのは、覗いたのとほぼ同時。
 壁に寄りかかるようにして立ちながら、何度も唾を吐き出している。
 口の中でも切ったのだろう。ふらふらしているようにも見えて、正守は手を貸そうと路地に足を踏み入れた。
「大丈夫か?」
 親切にしたかったわけではない。「単なる偶然」だった、彼が声をかけたのは。
 相手が驚いたように顔を上げ、路地に差し込む古びれた看板の灯りから少年の素顔が正守の視界に入ってきた。
 正守は、絶句した。
 少年はカッコイイとはとてもじゃないが言えない姿で立っている。右目の辺りを赤く腫らし――これはきっと、後であざになるに違いない、と彼は予見した――唇の端は両方とも切れているのだ。痛々しい姿は顔だけでなく、左のわき腹を抑えている腕の手の甲がすり傷だらけのところも、見ていて気分のいいものではない。
 だが、彼が絶句したのは別の理由だった。
 少年があまりにも端正な顔立ちをしていたのだ。
(これじゃあ、ケンカもしづらいだろうに……)
 少年が気にかけていないとしても、相手は殴るのも躊躇《ちゅうちょ》するかもしれない。華奢、というわけでもないが、見様によってはボーイッシュな美少女である。
 事実、正守はほんの一瞬のことではあったが、少年が少女に見えたのである。
(それにしても……俺が見惚れるなんてなぁ……)
 しかも、男に。この自分が。
 正守は、自分が常人とは一線を画した美貌の持ち主であることを自覚していた。人づてで頼まれ、絵のモデルをしてこともあり、顔だけではなく、体全体がバランスのとれている美形だと自他共に認めていた。
 そのため、街を歩いているだけで同性にも異性にも見惚れられることがしばしばある。しかし、自分から誰かに見入ってしまったことは片手で足りるくらいの回数だった。
 だが、珍しいからといって、いつまでも凝視しているわけにもいかない。
 彼は内心の驚愕を見事に微塵も表に出さず、少年に向かって手を差し伸べた。
「少年」
「……なんだよ、おっさん」
 顔に反さず、男にしては少々高めの綺麗な声が、生意気な言葉を返してくる。
「おっさん?」
 正守は無意識に眉間に皺を寄せる。
 一体幾つに見えているのだろうと訝ったのだが、手を下げることはしなかった。
「元気がいいのは結構だが、足元はふらついてるぞ。ほら、掴まれよ」
「……」
「手、貸してやる。かっこつけてても始まらないだろう」
「大きなお世話だよ、おっさん」
「小さな親切、だ。だいたい、おっさんはないだろう。俺は四捨五入しても20だぜ」
「大きなお世話だって言ってるんだ!」
 少年は声を荒げて、差し出された正守の手を払いのけた。
 その刹那。
 一瞬触れ合った指先から閃光が二人を照らし、消えた。火花を散らしたのだ。
 静電気のような軽いものではなくて、それは、強いきらめきを放ち、存在を印象付けているような強烈さがあった。
 そして、二人は同時にそれを見た。
 正守が発した白い光と、少年が発した青い光を。その光がぶつかりあう様を。
「あんた……」
 少年の声が初めて震え、大きく見開かれた目が、零れ落ちそうなほど大きな黒い目が、じいっと正守を凝視してくる。
「あんた、<白虎>の継承者なのか?」
 掠れる声で榊が呟いた。
 忘れられない、強烈な、出会い──。
 すべては、そのときに決まった……彼らが望むと、望まざるとに関わらず。

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