LIVE IN THE BLUE

<1> しいなさん

 少し汚れた足の裏が僕をじっと見つめている。
 まるで目でもついてるみたいに。
 見返しながら、相変わらずでっかいな、と僕は思った。
 机の上に行儀悪く足を投げ、椅子がひっくり返るのではないかというくらい背もたれに寄りかかっている姿で寝ているこの人は、足も手も、もっと言うと、身体だけじゃなくて考え方とか──とにかく、何もかも僕より一サイズ大きい。
 もちろん今では、僕の中のこの人に対する「巨大だ」なんて意識は日に日に薄れてはきてるけれど、今日みたいに、ふとした拍子に「でかい」って実感することもある。
「水虫とかあるのかな……」
 ボソリと独り言を言ってから背を向けた。すると、やけにはっきりした声がかけられて僕はビクリと身体を揺らした。
「そんなのないよ」
 寝ていたとばっかり思っていたから、僕は思わず振り返ってしまった。
「しいなさん、起きてたの? なら手伝ってよ」
「お前があっちこっち動き回るから、起こされちゃったの。手伝い? ……お前が無理やり起こすから、やだ」
 そう言って、またわけのわからない理由をくつけて、片目だけを開けてこっちを見る。
 面倒くさがりなのだ、この人は。
 ま、別にいいけれど。
 部屋の掃除なんて手伝うわけがないのはこっちだって百も承知だから。
「じゃあ、そこ動かないでいてくれる?」
「動かなかったら何かくれる?」
「……何が欲しいんですかぁ?」
「コーヒー」
「はいはい、入れればいいんでしょう」
 どうせ、この飲みかけの湯のみ茶碗を台所に持っていこうとしていたところだ。
 別にインスタントのコーヒーくらい入れてきてやってもいい。
 というか、こき使われるのはこの半年で大分なれたから、自然と身体が動いてしまう。彼を甘やかしすぎちゃいけないって、言われているし、わかってはいるのだけれど。
 僕は首を左右に振りながら、コキコキ音を鳴らすと、そのまま台所に入っていく。
 ここ数時間の奉仕を認めるかのように、昨夜必死で磨いた流しが、光を放って僕を迎えた。
 インスタントのコーヒー缶を食器棚から取り出し、僕はそれを見てちらりと思う。
 全く。この人は、もう、僕がいないとだめになっちゃったんだろうな。
 そう思ってから、自然と手を止めた。
(でも……同じ血は流れているのにね……)
 しっかり者で、人懐っこくて、パワフルな、亡くなった母親の姿が脳裏に浮かぶ。
 確かに母さんにも似たようなところがあった。どこがどうとは言えないけれど、そんな気がする。
(ってことは、やっぱり僕の中にも怠け者の血が流れているわけだ)
 育った家庭環境は違うとはいえ、客間でだらけている彼は、僕にとって叔父にあたるわけだから。



 飛行機事故で両親が亡くなったのは、僕が十七になって数日後だった。
 友人の結婚式に出席すると言って、めかしこんで玄関から出て行ったのを見送ったのが、僕が見た最後の両親。
 父はまだまだ働き盛りの四十歳。母はまだまだ熟女の手前の三十六歳。どっちにしても若すぎる死には違いなかった。
 なんとなく、僕は感じていた。母さん、なんか、やめておいた方がいいんじゃない?って。
 母さんも、なんとなく感じていたようで、父さんに「飛行機、少し遅らせない?」と言っていた。
 父さんはそれを無視したわけじゃない。予約していた便しかチケットが取れなかったんだ。
 玄関まで出て行った僕は、両親の去っていく背中を今でも忘れられない……。
 葬式の席で、祖母は僕の今後を気にかけた。
 当然だろう。両親が亡くなり、兄弟もいない僕は誰かに引き取ってもらわなくちゃ生きていけないだろうから。
 うちにおいでよ、なんて祖母は言ってくれたけれど、僕はそれを何とか断りたかった。
 別に祖母が嫌いなわけじゃなかったんだ。
 ただ、母さんの思い出がたくさん眠っているであろう場所には行きたくなかった。
 父さんや母さんが見え隠れしそうな場所にいるのは、嫌だった。
 今では我がままだったな、なんて冷静に思える。でも、あのときは、そうやって両親の死から目を逸らすのが十七年という今までの(亡くなった両親よりもさらに短い)人生を歩いてきた僕なりの、解決方法だった。
 そんな僕の我がままを一番初めに許してくれたのは、杏子伯母さんだった。
 杏子伯母さんは、僕の心中を察したような表情で、親族の前でこう言った。
「玄樹の気持ちも私はわかるわ。私だって、この家に戻ってくると、桜のことを強く思い出しちゃうもの。……だから、ここは一つ提案なんだけど……しいなに玄樹を任せましょう」
 僕は、杏子伯母さんの発言にびっくりした。
 でも、僕よりしいな叔父さんの方が確実にびっくりしていた。それはそうだろう。
「おいおい、姉さん……俺が養えると思っているのか?」
「誰もあんたに養わせようなんて思っちゃいないわよ。桜たちの遺産もあるから、その点は心配しなくていいわ」
「だって……義兄さんの親族が引き取るのが普通だろう。義兄さんは次男だったかもしれないどさ、こいつは分家の河原家を継いでいく身なわけだし」
「でも、玄樹は桜の一人息子よ」
 杏子伯母さんはその一言で全てを片付けてしまったように見えた。
 杏子伯母さんだけじゃない。集まった親族たちが、それならばこっちで引き取るべきだと思ったようだった。ただ、誰も自分が引き取ってやろうなんて顔はしてなかったけれど。
 僕は、呆然と周囲を見渡した。気分はセリにかけられている馬の気分だ。
「いい、これは宿命よ。若月家の長男にかされた宿命なのよ」
「独身貴族に、んな勝手な宿命負わせるなよ」
「二十三にもなって結婚しない男が悪いんでしょう。うちの家系は早婚なのに! 独身貴族って言ったって、好き勝手やってるだけじゃない」
「姉さんみたいに離婚するのが嫌だから、安易な結婚を選ばなかっただけだよ」
「何とでも言いなさい。あんたは未だに結婚してないけど、私は再婚して成功してるんだから。いい、しいな。桜の性格を考えるに、玄樹が何も出来ない高校生のわけないでしょ。今のあんたの生活を考えると、この子がいてくれる方が何倍も楽になるわよ? 掃除・洗濯・炊事をこないしてくれること間違いないわ」
 確かに母さんは僕に一通り教えたけれど、だからと言って僕がそれらを好きなわけじゃない。
 でも、杏子伯母さんは、そうなることが決められたことであるかのように言い放っている。
 引き取ってもらうのに何もしないわけにはいかないのかもしれないな。頭の隅っこで、そういう声が聞こえてきた気がした。
「しいな、言いかえるわ。これは宿命じゃなくて、命令よ」
 杏子伯母さんの迫力に負けたのか、それともどうでも良くなってしまったのか、はたまた僕の内なる家事処理能力に期待をかけたのか(それはないと思うけれど)。
 しいなさんは数分後には僕の引取りを承諾していた。


Copyright(C) Akira Hotaka

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