[Novelism] 3周年記念SS

 【第4夜】

 蛇口を捻《ひね》って、浄水をコップに入れた。
 それを見ながら、僕は思わずため息をついてしまう。
 明日……そう、明日なんだ。僕の3者面談は。
 それなのに、まだ言ってない。しいなさんに、「3者面談来てください」って。
 別に、僕、1人で受けても先生は文句言わないだろうけど。両親が亡くなってから、まだ1年……状況知っているから、叱りつけることもしないはず。
 でも……やっぱり、なんか心細いんだよね。将来のこととか話すときに、自分しかいないっていうのは。
 昨日言っておけばよかった、って僕は思ってる。
 ――まさか、しいなさんが酔っ払って帰ってくるなんて思わなかったからなぁ。



「今日、帰り遅いからな」
 帰りが遅いも何も、出かけることさえ知らなかった僕に、しいなさんはそう言った。
 何でだろう、と思っていたところ、「同窓会」。
 その瞬間、僕は絶句したよ。我が目を疑った、っていう表現、まさしくそれだったと思う。
 だってさぁ、しいなさん、どう考えても近くのスーパーに夕飯買出し行く格好してたんだから。
「ちょ、ちょっと待って、しいなさん!」
「ん? 何だ? もう出ないと間に合わないんだけど、俺」
「その格好で行くの?」
「あぁ。葉書に“畏まらずに”って書いてあったしな」
 ……しいなさん、いくらなんでも、それは畏まらなすぎだよっ。
 僕は慌てて腕を掴んで、しいなさんを部屋へ引っ張り込んだ。
 それから、大急ぎでコーディネイト。僕、服の組み合わせなんてよくわかんないんだけど、この際、「センスいいわね」って言われていた母さんの血を信じてみることにした。――そんな母さんの弟がしいなさんってことは、一抹の不安だったけど、まぁ、それは無視しちゃって。
 何とか見れる格好にして送り出した僕は、今の事態なんて想定していなかったよ。
 だって、うちの家系ってお酒強いんだよ? しいなさんだって、相当強いって、杏子《きょうこ》叔母さんは言ってたし。
 大体、同窓会って、べろんべろんになるまで飲んでるもんじゃないよね、普通は。
「しいなさん?」
 呆れたの半分、心配してるの半分って感じで、僕はトイレのドアをノックした。
「……入ってます」
 中から死人のうめきが止んで、ついで、一言返ってきた。
 僕は無視して話を続ける。
「お水、持ってきたから開けて」
「……取り込み中」
「それがわかってるから持ってきたんだってば」
 言ってからドアノブを回したけれど、抵抗する金属音が聞こえただけ。
「ねぇ、しいなさん、開けて」
「絶対開けない」
「子供じゃないんだからさぁ」
「当たり前だ、これでも俺は23だ」
 聞く限り、これは相当酔っているな、と僕は判断した。普段のしいなさんなら、そんな返し方はしない。
 だって、いつもだったら、6つしか違わないのに年の話をするのを相当嫌がるんだよ? 間違っても、自分の口から年齢なんて言わないから。
 僕は、昔、会社の同僚に両脇を抱えられながら家に帰ってきた父さんを思い出した。そして、その父さんをトイレの中に押し込んだ母さんの言葉も。
 ――酒は飲んでも飲まれるな。
「しいなさん。ほら、開けてよ」
「……お前にこんな姿、見せられるか」
 いや、もう、玄関で見てるから。
 僕はしばらく様子を見たけど、どうにもこうにもならないようなので、ひとまずトイレの近くにコップを置いて居間に戻った。
 まだ、お客様がいるはずだ。



 しいなさんを送ってきてくれた人は、神楽坂正守さんと言った。
 オールバックにしているから、すっごい整っている顔した人だなぁ、なんて真っ先に僕は思った。ほら、しいなさんみたいに長いとさぁ、髪で輪郭とか見えないときあるでしょう?
 神楽坂さんって、男の人にこんな言葉を使うのは失礼かもしれないけど、「きれいな」人なんだよね、すごく。でもって、カッコイイ。
 同窓会の後に一緒に飲んでた、って言ってたけれど、神楽坂さんはちっとも酔っていない。顔ほ少し赤いけれど、口調もしっかりしている。居間まで聞こえてくる、しいなさんの雄叫びのような苦悩の声をこうして聞くたび、同じ量を神楽坂さんが飲んだというのは少し信じがたい話だな、僕にはさ。
 僕がお茶を持っていくと、神楽坂さんは、手でそれを制してソファから立ち上がった。同時に向けられた微笑は、僕でもちょっとドキっとしたものだ。
「お気遣いなく。すぐに帰りますから」
 神楽坂さんは、僕に対しても敬語。妙に丁寧なんだよね……なんか、どこか、不思議な人。
「あ、お茶くらい召し上がってってください」
「もう遅いですから」
 そう言って彼は自分の腕時計を人差し指でトントンと叩く。時刻は午前1時。
 でも、僕は時間よりも神楽坂さんの仕草の方が気になる。だって、そんなどうってことない仕草も様になってるんだもん。この人、モデルか何かなのかなぁ。
「それに、玄樹くん、君も明日学校でしょう? こちらこそ、夜分遅くに上がりこんでしまって申し訳ありませんでした」
 持っていた上着を羽織って、神楽坂さんは制止の隙を与えず、廊下へ出て行った。
 背中を追いかけていって、玄関で僕は会釈する。
「すみません、送っていただいたのに、何のお構いもしませんで」
「いや、彼をあんな風にしたのは私ですから……」
「そうだ、玄樹。そんな薄情なヤツは放っておいていいぞ」
 僕と神楽坂さんは、おや、って顔を見合わせてから振り向いた。
 いつの間にか、後ろにしいなさんが立っている。中途半端に長い髪の毛は、どうやら自分で結んだらしい。邪魔になったんだろうな、きっと。
 土気色じゃなくなってるけど、まだまだ顔は青いまんま……大丈夫なの、しいなさん?
 心配する僕とは対照的に、神楽坂さんは笑ったんだけどね。
「わざわざ送ってやった友人に『薄情』なんて言うのはお前くらいだよ」
「そうだよ、しいなさん。ちゃんとお礼言ってよ」
「吐かせるまで飲ませたヤツに礼なんて言いたくないね。――まぁ、気をつけて帰れよ」
 ……しいなさん、素直じゃないなぁ、もう。
 神楽坂さんは片手を上げてそれに答えてから、玄関のドアの向こうに姿を消した。わずかに残った香り――なんだろう、香水?――に、やっぱり不思議な人だったなぁ、なんて僕は思う。
 そうやっていつまでも、ぼけっとしているわけにはいかないんだけどね。
 僕は息を吐き出してから、振り返ってしいなさんを見上げた。
「……大丈夫?」
「……だめだわ」
 口元を手で覆うもんだから、僕は慌ててしいなさんをトイレに引っ張っていこうとした。大丈夫、って言ってしいなさんは居間に戻っていったけど……酔っ払いの「大丈夫」って不安だよ、僕は。
 ソファにどっかり座り込んだしいなさんは、あー、とか、うー、とか叫んでる。さっきまでそこに座ってた神楽坂さんとは大違い。
 けど、熱いお茶を入れて差し出したときに、しいなさんが唸るのをやめた。
 どうしたんだろう、って思った矢先のこと。
「だから、少し黙ってくれ!」
 いきなりでっかい声で言ったもんだから、僕は驚いて危うくお茶碗をひっくり返そうになった。
 あぁ、本当に危なかったよ。
「しいなさん、どうしたの?」
 非難するように聞いてみると、片目だけでしいなさんが僕を見た。
 目は口よりも物を言う――そんな風に誰かが言ったけど、とろん、と半分くらい据《》わってる目が何を語っているのか悟るのは難しい。何が言いたいのか、全然わからない。
 やがてしいなさんは、ため息をついて手を額にかざした。
「……悪い。聞き間違えた」
「聞き間違えた?」
「お前の声と、こいつの声、聞き間違えた」
 しいなさんがソファを指差す。僕、それと間違えられたわけ?
 そりゃ、しいなさんは「物」の声が聞こえるっていう特殊な力を持っているけれど、それって制御してるはず。僕とソファの声だって、聞き間違えることはないはずなのに……アルコールで上手く力を制御できてないのかなぁ。
 それより何よりも、あろうことか、ソファの声と間違えられるなんて。
 僕、生身の人間で、もう1年近く一緒に住んでるんだけど……。
「……なんて言ってるの、そのソファ」
「酒くさい」
「……許してあげなよ」
「わかってるって」
 そう言って、しいなさんは額に当てた手をだらんと垂らした。それから、ソファに寄りかかったまま、天井を見てる。
 僕が声をかけられたのは、本当に大丈夫なのかなぁ、って心配していたとき。
「なぁ、玄樹、思ったことないか?」
 何を?
 問い返すよりも早く、しいなさんが言う。
「人の心が読めればなぁ、って」
 僕は持っていたお盆を抱きしめる。
 誰かの心が読めれば、なんて……いっつも考えていたよ。
 友達とケンカしたときに心を読みたかった。
 母さんが困ってたときに心を読みたかった。
 それから、僕がこの家にやってきたとき……しいなさんが本当に僕を歓迎しているのか、心を読みたかった。
 心の声を聞く、って力は僕にはないけれど、ないからこそ、思っていたんだ。そういう力があればなぁ、って。
「……なんでそんなこと思ったの、しいなさん」
 僕は、問いかけには答えずに、逆に聞いてみる。
 しいなさんは、天井から目を逸らさないで、瞬きを1回だけした。
「聞いても本音を言ってくれないヤツを目の当たりにしたからな」
 誰のこと?
 それは、尋ねないことにした。
 なんとなく、わかったから……なんとなく。
「玄樹」
「なに、しいなさん」
「俺は、こいつらの『声』が聞こえる」
 バンバン、とソファを、まるで埃をわざと立てるように叩いて、しいなさんは改めて言う。とっくに知っていることを。
 口調は少し怪しいんだけど、怪しいからこそ、たぶんこれって普段は絶対聞けない本音かもしれない、って僕は思う。
 聞き逃すまいと、してしまう。
「聞こえるけど……それは、こいつらが『声』を出しているからなんだ。黙っているヤツの声は聞こえないんだけど」
 自分の力について、しいなさんはあまり語らない。でも、この日は珍しく、長広舌が続いた。
「ちゃんと『声』を出してたって、周りは皆、それに気づかない。『声』が聞こえない。どんなに言ったって、聞き取っちゃくれない。……こいつら、結構、可哀相なんだぞ」
「……うん、そうだね」
「なぁ、玄樹。今日の俺、よくしゃべるよな」
 自覚あるんだ、って思いながら僕は頷く。
「うん。よくしゃべる」
「それは、俺に口があるからだ」
「……まぁ、そうだね」
 お酒のせいもあるんじゃないかな。
 そう思ったけど、話の腰を折らないようにするためにそれを言うのは控える。
「しいなさんがよくしゃべるのは、口があるから、だね」
「……人には、こうやって『声』を出せるんだよ。思ったことを言えるんだよ……だから、『声』を出し惜しみしちゃいけないんだ」
 そこに至ってようやく気づいた。
 しいなさんの声、最初は大きかったのに、なんか落ち着いたものになってる。
 いつものように、押し付けるわけでもなく、説くわけでもなく、夜の海みたいな、静かな優しい声。
「ありがとう、とか、ごめんなさい、とか……もっと簡単な、おはようございます、さようなら、そんな言葉だって、出し惜しみしちゃいけないんだ。言うことができるんだから。聞いてくれる相手がいるんだから」
「しいなさん……」
「……もうすぐ、姉貴の一回忌だろう」
 僕は、はっとした。
 それは、僕もしいなさんも触れない話題だった。
 お互いに気づいていながら、わかっていながら、口にしていない話題だった。
 しいなさんは、頭をソファに預けたまま、僕を見る。
 微笑んで、僕を見る。
「人の心が読めない不甲斐ない叔父さんだから、ちゃんと言わなきゃだめだぞ、お前。――本当は、悲しいんだ、って」
 ……胸をざっくり切られた気がした。
 僕は、言葉を失う。
 何も言えなくなる。
「玄樹、俺は――姉貴がいなくなって、悲しかったよ」
 ……しいなさんは、いつもずるい。
 僕は唇を噛みしめて、俯いた。
 お前だけ言え、っていうんだったら僕は黙ってたと思う。
 でもさ、しいなさんは、ずるいんだよ。
 先に言っちゃうんだ。
 僕が、口に出しやすいように。
 照れくさかったり、辛かったり、言い出しにくいことを先に言っちゃうんだ。僕のために。
「……僕、本当は……」
 上手く言葉にならない。そこまでが僕の限界。
 しいなさんは、ソファから立ち上がって僕のところまでやってきたかと思うと、頭をポンと叩く。
 帰ってきたときはお酒くさい、って思ったんだけど、このときはそれも気にならなかった。
「お前、姉貴のこと好きだったか?」
「……うん」
「俺も、好きだったよ」
「……うん」
「……さて、明日、学校あるんだろ? 遅いから、もう寝ろ」
 しいなさんは僕の肩に手を置いて、くるりと身体を反転させる。そして、背中を軽く押した。
 操られているかのように、僕は部屋へ向かって歩きだす。
「玄樹」
 部屋から出かかったところで、しいなさんが呼び止めた。
 手の甲で目の辺りをごしごしこすってから、僕は振り向く。
「……酔っ払いで悪いな。水、ありがとう」
 首を縦に振って、僕は扉に手をついた。
 そのまま自分の部屋に行きかけて、悩みに悩んだ結果、振り返る。
「しいなさん!」
 もう1度、ソファに座りかけてたしいなさんが、中腰のまま僕に顔を向けた。
 僕は、カラカラの声で、近所迷惑も顧みずに声を張り上げる。
「明日の……」
 言ってもいいのかな? ――迷う。
 嫌な顔されないかな? ――不安になる。
(でも、言わなくちゃ、始まらない)
 声に出さなくちゃ、わかってもらえない。
 だから、僕は、言葉を止めない。
「明日の、3者面談、来て欲しいんだ!」
「……3者面談?」
「うん。午後2時から。――僕……僕、ね」
 頑張れ、と誰かの声がした。
 それは、母さんの声だった気がする。
「僕、しいなさんに来て欲しいんだ。しいなさんに聞いて欲しいんだ、色んなこと」
「俺でいいのか?」
「しいなさんじゃなきゃ、ダメなんだ!」
「……そりゃ大変」
 答えて、しいなさんは笑う。
「じゃあ、何としても二日酔いを阻止しないとな」
 僕は、ぷっと吹き出した。
 確かに、そうだ。真っ青な顔してお酒くさいまんまのしいなさんを見たら、先生、きっと心配する。
 河原、彼が保護者なのか、って。
「頼むよ、しいなさん!」
「あぁ、おやすみ」
 おやすみ、と返して僕は廊下に出る。
 ふと、トイレの手前、僕がしいなさんのために置かれたコップが目に入った。
 しいなさん、片付けてなかったみたい。中は、空っぽだ。
 しいなさんが空っぽにしたコップ。
 それを見つめる僕の心は、色んな気持ちでいっぱいだった。


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