もしもレヴァリスとマティスが同じ世界で出会ってしまったら……「懐疑の森編」

風間あきこ様@【晴れた朝も雨の夜も】から頂きモノ

 烏珠《ぬばたま》の闇がしっとりと全身を包んでいる。マティスは数回瞬きをし、目の前の闇が目を閉じているためではないことを確認すると、そろそろと手を伸ばした。指先に柔らかな土と萌え若い下草の手触りを感じ、ようやく、午後の陽気に誘われて朽木の室で転寝をしていたことを思い出した。
 ――何刻くらいだろう。
 マティスはそろそろと室から顔を出し、高く架かる月を見上げて思わずため息をついた。もう、とっくに夜半を過ぎている。このまま夜明けを待つしかない。いくら世慣れていないとはいえ、夜更けの森に魔が潜むことくらい、マティスとて分かっていた。
 そのとき、ピンと星が鳴った。ふわりと草をかき乱す風が、微かな調べをマティスに届ける。
 ――星鳴り? いや、楽だ。
 切れ切れの調べに乗せて、細い声が鳴いている。ゾクリと背に走った異様な感覚を振り切り、マティスは思わず身を乗り出した。
 ――シャタール……? いや、似ているが、弦の響き方が違う。それ以上に、音階が……。
 どんな恐怖も、好奇心には勝てない。マティスは足音をしのばせ、そっと木の室を這い出る。そして目を閉じると、音の響きに誘われるように足を踏み出した。

 ――我が祈りの調べに 心を添わせ 降り積もる悲しみを 解き放て
    怒りと苦しみで千切れた魂を 我が結い合わせる
    第一の弦は 慰めを 第二の弦は 抱擁を
    第三の弦で 口付けを 第四の弦で……

 マティスは、木の影から湖を隠れ見た。湖の辺の岩場にその人影は腰掛け、見たことのない四弦の楽器をかき鳴らし、細く通る声で歌っていた。
 月の光に照らされた髪は闇よりも黒く、白い肌は微かに発光しているかのような輝きを持っている。閉じられた瞼は長い睫毛が影を落とし、色味のない頬を裏切るように滑らかな唇は濡れて紅い。細く白い指先が弦を弾くたびに、周囲の草木が震え、風さえも鳴いた。
 マティスは思わず身を振るわせる。
「誰?」
 不意に楽は消え、叱責するような声が飛んだ。
 閉じられていたはずの瞳が、真っ直ぐにマティスを見つめている。
「私の歌を聴いたのね」
 仕方なくマティスは木の陰から滑り出た。水草の茂る浅瀬に進み出ても、彼女の視線は変わらなかった。容赦のない瞳がマティスの姿を眺め、左目を隠す銀の飾りに目を留めると、思案げに揺れた。
「今のは……」
 問いかけようとして、マティスはどう問うていいものか分からなくなった。あれは確かに『歌』だったが、それ以上に深く世界に関わり、影響するものだった。強いて表現すれば『運命』や『世界』に似た響きだった。鼓膜から入り、魂を振り動かす――その声に死ねと言われたら、迷いなく湖に身を投げてしまいそうだ。それを――そのものを、何と言って問えば理解できるだろうか。
「そう。問いかけるだけでは、世界の姿を知ることは出来ない」
 まるでマティスの迷いを見切ったように、紅い唇が満足そうに微笑み、細い指先が弦を弾いた。
「面白い子。私が楽を奏でてあげましょう」
 ピンと、三の弦が鳴らされ、風が鳴く。マティスがゆっくりと旅のマントを脱ぎ捨てると、短い胴着の下の銀の鎖が風に鳴った。
 二の弦にあわせて、両手を天に捧げると、星の光が体を照らす。指先を震わせ星の光を表しながら、マティスは大きく足を踏み出した。浅瀬の水が動きに合わせて跳ね、月の光を反射して、チラチラと高い音を立て、一の弦の音と同時に波間で砕けた。
 ――光だ。
 マティスは大きく体をのけぞらせ、弓のようにしなった腕で中空に光の軌跡を描いた。月と星と、互いに響きあい、引き寄せ合っては弾ける、魂の軌跡。
 一の弦に導かれて、魂は鳥に姿を変えて飛び上がる。高みを目指して駆け上がった魂は、太陽に照らされて砕け、雨になって大地に降る。その営みを繰り返して、草が萌える。
 二の弦の響きで花が燃える。炎のような情熱の中で蜜を絡めあい、互いを溶かしあって一つになり、滴り落ちた大地に染みとおり、大地を肥やす。
 三の弦で風が鳴く。大地を削り取り、草を倒し、遥かに高みまで魂を奪い去り、戯れに振り落とす。悲しみには悲しみの声で、喜びには喜びの声で、鏡のように名前を呼んでは去る。
 そして、四の弦は――。
 不意に、舞っていたマティスの膝ががくりと落ちた。
 黒髪の人影は、突然途絶えさせた琵琶をそっと岩陰に置くと、湖の上を滑るように歩いてマティスに近づいた。
「いつか世界を知った後に、この琵琶の続きを聞かせてあげましょう」
 突然の呪縛を責め、問いかけるようなマティスの瞳を見つめたまま、細い指先がそっと唇に触れた。漆黒の瞳の中に映る自分の姿を見つめたまま、ゆっくりとマティスの瞳から力がなくなり、夢見るように瞼が閉じられていく。
「おやすみ。もう、こんな森に迷い込んでは駄目よ」
 ――そう、人は迷う。心が分かるほど、共鳴するほど、震える魂は深く迷う。
「ここに居る私は影。そして、あなたも」
 ふわりと黒髪が広がり、微笑みと、月に照らされた湖だけが残った。

 ――第一の弦は 慰めを 第二の弦は 抱擁を
    第三の弦で 口付けを 第四の弦で 安らかな死を
    懐疑の森は魂の畔を過ぎて
    月の架かる夜に あなたと私を繋ぐ


     了


 あきこさん、素敵な作品をありがとうございました〜&アップが遅れちゃってすみません(爆)
 ワタシが書くレヴァリスよりも神秘的で、すげぇ!って驚いてしまいました。あきこさん、『楽師』の続き書いてください(笑)

Novelism】へ戻る