ある楽師の物語2

≪前編≫

 部屋の隅の小さな窓。
 ガラスの嵌めこまれていないその窓の外から運ばれてくるのは、乾いた空気と微量の砂。
 突き刺すような日差しに目を細め、レヴァリスは眼下に広がる風景を一望した。
 うだるような暑さを感じるのは、気候のせいだけではあるまい。高くそびえる城壁の向こうから、城下の民たちの賑わいが熱気となって城まで届けられている……レヴァリスはそんな気がして、手の甲で額を拭った。
「あら、レヴァリス様。そのような格好で陽を受けてはいけませんわ。ご自慢の白磁の肌が赤く染まってしまいます」
 扉代わりの布をくぐって現れた侍女が、慌てふためいてレヴァリスの元へやってきた。
 ため息を1つついて、余計な事をされる前にレヴァリスは窓際から去る。めくり上げて留めた窓布はそのままにして。
「お暇なご様子ですわね」
 可笑しそうに侍女が忍び笑いを漏らす。
 ──どうしてこう、ここの国の人は遠慮というものを知らないのかしら。
 心のうちで毒づくと、レヴァリスは憮然とした表情で答える。
「宴まで出番のない身です。忙しいはずはありませんわ」
「中庭へ行ってみたらどうでしょう? 今の時間でしたら、塔の影が大部ありますし、噴水もございますので涼むことができますわ」
 入り口近くの壁に寄りかかり、レヴァリスはちらりと侍女を見る。
 からかっている様子はない。
(気のせいかしら)
 襞(ひだ)の多いベージュの衣服は一見すると彼女を踊り子のように見せる。それだけでも王城にいれば目立つというのに、稀有なる漆黒の髪に漆黒の双眸が人の目に留まらないことはないだろう。
 見世物になることをどこかで期待しているのはないか……そんな風に疑ってみたが、それは考えすぎだったようだ。
 侍女は、レヴァリスの寝所を整える手を止めて、曇りのない笑顔を向けてくる。
「今夜の宴に備えて体調を崩さなぬようにしてくださいませ。私、音に聞くレヴァリス様の楽の音()を楽しみたいのでございますから」
 うっとりと、崇拝するような目で見つめられ、レヴァリスは壁から離れると布をめくって部屋から出て行くことにした。
「レヴァリス様?」
「中庭に行ってまいります」
 羨望も畏怖も嫉妬も、自分に絡んでくる視線がうっとおしい。
“お前はもう少し、私の元に留まるべきだよ。世の中はまだお前を奇異な存在として見るのだから”
 思いもかけず、師匠の言葉が耳元を掠める。
 それから逃げるように──全てから逃げるように、彼女は部屋を出た。



 大陸の中央に位置する軍事国家、ウルヤ。
 その規模はレヴァリスの住む国などとは比べ物にならない。文化の中枢は西の諸国へと移行したが、それでもウルヤが持つ力が減少することはなかった。今でも大陸はこの国を中心に動いている。
 広大な領地の半分以上を砂漠に囲まれたウルヤにレヴァリスがやってきたのは、数日前のことだった。
 レヴァリスの国の王女、フィーラとウルヤの王子、ハインシェの婚儀前祝がウルヤで行われることになり、大陸に名の通った楽師レヴァリスが楽を奏じるべく連れてこられたのである。
 普段、王城でさえ気が向かなければ演奏などしないレヴァリスであるが、さすがに国の威信がかかっているからと王に頼み込まれては断る術がない。
 嫌々ながら、という態度を前面に出しながら、彼女はウルヤに来たのであった。

   ◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 城下にさえ数少ない緑の木々が、視界を全て覆い尽くす。
 花はない。だが、それでもなお、心を癒すような風景だ。
 砂の黄金色と肌の赤茶色で染めあげられた国のなかで、この中庭だけが開放感を与えてくる。
 限られた色の支配を無くすことによって。
 噴水から飛び散る水しぶきが太陽光に反射して煌き、潤いを心にまでもたらす。
 石の上に静かに座し、レヴァリスは水にそっと手を差し入れた。
「冷たい」
 ひんやりとした感触。一瞬だけ伏し目がちに目を細めたが、その艶やかな唇には微笑が刻まれる。
 思えば、久しぶりの余暇である。
 厳密に言えば仕事で来ているのだが、手の空いている時間が長いので余暇と言えば余暇なのだ。
 用のない日は、近くの孤児院で練習がてら演奏を聞かせることが多い。城門の外に広がる森はもちろん、その奥まったところにある泉へと足を伸ばすことは稀どころか皆無である。
 「森」という場所にどうしても行けない理由が彼女にはあるのだ。
“恋人でもいれば暇なんてなくなるわよ、占い師さん!”
 いつも占いを見てもらいに来る少女は、レヴァリスを茶化しながらそう言ったことがある。
 恋や愛に憧れる年代なのだろう。瞳を輝かせて男の話をしにやってくる。
(恋なんてそう簡単にできるものじゃないから)
 感情が云々ではなくて。
 相手がどうこうではなくて。
 自分が、こうだから。
 大陸随一の腕前の楽師と吟遊詩人に謳(うた)われる女。
 漆黒の髪と漆黒の瞳を持つ、魔女。
 ──恋などができるはずがない。
 自分自身に対するそういった考えを打ち破ってくれる男でもいれば別なのだろうが。
 そんな男には出会ってないのが実情だ。
「本当、冷たいわね」
 世の中の男たちは。
 そして……いつまでもそんな風に冷めている自分が。
「それはそうです。水なのですから」
 ビクリとして彼女は顔を上げた。
 いつからそこにいたのだろうか、1人の青年が佇んで彼女を見ている。
 茶色い長髪をきっちりと結んだ美青年だ。腰に剣を携え、柱に手をつきこちらを窺っていた。
 盗み見とは、無作法な。
 言葉を胸にしまったまま、彼女は睨むように青年を見据えた。
「何か御用でしょうか」
「いえ。私はドクテルの王子、ジェリック様に仕えるロンディースと申す者。踊り子どの、ジェリック様を見かけませんでしたか?」
 踊り子という呼びかけにいささか腹を立てはしたが、それを表面に出さずに彼女は答えた。
「残念ながら存じ上げません」
「髪の色は私と同じような感じで、背はまだ小さく……年は14くらいなの……」
「存じ上げません」
 相手の語尾に無理やり言葉を被せて、レヴァリスは答えた。
 じっとレヴァリスを見ていたロンディースは、大きく息を吐き出すと全身で落胆を表現する。それが演技かどうかはわからないが、少し可哀相な気がして、レヴァリスは自責の念にかられる。
 大体、なぜ、踊り子と呼ばれたくらいで強硬な態度をとってしまったのだろう?
 踊り子を卑下しているわけでもない。それどころか、自分は職業というものに対してそれほど執着がなかったはずだ。
(ここに来てからおかしいわね)
 まるで自分が自分ではないような感覚。
 狂わされているような感覚。
 いつもの自分を取り戻そう──そう決めると、彼女は立ち上がり、その場で静かに跪いた。
「踊り子どの?」
「口答えをしてしまい申し訳ありません。私はジェリック様のお顔を拝しておりませんので、はっきりと申し上げることはできませんが、少なくとも私がこの庭に参りましたとき、ジャリック様はいらっしゃいませんでした」
 優美な動作に目を見張り、ロンディースが口を開く。
「あなたは……」
 しかし、その言葉をレヴァリスが聞くことはなかった。
「ロンディースどの!」
 2人は同時に声の主を見やった。
 城の長い廊下から、声を張り上げかけてくる少年が目に映る。
 威厳が足りないような風貌だが、大人しい、温和そうな様子が平和なドクテルの雰囲気には合っている。 
(あれが──ジェリック王子……)
 西の大国ヴェーノと、このウルヤの間にある緩衝国ドクテルの後継者。
(苦労するでしょうね……可哀相に)
 穢れを知らない純朴な笑顔を見せて駆けてくる少年を見て、レヴァリスは再びロンディースへと向き直る。
 大地につけたままの膝を放してから、彼女は社交辞令のための笑顔を向けた。
「それでは、失礼致します」
「あ、踊り……」
 背を向け、彼女はジェリック王子がやってくるのとは別の方向へと歩いていったのである。

   ◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 国が権勢を見せつけるとき。
 それが、宴。
 自国の文化も歴史も、力も織り交ぜ、来客者を迎える。
 テーブルに山のように積まれた果物。透明なグラスに注がれた赤紫の甘い美酒。
 上座ではウルヤの王が重たそうな身体を椅子に預けており、それらを見ていた瞳を部屋の中央にいる女性へと移していた。
 高い天井に反響していた笑い声も、今ではすっかり収まっている。
 息さえ潜めて多くの者が楽の音を聞いているからだった。
 室内に踊り子はいない。食事を運ぶ女たちもいない。
 静止した世界の中心に、ただ1人、楽を奏する女がいるだけ。
 長い黒髪を複雑に結い上げて、瞳を閉じ、細い指で4弦を自在に操る楽師が1人。
 心を預けられる穏やかな音が、人々の間に満ちていく。
 その音は波のようなものだった。
 細く高い音が押し寄せてくる。
 太く低い音が心を引いていく。
 そうして、全てが奪われていくような感覚が、満ちていく。
 夢の終わりを告げるような、最後の一音が奏でられるその瞬間まで。



「お人が悪い」
 中庭で夜風を受けていると、そんな風に背後から声をかけられた。
 レヴァリスは風に弄(もてあそ)ばれる黒髪を片手で押さえて、振り返った。
 ロンディースだ。
「あなたがあの、噂に高い楽師どのならば、そうおっしゃってくださればいいのに」
「……私が名乗る前に、踊り子どのとおっしゃられたのは、あなた様ではありませんか」
「おかげで、あなたの印象に残れる男になれましたけれど」
「悪い印象ですわよ」
「良い第一印象を与えられる男など、そうそういませんよ」
 そう言ってから、ロンディースは付け足す。
「……こう言っても、私が失敗したことは明らかなのですがね」
 その言い方が拗ねているようでおもしろくて、ついレヴァリスは笑ってしまった。
 つられて、ロンディースも笑う。
「楽師どの、横に座ってもよろしいかな?」
「ええ。あまり広くはございませんが」
 噴水の縁、腰掛けていたレヴァリスの横でロンディースがゆっくりと座る。
 さすがは王子のお目付け役といったところか。
 王族でもないのに、動作のそこかしこに優美さが漂っている気がした。
 年や外見も加えて考えると、ジェリック王子よりも彼の方が王子に向いていると言えなくない。
 そんなことを思いながら、レヴァリスはロンディースを注視していた。
「楽師どのはウルヤに来られるのは初めてですか?」
 レヴァリスの方を向き、彼は尋ねる。
 回廊から漏れる光に翡翠色の瞳が微かな煌きに彩られる。珍しい瞳の色だ。珍しさで言うならば、レヴァリスのそれの比ではないが。
「ええ。ウルヤは初めてです。西へは行ったことがあるのですが」
 自分が西の生まれであることはあえて隠して彼女は言う。
 だが、行ったことがあると聞いただけでロンディースの目元は綻んだ。
「我が国には?」
 声が少し踊っている。
「残念ながら、まだ」
 言ったすぐ後、レヴァリスは慌てたように一言付け加えた。
「緑豊かな国と聞き及んでおります。文化水準も我が国とは比べ物にならないと……」
 ドクテルはウルヤとヴェーノに挟まれた国。両方の文化を吸収し、融合させ、独自の文化を築き上げているとどこかで耳にしていた。
 おそらく、レヴァリスのいる国とは比べ物にならないくらい豊かな国家なのだろう。
 彼らの所作には文化国家の教養人たる雰囲気が随所に見られる。
 それは、大小さまざまな国家が集まっていた宴の席で見ていたレヴァリスには明らかだった。
「戦もなく、王位継承者もご健勝で、羨望の的であらせられるとか」
 知っている限りの知識を駆使して、彼女は言う。
 だがそれは、逆効果を生み出したようだ。
 微笑んでいたロンディースの表情が陰りに覆われたのだ。
 ロンディースはレヴァリスと大して年は違わないであろうが、初めて年相応の面持ちになる。
 疲労した顔つきに。
 彼はレヴァリスから目を背けた。それから、群青色の空に浮かぶ白銀の月を見上げた。
「表立って戦がないのはいいことだけではございません。その分、陰にこもる」
「? 内乱が?」
「いえ。内乱というほどのものではありませんよ。もっと小さくて、陰湿な争いです。ジェリック様はそれに巻き込まれているのです……」
「あの王子が?」
 陰湿という言葉とジェリック王子はあまりに結びつきにくい。
 乗り出すように彼女はロンディースの方へ身体を向けた。
「もともとドクテルには2人の王子がおります。ジャリック王子は第2王子なのですが、正妃の御子どのであらせられますので、王位継承者なのです。それが気に入らない者もおります」
「第1王子のお母上?」
「いいえ。王妃どのは正妃どのを気遣っておられます。気に染まぬのは、第1王子の周囲の者です。彼らは、第1王子が玉座に無関心なため、自分たちでジェリック王子を継承者から排そうと考えているのです。もちろん、その逆の動きもあります。邪魔な第1王子を排除しようという動きが」
「……その世継ぎ争いに、ウルヤとヴェーノは……」
「おそらくは、影で関わっているでしょう。……っと、こんな話を、私は! あなたに話しても仕方ないのに!」
 愚痴るように国の事情を話してしまったロンディースは、焦ってレヴァリスを見つめる。
「今聞いたことはお忘れ願いたい!」
 そう簡単に忘れられるわけはないでしょう。
 胸中でぼやいて、彼女はニッコリと首を縦に振った。
「宴の宵は夢の一夜。忘れましょう」
「かたじけない」
 頭を下げるロンディーヌに対して恐縮そうに振舞った。
 だが、それも一瞬だけ。
 次の瞬間に、彼女は吹き出してしまった。
 顔を上げかけたロンディースが怪訝そうにレヴァリスを見る。
「あなたは……そうでしたの、よくわかりましたわ」
 クスクスと笑うレヴァリスは、耐えられなくなる前にロンディースの背中から一枚の紙を剥がし、彼に見せる。
 子供が書いたような似顔絵が描かれてある。その絵のすぐ上に一言。
 “私は楽師どのに惚れてます!”。
「あ、あ、あああ、ああ────ジェリック王子ぃぃぃぃ!!」
 立ち上がり思わず叫ぶロンディース。
 顔は真っ赤になっている。
 それが面白くて、レヴァリスはおなかを抱えた。
「折角声をかけたのに! 王子!!」
 叫べど、返答はない。それもそうだろう。ジェリックはまだ宴の席にいるはずだ。
 いるもの気恥ずかしいが、立ち去ることもできずに、ロンディースは立ち尽くしている。
 耳たぶまで真っ赤なのが、仰ぐレヴァリスの目に飛び込んできた。
「正直におっしゃってくだされば、私もそのように致しますのに」
「楽師どの??」
「レヴァリスとお呼びください。ロンディース様とお呼びすればよろしくて?」
「え、ええ! ええ!」
 興奮して顔を何度も縦に振る。
 まるで馬か何かだ。
 自分と同じくらいの、気品さえ漂わせていたはずの彼が、子供っぽくなった様子が面白くてレヴァリスはなかなか笑いを収められない。
 嬉しいけれど、どうして彼女が笑っているのかわからないロンディースは、とりあえず一緒に笑っておくことにした。 その笑みが消えたのは、2人同時。
 視線が鋭くなり、東の回廊へ向けられた。
「レヴァリスどの……」
「ジェリック王子はまだ宴のはず。標的は──あなたですか?」
「そうらしい」
 端正な顔が辺りを窺い、口の端が静かに吊り上げられる。
「あなたは、ここを動かずに」
「守ってくださると?」
「女性1人も守れずに、誰を守ると言うんです?」
「では、お言葉に甘えて」
 レヴァリスの台詞が終わる寸前、回廊の柱の影から、数人の男たちが剣を携え現れた。
 鞘から抜かれた剣の煌きが、獲物を狙う狼の目を思わせる。
「ロンディー……」
「誰の差金(さしがね)かはわかっている。──かかって参れ!」
 名を呼ぶ男たちを一喝し、彼は静かに腰の剣を抜いていった……。


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